イエスマンのズーイー・デシャネルがサマー。
サマーに恋した500日を、順を追ってじゃなくてバラバラにシャッフルすることに最初は慣れずに戸惑ったけど、だんだんとみているうちに意図がわかってくる。500日っていう区切りがある時点で別れてしまっていることは想像できるので、どうしてだめだったかを客観的に伝えたいのかなぁって解釈しながらみてた私。映画は、最初サマーにたくさんの人を惹きつける謎で特異なイメージを伝えていたけど、私にはふつうの女の子に思えた。
建築家への憧れを持ち続けて生きているのに、人から人に思いを伝えるお手伝いをするカード会社でくすぶっている主人公のトムに出会ったサマー。つきあったりするっていう関係が苦手なサマー。でも、映画にIKEAに公園にお部屋に、一緒に過ごす日々が増えてゆく。そして、サマーの寂しそうな顔がだんだんと増えてゆく。そしてサマーは決断し、ふたりは離れ離れになってゆく。
サマーは決して相談したり、責めたり、傷つけたりしない。それが彼女のスタイルなのかな。だから突然別れがやってきたトムは傷つき荒れるけど、建築家を再び目指して歩き出す。
価値観も沸点も「違う」ことが問題なんじゃない。違っていることに気付いてくれたら、ちょっとは違ったんじゃないかなぁって思う。
「伝え方とかのスタイル」の違いはもう相性でしかなくて、どちらが悪いとかっていう問題じゃないから、たくさんのトムやサマーが、傷つきすぎずにお互いが我慢しないで笑顔でいられる人に出会えますように。
読書状況:未設定
公開設定:公開
カテゴリ:
映画
- 感想投稿日 : 2018年7月16日
- 本棚登録日 : 2018年7月16日
みんなの感想をみる