数学する身体

著者 :
  • 新潮社 (2015年10月19日発売)
3.79
  • (41)
  • (70)
  • (50)
  • (8)
  • (4)
本棚登録 : 950
感想 : 88

485
森田真生(モリタ・マサオ)
1985年、東京都生まれ。独立研究者。東京大学理学部数学科を卒業後、独立。
現在は京都に拠点を構え、在野で研究活動を続ける傍ら、全国各地で「数学の演奏会」や「大人のための数学講座」など、ライブ活動を行っている。


たとえば、「虚数」と呼ばれる数がある。虚数とは、2乗すると1になる数のことだ が、普通に考えると「意味」がよくわからない。どんな数も2乗すると0以上になるの ではないか。2乗したらマイナスになる数など、いったいどこに存在するというのだろうか。わかる、わからないにかかわらず、数式を変形していると、虚数が出てきてしまうことがある。「わからない」のはあくまでこちらの話で、数式の方は平気でそ の存在を主張してくる。 記号を使うとしばしばこういうことが起こる。計算をしているうちに意味の分からないものが出てきてしまうのだ。作図を使った推論の過程では、思考と意味が並走しているが、数式を計算していると、意味が置いてけぼりを食うことがある。それでも意味が あとから追いつくならば、問題ないのである。 実際、いまでは√-1の「存在」を疑う数学者はいないだろう。「虚数」という不名誉な呼ばれ方をしているが、その存在を抜きにしては現代数学は成り立たない。はじめは 直観を裏切る対象でも、使っているうちに次第に存在感を帯び、意味とその有用性がわかるようになってくる。そうして少しずつ、数学世界が広がっていく。

私はその日手にした『日本のこころ』を、夢中になって読んだ。そこには今まで知ら なかった広大な世界が開けているように思われた。それでいて、どこか懐かしく知っている世界のような、不思議な感覚に包まれた。そこには狭い数学を超えて、生きること、あるいは「わかる」ことについて、全身の実感のこもった言葉が並んでいたのだ。


岡潔の言葉を読んでいると、なぜか不思議と、バスケに捧げた日々を思い出した。こ の人にとって数学は、全心身を挙げた行為なのだと思った。頭で理屈を捏ねることでも、 小手先の計算を振り回すことでもなく、生命を集注して数学的思考の「流れ」になりきることに、この人は無上の喜びを感じていることが伝わってきた。 私は、岡潔のことをもっと知りたいと思った。彼が見つめる先に、自分が本当に知りたい何かがあるのではないかとも思った。簡単に言えば、「この人の言葉は信用できる」 と直観したのだ。 数学と身体を巡る私の旅も、ここから始まったのである。岡潔の語る数学は、それまで私が知っていたものとはまったく違った。そこには、生きた身体の響きがあった。 「数学」と「身体」――とてつもなくかけ離れて見えるこの二つの世界が、実はどこか深くで交わっているのではないか。その交わる場所を、この目で確かめたいと思った。 ならば、数学の道へ分け入るしかない。私は、数学を学ぶ決心をした。

およそ十年前に岡潔の『日本のこころ』に出会って以来、私は何度も何度も、頁が擦 り切れるくらい、この本を読み返してきた。不思議なことに、その度に新しい発見があり、毎回違った箇所に線を引いている。文章の方は動いていないはずだから、変わってるのはこちらの方なのだろうが、まるで生き物のように、同じ言葉が何度し味を帯びて蘇ってくるのだ。実感に裏打ちされた言葉の底力である。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年8月29日
読了日 : 2023年8月29日
本棚登録日 : 2023年8月29日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする