原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章

  • 佼成出版社 (2009年6月25日発売)
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アルボムッレ・スマナサーラ スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老
1945年スリランカ生まれ。 13 歳で出家する。スリランカの国立ケラニヤ大学で仏教哲学の教鞭をとったのち、1980年に来日。駒澤大学大学院博士課程を経て、現在は日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝道と瞑想指導に従事。メディア出演や全国での講演活動で大きな反響を呼ぶ。著書は『怒らないこと』(サンガ新書)をはじめとしてベストセラーが多数ある。

ブッダは、恐ろしい蛇の毒に譬えられる「怒り」について、こう教えています。 「怒りが生まれたら、生まれた瞬間に消せ」と。

人間は欲が悪いことだとは思わないのです。欲が悪いと思う人間はいません。  例えば、「勉強したいなあ」と思うことも欲です。「それの何が悪いのですか?」ということになるでしょう。「やはり死ぬまで安定して生活して、生きていくために一財産作りたい」という意見に対して、「あんた欲張りですねえ」と言ったらバカにされるだけです。それらは世の中で普通、悪いとは思わないのです。「欲」は、普通の世界では美徳なのです。

上野に 不忍池 があります。季節になると蓮の花が咲き誇ってきれいなのですが、池の水面は蓮に埋め尽くされてしまいます。放っておくと、あちこちから蓮の葉っぱが出てきて、水がなくなってしまう。水の中には、いっぱい栄養があります。だから結局、雑草のように続々と生えてきて、池を埋め尽くすところまでいって、蓮の花は自滅するのです。

私たちは、欲の楽しい側面しか見ていないのです。でも、どの辺までが楽しいのか、どこから苦しいのかと、しっかり観察はしていないのです。客観的に見ると、蓮の花だけではなくて、花の下には泥があることがわかります。泥の中にはヒルもいるし、人間に害を与える他の生き物もいる。また、蓮の花を取っても、芯には棘があるから、気を付けなくてはいけないのです。

一つ、もっとたちの悪いとらわれがあります。それは、知識に対するとらわれです。自分の知識、考え、主義などに、厳しくとらわれて、盲目的になることです。極論主義者、原理主義者になって、世間のことが見えなくなるのです。知識や主義などに納得することも、厳しいとらわれです。

例えば、きれいなものを見たいなあ、と思う人に限って、きれいでないものを見ると怒ったりします。「なんでこんなものを見なくちゃいけないんですか」と。  ですから、怒りと欲はセットなのです。  怒りが少なければその分、欲も少ないし、欲が少ない人にとっては怒りも少ない。ですから怒りだけをなくしたいと頑張っていても、それは無理な話です。  法則を知らないから、欲も怒りも生まれるのです。  しょっちゅう怒っている人から「怒るのは嫌です。なんとかならないんですか」と聞かれますが、欲だけ残して怒りだけ取ることはできません。  普通の世の中で考えるように、「怒りは都合が悪いけれど、欲のように気持ちがいいものは 好いから残しておこう」というふうな甘い話ではないのです。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2024年3月18日
読了日 : 2024年3月18日
本棚登録日 : 2024年3月18日

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