多読術 (ちくまプリマー新書 106)

著者 :
  • 筑摩書房 (2009年4月8日発売)
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松岡/正剛
1944年1月25日、京都生まれ 早稲田大学文学部中退編集工学者、編集工学研究所所長、イシス編集学校校長1971年、工作舎を設立、オブジェマガジン「遊」を創刊。対極するテーマを出会わせる知識編集と先鋭的なグラフィズムによって、メディア界、知識人、アーティストたちに多大な影響を与える。1982年、フリーランスとなり松岡正剛事務所を設立。超ジャンル的なソロ活動を始めるとともに、NTT民営化にともなう「情報と文化」研究会の座長をつとめるなど、諸分野の研究成果を総合化するプロジェクトの数々を推進。1987年、編集工学研究所を設立。情報文化と情報技術をつなぐ方法論を体系化し、その成果をメディアづくりやシステム開発、さまざまな企画・編集・クリエイティブに展開。一方、日本文化を独自の視点で読み解く著作やテレビ番組の監修も数多く手掛ける。2000年、ネットワーク上に壮大なブックナビゲーション「千夜千冊」の連載を開始。また同年、eラーニングの先駆けともなる「イシス編集学校」を創立し、編集工学にもとづくメソッドを幅広い層の人びとに伝授しはじめる。近年は、知識情報の相互編集を可能とする「図書街」「目次録」、編集的世界観にもとづく書店空間「松丸本舗」など、本を媒介にした数々の実験的プロジェクトを展開。また、「日本という方法」を提唱し、文化創発の場として精力的に私塾やサロンを主宰。写真、アート、デザイン、書の目利きとしても定評があり、みずから書画、戯画、作詞、短歌・俳句などを手掛ける。俳号は玄月、血液型B型、座右の銘は「少数なれど熟したり」(フリードリヒ・ガウス)、モットーは「生涯一編集者」。



本というのは、長い時間をかけて世界のす べてを呑み尽くしてきたメディアです。ギルガメッシュの神話から 湾岸戦争まで、カエサルから三島由紀夫まで、ラーメンから建築ま で、金融危機からサッカーまで、みんなみんな、本の中に入ってい る。むろん日記も手紙も小説も見聞記も、譜も写真も映画のシー ンも名産品も、本になる。 これって不思議ですよね。本の中に入らなかったものって、ほと んどないんじゃないでしょうか。しかも本は知識や主題ばかりでで きているわけじゃない。たとえば「しまった」とか「ふわっとした こと」とか「無常感」とか「もったいなさ」とか「ちょっとおかし い」も本になっているし、「くすくす笑い」も「失望感」も、「研 究の苦難」も「人々の絶叫」も、「近所の風景」も「古代の廃墟」 も、みんな、みんな本の中に入ります。こんなメディア・パッケー ジはほかにない。ウェブなどまだまだ勝負になりません。

「読書はたいへんな行為だ」とか「崇高な営みだ」などと思いすぎ ないことです。それよりも、まずは日々の生活でやっていることの ように、カジュアルなものだと捉えたほうがいい。たとえていえ ば、読書は何かを着ることに似ています。読書はファッションだと 言ってもいいくらいだけれど、もっとわかりやすくいえば、日々の 着るものに近い。

そこで、あえて縛りをかけることにした。一人の著者につき一冊だけというルールに したのも、同じジャンルのもの、たとえば生物学関係の本を続けないとか、時代小説を 続けないとかも、そのためだった。あとは、わざわざその本を「千夜千冊」に選んだの だから、批判をしたり文句をつけないということですね。本にケチをつけるのは、実は かんたんです。でも、それはしないことにした。

読書能力やリテラシーに自分で区別や差別をもうけないとい うことが大事です。たとえば嫌弁と謝発に人格の差異をつけるより、それぞれにふさわ しい会話能力があると見たほうがいいように、読書にもさまざまな「好み」や「癖」が あったっていいんですね。立派な読書はこういうものだなんて、決められないと思った ほうがいい。

実は父も母も俳句を作っていたので、俳句全集のたぐいも揃っていて、父は好きな句 に鉛筆で乱暴な印をつけていましたね。母は嫌がっていましたけど(笑)。そんなこと で、当時の家にあった本は、全部で二千冊あるかないかくらいだと思う。けっして蔵書 が多い家ではなかったです。それに母は蔵書家ではなく、自分の好きな本をきちっと読 むタイプで、だいたい小説が多かった。幸田文、有吉佐和子、杉培処が好きでした ね

母は文芸少女で、府立第一女学校、通称「府一」という京都のなかでも有名な女学校 の出身でしたが、いったんよその家に嫁いでゆけば、その家で自分の趣味を通したり、 喋ったりということはしません。父が箸をとらないかぎりは、家族も箸をとらないと いう家でしたからね。そういうしきたりの家だったので、母はあまり自分の才能を見せ でも、微妙な感覚、微細なもの、京都という文化、そういうものにとても通じて いたと思う。季節感も、習慣も、花の色も、季語や歌語に関しても、たいへん詳しかっ た。

だいたいぼくはいろんなことが晩生で、コミュニケーション力もずっと足りない少年 でした。それから、多少の吃贄だったんです。サシスセソ系の発音がしにくかったりし て、そのせいで自分が思ったことをパッと喋れない。アタマの中の「吹き出し」にはい ためらい ろいろ浮かぶけれど、それを言葉として外に出すまでにひどい躊躇がある。 これって困ったことで、それでコンプレックスにもなるんだけれど、一方で、オレは 実はわかっているんだというふうに、変に片寄った自信にもなりかねない。しかし、ど うみても何もわかってはいない。こういうふうに言葉にならないときの大半は、実はわ かっていないと言っていいでしょう(笑)。 他方、世の中には言葉にしにくいものもいろいろあるわけで、塩飽諸島の美しさもそ ういうものだったわけですし、禅にもそういうところがある。しかしあまりに自分で表 現を怠っていると、自分が使う言葉の問題と世の中で使う言葉の限界がごっちゃになっ て、そのうち身勝手な言語人間になってしまう。世の中でうまくいかないことの多く は、実は当人の言葉の使い方によっているんですね。

あとは図書館通いと書店通いです。ぼくはお金に困っていて、授 業料も生活費も自分でまかなっていたので、ほとんど本代にまわせない。一番てっとり ばやいのは万引ですが(笑)、これはリスクが多すぎる。でも、これがうまい連中はま わりにけっこういましたよ。ぼくはヘタだった。それで図書館に行く。 ここはいいですね。サイコーです。実はのちのことになりますが、ぼくは社会人にな って何度か引っ越しをするんですが、たいてい図書館の近くを選んだ。新宿のころは 谷図書館の近くで、最大は有樹照公園の都立中央図書館でした。そこから十分くらい ところに越した。図書館のいいところは、そこには本しかないということです。図書館 に通えば、読書習慣は必ずつく。ジムに行ってトレーニング以外のことをしないのと同 じで、図書館に行けば必ず本になじみます。おススメです。

そこで、最初に名著といわれるものを手に入れるか、図書館で日星をつける。量子力 ともながしんいちろう 学でいえばディラックのものか、朝永振一郎です。電磁気学ならファインマンです。 対性理論ならアインシュタインその人でしょう。けれどもこれは歯が立たない。しか し、その歯が立たないところに一度は直面しないといけない。そのうえで別の参考書や 類書で補っていく。そういう読み方をしていくんですね。

新聞、雑誌、単行本、マンガ、楽譜集、どんなものでも全部が「読書する」なんです が、そこには優劣も貴も区別がないと思うべきなんですが、やっぱり読書の頂点は 「全集読書」なんですよ。これは別格です。個人全集もあるし、シリーズ全集もありま すね。

一言でいえば、未知のパンドラの箱が開くということでしょうね。本はやっぱりパン ドラの箱。読書によって、そのパンドラの箱が開く。そこに伏せられていたものが、 分の前に躍り出てくるということです。ポール・ヴァレリーふうにいえば、それによっ て「雷鳴の一撃を食らう」という楽しみですね。ということは、こちらが無知だからこ そ読書はおもしろいわけで、それに尽きます。無知から未知へ、それが読書の醍醐味で す

ここまでの前提で言えるのは、読書をしたからといって、それで理解したつもりにな らなくてもいいということです。だって絵を見たって、どのように理解したかどうか、 なかなかわかりませんよね。でも「なんとか展」に、また行くでしょう。セザンヌやカ ンディンスキーや現代美術を見るって、そういうことです。言葉だって、文章だって、 そうなんです。けれども絵をいろいろ見ているうちには、ピカソの何かが怨然と見えて きたりする。本も、そういうものです。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2023年6月29日
読了日 : 2023年6月29日
本棚登録日 : 2023年6月29日

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