難題だったももの、好奇心は尽きず…
とはいえ、知識不足の身
誰かにおすがりしたく、いつもお世話になっている100分de名著
(ありがたいですね このシリーズ)
指南役は和田忠彦氏
イタリア文学研究者であり、エーコ様と交流があった
あまりにも多岐にわたり、深いため、今回は
記号学とアリストテレスの「詩学」に絞ることにする
まずはなぜ世界的な記号学者が小説を書いたか…
~理論化できないことは物語らなければならない
学術論文では書ききれない、あるいは論じきれないことをどのように読者に伝えれば良いか…
現実の世界と異なるもうひとつの現実のなかでなら明晰に言い表せる可能性に賭けた~
む、難しい
何となくイメージ的にはわかる気がする
「書物の中の書物」として作品を書いたり、各キャラクター達も実在の人物に置き換えることができる
作中の事件だって、その時代の歴史的事実や事件になぞらえることができる
こういうトリックをたくさん使い、エーコ様はメッセージを送っているのだろう
本来は記号学者というものをしっかり認識したかったのだがなかなかわかりづらく、
哲学にまで及ぶのでそこは割愛
~書物は信じるために作られるのではない
研究に供されるべきものとしてつくられる
書物が何を言っているのかと自分に問うのではなく
何が言いたいのかを問うべき
書かれたことをそのまま信じるのではなく、経験から合理的に判断する
観念とは事物の記号
イメージは観念の記号、ひとつの記号についての記号
イメージから観念は復元できる
が、ここで満足せず事物まてたどり着かなければならない~
ふ…深い
難しいものの、何となく言いたいことは伝わってくる
あらゆる事物の記号を集め、理論的に物事を考えるのは当然の基本
その上で熟考を重ね、想像力を駆使し、固定観念にとらわれず冷静に事物にたどり着くのだ!
(たぶん…)
アリストテレスの「詩学」
26章からなるその大部分を悲劇論が占める
喜劇を論ずる第二部があったことは確実であるが、失われてしまった
エーコ様は「薔薇の名前」の中で、悲劇よりも喜劇をより高く評価していたのかも…という仮説を元にしている
エーコ様は詩学の中で扱われている「悲劇」というものについて考える
~「悲劇」の基本要素とは、小説で言えばプロット(筋)であるという結論に至る
「悲劇」として成功する作品はカタシルス(精神の浄化作用)をもたらすことができる
カタシルスの効果は書かれるものでもなければ演じられるものでもなく、受け止められるもの(受容)として悲劇の中に存在する
「詩学」は人間が最初に書いた受容の美学
受け手が作品の美のありかたに深く関わっている
薔薇の名前においても、ウィリアムやアドソが事件や出来事をどう受け止めたか、受け止め方の結果は本人たちに何をもたらすのか
読者にカタシルスをあたえるか
この、詩学の受容の美学はさまざまな思想家や文学者たちのなかに息づいている~
エーコは大きな影響を受け理論に重きをおいた
では「笑い」をどうと捉えたのか
~アリストテレスの哲学思想がキリスト教世界にとって基盤となるものであり、とびきり危険な影響力を持っている
アリストテレスの喜劇論が流布すれば、人々は笑いによって神への畏怖を忘れてしまう
笑いが危険なのは真実を暴く力を持っている~
つまりは、中世修道院における図書館、ここを禁断とした本書と通ずる
書籍というのは「未知の世界に通じる窓」なのである
権力者はこれを恐れ、窓を閉ざす
好奇心「悪」とする考えを権力者たちは持っているのだ
逆に言えば、本書で相反する思想ながら
ウィリアムもホルヘも「笑い」の影響がいかに大きいかを知っているのだ
好奇心を悪とし、閉鎖した世界で洗脳する…
宗教だけではなく、残念ながら子供の教育も似たような部分がある
~人間だけがいつか死ぬことを知っている唯一の動物
人間が笑うのはいつか死ぬことを知っているからではないか
笑いにより死から距離をとって世界を眺めようとするのではないか~
ああ、わかる
「死ぬこと」を知っているって今まで当たり前に思っていたが、よく考えたら凄いことだよなぁ
いつも「死」と隣り合わせで生きていることを知っている我々人間
「死」に近づかないために、「死」を忘れようとするために、「死」はずっと先のことにするために…
「笑う」のだろう
笑うのだって人間だけだもんね
まさに哲学です!
~犯罪はそれぞれ別の犯人がいるか、さもなければ犯人はいない
殺そうと思って殺したわけではない
生真面目に読んできたけど、結局ただ一人の真犯人などいなかった~
和田氏は
「もう笑うしかない」という(笑)
「脱力感のなかに、そうしたカタルシスを味わわせてくれるこの物語の醍醐味という真実が感じられる」
「頭脳明晰なウィリアムが結局謎を解けなかった → 理性の限界、人間の知への驕りへの警告」
いちいち納得させられた
が、一番強烈なのはこのひとこと!
↓↓↓↓↓
「ミステリーのパロディ」
一瞬絶句したものの、まさに!確かに!と何度もうなずいてしまった
そうか!
エーコ様は喜劇や笑いの持つ力を使って本書を書いていたのだ
だから全体的にユーモアに富んでいたうえ、結末が肩すかしと驚愕で終わったのだ
私は哲学には疎いが、カタルシスって喜劇でも味わえるんじゃないの⁉︎
もしかして…
本書だけでなく、さらにこちらの解説書にまで深く深く考えさせられた
悶々、モヤモヤから始まったものの、考えを重ねるにつれ、少し霧が晴れてきて…
ああでもない、こうでもない、もしかしたらこういうことか?いや、違うか…
そんなことの繰り返しで…
ああエーコ様の仕掛けにまんまとハマってしまった
でもなんだか清々しい
ん?
これもある意味カタルシスなの?
もしかして…
- 感想投稿日 : 2023年4月11日
- 読了日 : 2023年4月11日
- 本棚登録日 : 2023年4月11日
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