私の部屋にも、本が溢れている。
大学入学以降自由にできるお金が一気に増えたせいか、はたまた古本屋という魔物に出会ってしまったせいか。
ここ数年で蔵書は増えに増え、現在三千冊近くが部屋を占拠している状態だ。
ホームセンターで入手した天井までの突っ張り本棚四つと、その間に棚板を渡してできた棚二つ分。
そこにさえ収まらず、結局衣装ケースの上とベッドの下も、本が占領している。
ついでに言うなら、文庫の棚は前後二列だし、並べられない分はすき間に詰め込んである。
「もうすぐ引っ越すし」を口実にほったらかした末の惨状を横に(机に座り、左側の壁一面が本棚なのだ)、流石に「こりゃ汚い…」と漏らさずにはいられない。
四月になればもう少し広い家に移るので、少しはましになるだろうけれど。
漫画や雑誌は売りに出せても、その他の本は好き嫌い関係なく囲い込むタイプなので、きっとまたしばらくしたら同じ事を呟く羽目になるのだろう。
だけど、そんな私にも、本棚一つで事足りていた時代があった。
高校生の頃までの私にとって、「私の本棚」といえば、幼少時に親から買い与えられた重厚な木の本棚一つだったのだ。
H.A.レイの『星座を見つけよう』や『せいめいのれきし』。
エンデの『はてしない物語』やトールキンの『ゆきてかえりし物語』。
私の聖書に等しかった実業之日本社の『世界の民話』やマルシャークの『森は生きている』、三田村信行の『ぼくが恐竜だったころ』。
それから、ページがばらばらになるくらい何度もめくった、学研版『ジュニアサイエンス大図鑑』や、スーパー文庫の『宮沢賢治童話大全』。
全て記すのは流石にやめておくが、並んでいる本のタイトルも多分その大体の位置も思い出せるくらい何度も何度も眺めた「私の本棚」は、本当に満たされていて、本当に美しかった。
多少思い出の中で美化されているところもあるだろうが、余白がなくなった時点で足すことも引くことも許さない雰囲気を持つようになったそれは、施された装飾も荘厳で、よく意味もなくその彫りを指でなぞったものだった。
「あまり本が入らないから」という理由で前の引っ越し時に処分してしまったことが、今更ながら悔やまれてならない。
そのほろ苦い未練のせいか、それとも結局それが私の原点であり理想だからなのか、今度の引っ越し先を思い浮かべる度、私はあの「私の本棚」の復活を予感せずにはいられない。
自分のことなのに、予感も何もないんだけどね。
この本を読みながら、それぞれの本棚を眺めながら、そしてそれに「あなたは私か…?」となりながら、やっぱり行きつくのは私だけの「私の本棚」なのだ。
- 感想投稿日 : 2016年2月7日
- 読了日 : 2016年2月6日
- 本棚登録日 : 2016年2月6日
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