テレビ的教養 (日本の〈現代〉 14)

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  • NTT出版 (2008年4月25日発売)
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大宅壮一がテレビ放送を指して「一億総白痴」といったのは有名なエピソードである。しかし佐藤は、そうした大家の言は彼の教養主義とテレビが相容れなかったもあるが、同時に「教育放送の歴史」を重ねるとき、「一億総白痴」と断定付けられるのか疑問符を提示する。というのも、教育放送の歴史というのは必ずしもNHK教育テレビの歴史と同一ではなく、むしろ後のテレビ朝日となる「NET(日本教育テレビ)」、同様に後のテレビ東京となる「東京12チャンネル」といった民間資本の教育放送チャンネルの歴史やそうしたチャンネルが開局したいきさつのバックヤードとしての教育とメディアの複雑な関係についても視野を広げる必要があるからである。

佐藤はいう。日本のテレビ事情は戦前の国家総動員運動に端を発した精神総動員の影響を受けていると(この精神総動員運動、換言すれば「均整化」であり、戦後の教育界にもやはり引き継がれていた)。戦後テレビ放送がたとえ民間ベースであろうがなかろうが、資本注入にアメリカ政府の影響があろうがなかろうがそれは変わらず、「教育」に対する権威の形成が左右していたのではないかと勘ぐりたくなるほどの完成を見せている。
そう考えるとテレビ神奈川が神奈川県教育委員会の学校放送枠を用いて放映していた「のびる子体操」とか、同様に千葉テレビの「なのはな体操」をニコニコ動画の一部ユーザーのように嘲笑うことはできず、これらもまた学校放送の歴史との間で思考せねばならない事項であるといえなくはないだろう。

放送と教育をめぐる複雑な関係、あるいは(今は昔になっている)教養番組はなぜ生まれたのか、について考えるときに必読な文献であろう。「テレビ有用論」「有害メディア論」の嚆矢となった1940年代の精神総動員運動がメディアにもたらした影響の残滓がどこまでわれわれの思考形成に残っているか、そしてその残滓がいわゆる「クイズショー」に見られないか(少なくとも「ホンマでっかTV」は一度覗き見してその傾向が見て取れた)――テレビやネットを介してやり取りされる教養をめぐる批判的想像力のきっかけとして。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 借受:23区
感想投稿日 : 2012年5月25日
読了日 : 2012年5月25日
本棚登録日 : 2012年5月25日

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