久しぶりに内田先生の本を購読。なにしろ、著作がどんどん増えるので、この本読んだかな、と本屋で考えることも度々。
発語主体は発語という行為の事後的効果と云う。言いたいことは言葉の後に存在する。「我思う、ゆえに我あり」というコギトでは主体しか確実なものはないというが、内田先生によれば主体は事後的に遡及的に確定される、あやふやなものになってしまう。
昔読んだ構造主義の入門では、親族構造のような構造の存在がコギト神話の否定とあったけど、内田先生の言葉論の方が納得するなあ。
2005~2008年にブログに掲載したものをまとめたものだが、改めて読み直すと、考えることが多い。ミスはある人の「責任範囲」と別の人の「責任範囲」の中間に広がる広大なグレーゾーンにおいて発生する。だから、予防はマニュアル化できない、とか。
いやーホントそうだよな。「オレがやっとくよ」という評価されない行為でしか救いの手はないとのこと。
忘れないよう、ブクログのレビューに書いとこ。
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- 感想投稿日 : 2014年1月6日
- 読了日 : 2014年1月6日
- 本棚登録日 : 2014年1月6日
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