暗闇の中で子供 (講談社ノベルス)

著者 :
  • 講談社 (2001年9月6日発売)
3.45
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本棚登録 : 1437
感想 : 182
5

この作品が100%フィクションでありますように、作者の経験が1ミリも入り込んでいませんように、と祈りながら読んだ。

悩んだ末に☆5つにしたけど、『煙か土か食い物』のそれとは全く意味が異なる。
物語として見たら明らかに破綻してるから。ちょっとメタ要素もあるし。
でも作中でもたびたび「嘘のなかでしか真実は語れない」と言われているように、この作品が真実を語るために用意された嘘であれば、破綻していることは欠点にはならないだろう。
事実、この作品にはたくさんの大切なモノゴトが詰まっている。
とことん凄絶で暴力的だけど、なんだか癖になってずっと読んでいたいと思う、そんな作品だった。

話としては『煙か土か食い物』の後日談に当たる。『煙か…』では四郎の人生の伏線が感動的に回収されて、凄く充足感があったんだけど、確かに事件は本当の意味で解決してないのだった。河治夏朗(=四郎の推理では二郎)が放置されてる限りまた別の実行犯が仕立てられる可能性は充分なのだ。

語り手は四郎から三郎に替わる。一人称が全く四郎みたいで兄弟とはいえ似すぎてる…と思ったけど、少しずつ四郎と三郎の性格の違いが浮かび上がる。
この一連の作品の価値のひとつは、虐待家庭で育った虐待されてない兄弟にスポットが当てられていることだろう。虐待されてる子はもちろんツライから、相対的に見てその兄弟の傷は見逃されがちだが、絶対視すれば兄弟の心の傷だって相当だ。この立場を描写してくれたことで救われた人は多いんじゃなかろうか。
三郎目線から見る四郎はめちゃカッコイイ。前向きで行動派で、被害者の会を主宰したり父親の代理として選挙に挑もうとしたり、あの暴力性を忘れさせるほど正しい人間として描かれる。

物語中では事件が起こりまくる。
二郎(推測)が描いたスパイラルを二人の人間が勝手に引き継いでそれぞれ全く違う絵を描き出す。ナスカの猿を描いた男は殺人容疑で無事(じゃなくなって)捕まり、宇宙人へのメッセージを描いた少女ユリオは三郎に保護される。
壊れかけてるユリオとなんとか救おうとする三郎との流血沙汰の日々。
これで終わりかと思うと今度は連続バラバラ死体状況意味不明事件が発生、これもオゾンで巨大化したコドモの玩具にされたことが判明。
すると今度は母親消失事件(事件?)、四郎轢き逃げ事件が発生。最後はいよいよ河治夏朗と対決し、三郎は手足を切断される(!)。

巨大化したコドモの父親がユリオに刺されて命を落とすあたりから物語の均衡は保たれなくなり(ユリオ殺人罪なのに進行上は全く不問、いやその前に巨大化したコドモって!)、三郎が手足を切断されてなお生きてるあたりは完全にシュールだ。
でも物語はそもそも嘘で塗り固められてるものなのだから、おおよそリアリティに欠けることが起こったって、リアリティはリアルじゃない物語に求めるべきじゃないのだ。
「三郎手足ないのにどうやって陽二の死体やら自分の手足やらを隠したんだ?」とかいつまでも整合性に拘るミステリ脳は作中でずっと否定されているのだ。

だから、それぞれのエピソードを通して語られていることは、どうしようもない「愛」についてなんだと思う。

作中の物語は「解決」とは縁遠く終わってしまうけど、作者が言いたかったことは大方言い尽くせたんだろう。
読む前は文庫化されなかったことにヤバさを予測してたけど、むしろノベルズ判でも書籍化されたことに意義のある作品だと思う。


(追記)
ネット上のレビューを読み回ってきました。
3章から三郎の作中作だって説が定説のようですね。
いやぁ、2章で橋本敬が死んでたのに、3章でバラバラにされて校庭に捨てられてたの、ずっと気になってて、「死体はどこで拉致されたんだ?」って何度も探しちゃったんだよ。
察しろ私。
確かに3章から明らかにファンタジー化するよね、巨大化したコドモとか腕に妊娠とか。
…うん、でも2章までだって事実じゃない点は一緒なんだよ。だから全部引っくるめて何某かの真実を語るための虚構ってことは変わらないってことでイイんじゃないかな。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 舞城王太郎
感想投稿日 : 2021年4月14日
読了日 : 2021年4月14日
本棚登録日 : 2021年4月14日

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