なぜ日本人は学ばなくなったのか (講談社現代新書 1943)

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  • 講談社 (2008年5月16日発売)
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P86
ここまで述べてきたように、60~70年代の日本は、ヨーロッパの古典的な教養から離れ、むしろそれを否定するようなアメリカの対抗文化に飲み込まれていきました。
ただ、ここで日米の学生をしっかり区別する必要があります。前述したとおり、アメリカの学生は本を全く読まないと批判されていますが、この当時、日本の学生はまだ読んでいたのです。
ところが70年代半ば以降、キャンパスから教養主義が駆逐されていきます。その結果、岩波新書の初版部数がこの当時でピークを迎え、以後下がり続けます。『教養主義の没落』で紹介された『岩波新書50年』によると、70年代前後の全共闘の時代を境に、それまでの全読者に占める割合の第一位だった大学生が、どんどん順位を下げていった。
 また、同書で竹内氏は、初版購入者に占める大学生・短大生の実質的なシェアが、65年から95年の30年間で8分の1にまで縮小したとの試算を示しています。

P100
 アメリカという国の基本にあるのは、フロンティアスピリット(開拓者精神)、インデペンデントな気概(独立心)です。

P120
 かつては、そもそも学ぶこと自体が身体的だった時代もありました。唐木順三は著書『現代史への試み』の中で、これを「素読世代と教養世代」として区別しています。
 素読世代とは、夏目漱石や森鴎外をはじめ、二葉亭四迷、内田鑑三、西田幾太郎などの世代、その最後尾として永井荷風を指しています。
 もう一方の教養世代とは、芥川龍之介の世代です。

P146
三木清によれば、教養の観念は主として夏目漱石門下の人々、特に漱石の東大時代の師でもあった哲学者ラファエル・フォン・ケーベルの影響を受けた人々によって形成されました。

P180
 マルクスがかつて批判したのは、被支配者を分断する支配者でした。支配者にとっては、そのほうが都合がいいからです。それは哲学者ミシェル・フーコーが『監獄の誕生―支配者と処罰―』のなかで「パノプティズム」として批判したものにも通じます。
 ベンサムという功利主義者が、「パノプティコン」という刑務所の建築様式を考案しました。簡単にいえば、囚人を汚い一室にまとめて収容するのではなく、きれいなドーナツ状の建物一部屋に一人ずつ入れる仕組みです。
 各部屋を明るくガラス張りにする一方、中央に配置した監視塔を暗くしておくと、監視塔からは囚人一人一人が丸見えになりますが、囚人から監視塔の中は見えません。こうして常に監視されているという意識を囚人に植えつけることで、自分自身を自分で監視させようというわけです。フーコーは、この非常に巧妙な管理方式を転用して「パノプティズム」として概念化し、現代が監視社会化していることを示しました。
 この特徴の一つは、囚人どうしがバラバラにされているため、会話が出来ないということです。彼らを一つにまとめると、囚人内部で社会をつくり、食事が悪いだの脱獄しようだのといった相談を始めるおそれがある。そこでバラバラにして一人一人を監視するシステムにすれば、個々人は非常に弱くなり、操作されやすくなるわけです。

P214
 伊丹敬之一橋大学教授は、日本の経営者に自社の利害を超えた大局的観念、「哲学」が欠けてきたと指摘している(「哲学なき経営者の危険」『Voice』2007年12月号)。そこで次のような本田宗一郎の言葉が引かれている。1952年、創業まもない、資本金6千万円の本田技研は、四億円の工作機械を輸入した。
 「私はこの際生産機器を輸入すれば、たとい会社がつぶれても機械そのものは日本に残って働くだろう。それならどっちにころんでも国民の外貨は決してムダにはなるまいという多少感傷めいた気持ちもあった」(本田宗一郎著『夢を力に:私の履歴書』)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ・齋藤孝
感想投稿日 : 2012年2月8日
読了日 : 2012年2月8日
本棚登録日 : 2011年9月23日

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