聞き書きは、文化の継承というよりも、
その「様態」の伝承であって、
事実記録などではない、「記憶」の次元の話なんだなとつくづくに。
伝承というのは、「風習」じゃない、「生きること」に関わる。
●以下引用
記録-今それを読んでみると、彼は他者に伝えるためではなく、自己への確認や納得を求めて、また自分の身がわりに死んでいった人たちのために-これも結局は自分の今のためにということになるのだろうが-書こうとしたことが行間から強く伝わってくる
体験が自己の内部に刻まれるには、それが記憶として沈澱していくためにある程度の時間を必要とする
それゆえにそのことを第三者に語る時の表現は、自己の内部でその人に応じて醸成されてきたものの言語としての発露であること、そうしたことを示していよう
記憶され伝えられていくのは己にとってなんらかの意味で切実であり必要とされることのみになろうし、そうした要求に応ずる形で語り継がれていくのであろう
人や人達の軌跡に、同じような弱さや曖昧さを持った人間が向き合っていくことが、フィールド・ワーク、ことに聞き書きと呼ばれる作業のなかにある
体験を言語によって表現してもらい、それを活字化していくという作業は、疑問を持たぬ限りはごく自然に行ない得ることでもある。近代的な知は固定化を求める。それは時に脅迫に近い勢いを持つ。だからといって固定化し得るもの、し易いもののみが伝えられてきた知の本性ではない。
人が人にその過去を語るとはどういうことなのか、語られること以上に語られ方が多くのことを伝えてくれるのではないか
話す側にある目的や方向性があり、受け取る側一人一人にとってその受け取り方が違っても、それは聞き手が自由にご理解くださいといった姿勢で話すことを、ここでは「叙述」と表現しておくとすれば、前述の教員の経歴をもつ古老の場合-もとよりすべての教員経験者がどうだということではないが-その話は「説明」の度合いがきわめて高いことになる。そうしてこの一世紀は「叙述」的な語りをする古老が急激に少なくなり
けれどもその家を辞して玄関から一度外に出ると、そこで飛び上がりたいような衝撃に襲われた。話し手はかつての日々のことがらを飾り気なく示したにすぎないのだが、そこには聞き手の気持ちをさまざまに触発する表現のかたまりが連なっていた。あれは何だったんだろうか、当時も今もそう思っている。
明治になって学問が入って来て、みんなが字を知らなきゃならなくなったとき口頭伝承方式の生き方のくずれかたというのは、私はすごかったように思う。
こうして何十時間も何百時間も話を交わしていくと、そのおじいさんの背負っている生き方-ひいては文化-と、私の生きかたとが切り結びを始める。そのおじいさんの話を聞けば聞くほど、私がこれまで背負ってきた自己というものを見つめるはめになる
それは、先方がひとつの体系をもってあらわれるだけに、自分が、いま、ここにこうした形で存在しているということについて、ある体系でとらえようとするにはどうしたらいいのか、そうした問いをつきつけられていく
聞き書きとは、そうした時間にふれて、自身の足元を見つめなおしていく作業ではないのか、私の聞き書きについての覚え書きは、自然とそんな方向に帰結していく。その先にあるのは、「今」という時間の意味を探る行為にあろう。
自分の暮らしを支えている事象をそのまま記述し、そのことで己の暮らしを見つめなおしていこうとしている人
日々の暮らしの記録。自分の足元を見つめなおしていく作業の手ごたえを感じとる
「民俗」というのは別の言葉で言うと古くから伝わってきたもの、ということですな
-そうなんですがね、ひとつ条件がつくんですよ。自分はそれで生きてきた、という。
語るということは本人自身が明確には意識していなかった心の底のうねりが形となり、広がっていくことでもある。そしてそれは一旦口について出ると、確固たる存在に変わることもあり得る
言語を媒介とせずに伝えられてきた世界を、たとえば文字に頼ることなくつくりあげられた世界を、近代的言語を通して把握しようとした時に芽生えたものが民俗学であるならば、同時にそこには内在する矛盾も生まれ育ってきたことになる。
- 感想投稿日 : 2013年4月26日
- 本棚登録日 : 2013年4月26日
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