STUDIO MUMBAI : Praxis

  • TOTO出版 (2012年7月11日発売)
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私もモックアップのように捉えるという視点に賛同します。「学ぶ」ということは、学ぶ対象に深く関わり、その結果理解することですね。

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塚本──その通りです。「学び」は相手との違いを認め、これを受け入れることであって、相手をこちらに都合よく変えてしまうことではありません。民藝における創作は素材との対話があるのでその間違いを犯すことが少ないのに対し、近代以降のデザインと呼ばれるもののなかには、物事に内在する自然のささやきに耳を傾けずに、それをかき消し、相手を凌駕する形や意図を与えてしまうことがあります。
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ジェイン──実は、フラグメントが持つ浸透性、モックアップ、学ぶことの関連について、ここ1カ月くらい考え続けています。そのなかで「魂(Soul)のマテリアル化とは何か」という問いに行き着きました。建築物のように、目に見えない魂を目に見えるものにするのは可能なのかと、なぜだか理由はわからないのですが、自問しているのです。塚本さんは、魂は建築のなかに体現できると考えますか?

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その屋根を見た大工のひとりが「大きな屋根ですね」と言う代わりに「鳥の翼のようですね」と言いました。彼は、屋根を屋根として見たのではなく、鳥の翼として見たのです。鳥の翼のように軽く優雅なものとして、屋根を捉えたのです。素晴らしい見解だと思いました。彼のこの屋根に対する表現が、時と場所を超え、時間をスローにするということを表わしていると思いました。

そこにあるものに、ある程度なりたいように振る舞ってもらう建築、という意味です。あなたがそこにあなたのアイディアを組み込みながらも、その環境や状況に合わせた、なすがままに生み出された建築、根本的にはこちらでは変えようのないものと共存した建築、とでも言ったらいいでしょうか。

、私は「コントロールできない建築」ではなく「信頼から築かれた建築」と表現しようと思います。

一番大事なのは、そこに感情が存在するということです。その時に、その建築物が、石やガラスそのほかなんの材料でできているのかということ自体にはあまり意味がありません。ですので、時間をスローにするという概念は、物理的ではなくてより心理的な概念なのです。

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つくりながらアイデアを練る。その場でそれを試したり、、


専門分野も関心も業種も異なる人たちを受け入れる。これだけの人が集まって、いったい何をするんですか。-ある意味ではそれを考えることが私の役割かもしれません

どんな物理的な介入をするにも、こうしたポテンシャルを伸ばすつもりでやります。「そうだね、これは大事にしなければ」「これはもっと活かそう」「どう介入すれば、ここにある物の良さや情緒を損ねないだろうか」。そこには歴史、時間、参加の感覚がある。そうした蓄積の上に、現在と将来を重ねていく

スタジオの運営でいちばん重要なのは、共有の意識を持ち続けること。透明性が保たれていなければ、うまくいきません

ドローイングの良いところは、プロジェクトの進捗状況に敏感になれるところ

この体験は衝撃的でした。いきなり自分の見解を求められたのですから

★彼らの眼を通して、初めて見えて来るものがあります。彼らに同意したり、しなかったり、彼らが参考にならなかったり。そこから自分の血と肉となるものを吸収していくのです

見るということは、好奇心があるということでもある。好奇心がなければ、いったいこれはなんのために存在するのか、これはどんな位置づけにあるのか、妥当性はあるのかといった疑問もわきません

謙虚さ、慎み深さ、そしてなぜと問いかける好奇心を忘れないこと。

忍耐強い人は、融通が利く。耐性もある。したがって帯域幅も増え、そのぶんゆとりができる。そうした資質を養うこと。それさえあれば、残りは自然と収まるところに収まります。

目を凝らして凝視する。それは「見ることとつくることは、最初の芸術行為」

ドローイングとは、考えること、ある考えが辿った軌跡、一点からまた別の点へと動いた痕跡

見る力は内へと入ってゆくが、知る事は周囲を廻ることに過ぎない。美への理解には分別より以前に直観の力が働かなければならない

ものを見た時、先ず裁いてはいけない。-先ず受け入れよ
ということ。受け身の立場に立つことが寛容。

バワの空間づくりの仕方というのがこれまた独特でした、なんというのか、力みがないんです。空間の位置も構えもさらっと決めているような感じで。ちょうど武術や柔術の型に無理がないのと似ています。しっかり構えて、相手の動きから目を離さないのに、動きは滑らか。そのほうが身体は動く。

「インド経営大学について」
あの建物の偉大さは、その重量感、まるで大地から生えて来たかのような接地の仕方にある。重力の扱いが-重さを感じさせるのに、それが制約になっていない。そういう次元を超越してしまっている。

➡僕は、大地に屹立しているという風に映ったけれど、しかしそれは、決して重力に対して肩肘を貼って、無理強いをしているという風なものではなかった。重力に対して、一切の抗力が見られないにもかかわらず、しかし確かに「建っている」。松本峻介の立てる像にも近いものを想起する

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感想投稿日 : 2017年3月28日
本棚登録日 : 2017年3月28日

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