蕎麦屋のしきたり (生活人新書)

著者 :
  • NHK出版 (2001年11月9日発売)
3.53
  • (5)
  • (14)
  • (16)
  • (2)
  • (1)
本棚登録 : 143
感想 : 11
3

2019年11月11日読了。

●蕎麦屋という商売は400年前以上からあると言われて
います。


●都々逸(どどいつ)
→俗曲の一種。最も代表的な座敷歌で,典型的な近世歌
謡調7・7・7・5型をもつ。18世紀末名古屋の熱田
で流行した潮来(いたこ)節に由来する。天保年間に都々
逸坊扇歌が江戸の寄席で,新しい曲風で歌って以来普
及。〈どどいつどいどい,浮世はさくさく〉という囃
子詞(はやしことば)が,都々逸の名の起りとする説もあ
る。

●「通りすがりの人をお客にする店」
 →現在の“藪”の形態。
 →「生蕎麦」を売る事ができ、「もり」が中心になる。
  「瑞々しい」「ツルッツルッ」としたお蕎麦で、
細打ち。
 →汁は濃く、辛くしないと蕎麦に合わない。

●「町のヒマな人をお客にする」
 →「簡便料理屋風に、良い酒を置き、つまみにも力を
入れ、ご近所の応接間、寄り合い所」

●「町中のお店に出前をする」
 →現在の“砂場”の形態。“更科”も出前が主体。

●「道光庵」は初め浅草にあり、後に世田谷に引っ越しま
したが、「蕎麦山門入不許」という石碑が掘り出され、
再度有名になりました。
なにしろ、蕎麦屋の「庵号」の元祖ですから。

●ご近所が引っ越していって、あとに代わりの人が来ると
「引っ越し蕎麦」が欠かせません。向こう三軒両隣に蕎
麦を配り「細く、長いお付き合い」をお願いします。
これが、昭和中期まで普通の習慣でした。

●本来「地酒」というのはその土地の酒のはずです。
そうであれば「東京の地酒」は「澤乃井」くらいでしょ
う。
現在の「地酒」は「重宝の酒」という意味で、江戸では
「本場」ものはやはり「灘」になります。ですから、
古い蕎麦屋は「灘」しかおいていないのです。

●そもそも焼酎は、中世ヨーロッパで流行った
「錬金術士」が何でも「蒸留、乾留」してみたのが始まり
でたまたま葡萄酒の搾り粕を「アランビック(蒸留のア
ラビア語)」したら大変よく酔っ払えるものができ〜。
焼酎の日本渡来は、琉球が本命です。

●神田の「まつや」さんは、この「小判焼き」を店売りし
て大変な評判になりました。
「玉子焼きを焼くのに、三人手を取られてしまう」ので、
現在の「まつや」さんではご予約制の品になっておりま
す。その他、代表的なつまみは、「板わさ」「わさび
芋」「焼き海苔」といったところでしょう。

●蕎麦は「穀物」ではないことになっています。
これも僧侶の心願で「木食」になった人は、米、麦、
粟、豆、稗を食べませんが、蕎麦はこの戒律で禁止され
ている食物に含まれておらず、それで僧侶と蕎麦とは
縁が大変深いのです。

●蕎麦屋の腕がはっきりわかるもの…「玉子とじ」
まず、そのお店の「出し汁を引く技術」が問われます。
肉類ですと、種から出し出るのでわからなくなります。
ところが、玉子では、汁を沸騰させると出し気は飛ぶだ
けで補給がありません、最初から、しっかりと出し汁が
利いていなくてはいけないのです。
次に、玉子とじの汁は「辛濃い目」の味でないと美味し
く食べられず水っぽくなります。ところが、玉子とじ用
の汁を別に作りませんし煮詰めるわけにもいきません。
どうするかと言うと、「振り物」という、蕎麦を湯通し
して熱くし汁をかけても冷めないための工程があり、
その時「振り笊」という目の詰まった笊を使いますので
やり方次第で湯を残したり、振り切ったりできるので
す。
その次には玉子の幕が「糸のようにつまみ上げられる」
玉子の筋でできていなくてはいけないのです。板のよう
なものは落第です。
それには玉子の溶き方が問題で、かき回しすぎて泡がで
きてはだめですし自身がよく切れていないと、どぼりと
飛び込むという厄介さがあります。
玉子とじの玉子を流し込む時には「片口」で溶き、汁が
煮立ってきたら菜箸でぐるぐるといきおいよく渦巻きに
かき回し、口にその菜箸をあてがい、その箸の先を伝わ
ってかき回されて渦を巻いている沸いた汁のふちの方に
糸を引くように流し込むと汁におちた玉子の糸は一瞬の
うちに煮え、玉子の糸が中心に集まって幕をこしらえて
行くのです。

●「南蛮」という言葉で論争が起こっています。
一つの説は、「福翁自伝」にも出てくる「難波煮」から
きたものだというのですが「難波煮」の記事以前から
「鴨南蛮」はあります。
「葱が入ったものを南蛮という」という説、
「葱の油で炒めて煮付けたものを南蛮という」
という説、「葱を焼かなくては南蛮ではない」という説
などあり、あまりやかましいので、昔の「藪」の旦那は
「鴨蕎麦」とメニューに書いたそうです。

●「天婦羅蕎麦」は蕎麦屋の代表的な「種物」ですが
鴨南蛮や玉子とじが発売以来150年間ほとんど変わら
ぬ形であるのに対し、このくらい格好や売り方が変わっ
たものはありません。
〜江戸で魚のひらきに小麦粉の衣をつけて揚げた「天婦
羅」ができたのは、1750年以降のことだそうで、
その名前の由来はポルトガルで揚げ物のことを
「テンポラ」というからだとか、「天竺からぶらっと来た
から」だとか色々言われておりますが、江戸では屋台の
天婦羅屋もあったそうで、庶民の食べ物からだんだん高
級化しました。

●職人のいましめに「煮え前は恥、蕎麦の煮すぎは恥じゃ
あない」というのがあります。
「生煮え」の蕎麦を出すのは恥なのです。

●一番多いのが「やぶ」の付く暖簾で約300軒。
次が「更科」で160軒。
3位が「長寿」、4位が「大むら」、5位が「満留賀」
6位が「朝日」と「松月」、8位が「増田屋」
9位が「淺野屋」、10位が「尾張屋」で、
「藪」「更科」と並び称される「砂場」は65軒で11位。

→砂場の暖簾が早くから「登録商標」にされていたから
で、誰でも付けられる暖簾名ではないから。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2019年11月6日
読了日 : 2019年12月10日
本棚登録日 : 2019年10月29日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする