初めて読んだ村上龍先生の作品。
昔ダンスを教えてくれたホセに「ありがとう」と言うために一途に行動する真っすぐなキョウコの姿が眩しい作品だった。
この物語では「生きる意味」の喪失が一つのテーマになっているように思う。
キョウコは上記の通り、ホセに「ありがとう」と言うために行動する。そのために金を稼ぎ、休みを取り、ニューヨークにまで足を運んだ。ホセに会うまでの彼女にとっての「生きる意味」とは、この『ホセに「ありがとう」と言うこと』であろう。読んでいて気になったのは、この生きる意味が達成された後のキョウコがどのように生きていくのかということであった。
だが、その疑問は全く持ってお門違いであったことが読後に判明した。同時に、この小説が単なる冒険小説や感動小説に留まらない小説であると感じた。
それは、「ホセに会う」ことがいつの間にか目的ではなく、途上に過ぎなくなっている点にある。
キョウコは言う。わたしはこれからもずっと、どこかに行く途上にいるだろう。途上にいるのは、落ち着かなくて不安定だが、たぶん何とかなると思う。ホセが教えてくれたダンスが、まるで生きもののように、わたしのからだにあるからだ、と。
ホセに教わったダンスを糧にして生きていくキョウコは、ホセに会い、母親に会わせ、キューバに行った一連の行動も糧にすることができるのだろう。そしてホセの死さえも乗り越え、糧にしていくに違いない。間違いなくキョウコは「どこかに行く途上」なのだろう。この点に旧来の冒険小説や感動小説のような、"華々しいラスト"を良い意味で感じなかった。
その意味では、キョウコ以外の登場人物もどこかに行く途上にあるように思える。
例えば、エンジェルは「子供と大人が連続する人間」という表現を用いた。これは子供と大人の連続性、即ち、特別な瞬間の欠如を意味しているようにも取れる。
このような、壮大なストーリーを描いているようで、実はどの一瞬も「途上」であるという不思議なコントラストがこの作品に感じた魅力である。
- 感想投稿日 : 2022年5月26日
- 読了日 : -
- 本棚登録日 : 2022年5月26日
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