現代哲学 (哲学教科書シリーズ)

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  • 産業図書 (1996年2月16日発売)
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ア・プリオリな知識がなぜ「ア・プリオリ」なのかは科学的に解明しうる(かならずしも実際に解明されることを意味しないが)命題で、その結論を予想すると、「人間の脳がそうであるから」ということになるんじゃないかな。と同時に、ある種の脳機能障害を研究すれば「ア・プリオリ」が普遍的でないことが明らかになるんじゃないかな。

「因果律」という誤謬は脳機能障害だしな!

知識の正当化は会話という社会的な実践から生じるというローティのプラグマティズムは知識の政治(動員ゲーム)化であり、それを経営学の実践理論に昇華したのが野中郁次郎。わりとコミュニタリアン。

ウィトゲンシュタインが倫理と神秘の領域を、哲学的思弁から保護するために、あんな面倒くさい論考をした、それはカントと同じ目的だ、という見方はぼくも同じ。

ぼくの中では反神秘主義という意味での物理主義と、しかし複雑系である人間が実際に解明され尽くすのとはないだろうという意味での形而上学は、両立するんだよなあ。理念と経験の二元論。

複雑系はあたかも自由意志を持っているかのようだというデネットに共感。真理としては決定論が正しいとしても、経験的主体としては自由意志があるものとして生きることができる。

人間と動物を区別したり、心に特別な位置を与えるのは、単に現代の科学の限界だと思う。しかし、科学が現実に心を解明していない現代においては、人間を動物と区別したり、心を特別なものとして扱うことは、理にかなっている。それは実践的に、プラグマティックに、多数派の同意を得られる思想だから。

SF的未来から現代を振り返った視点を想像すれば、もう全部が物質的身体と無意識のせいってことでよくね、という気分にもなる。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 批評・思想・哲学
感想投稿日 : 2012年5月13日
読了日 : 2012年5月13日
本棚登録日 : 2012年4月22日

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