ながい旅 (角川文庫 お 1-2)

著者 :
  • 角川書店 (2007年12月1日発売)
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感想 : 17
5

1945年8月15日日本は敗戦し、武器を使った戦闘は終了した。太平洋戦争ではアジア全域及び太平洋を囲む島々に於いて、一般市民軍人合わせて300万人以上の日本人が亡くなっている。勿論日本以外の国の死者を含めればその数は桁が上がる。武器による戦闘はこの日終結したが、その後待ち受けていたのは極東軍事裁判という方の裁きによる戦いだ。後の世に言う、あれは裁判などではなく、戦勝国による一方的な復讐劇といわているが、そこには法の下に戦う人々の姿があった。岡田資(たすく)中将の名前を聞いた事のある方はそれほど多く無い様に思う。太平洋戦争やその前段の日中戦争などの書物を読む方でも余り印象には残っていないだろう。
彼は戦争末期日本本土決戦に備え東海地方を守る東海軍を司令官として預かっていた。戦争後期に入ると、アメリカは日本の軍事施設のみならず、一般の住宅地を如何に焼き尽くしていくか無差別爆撃を開始する。昭和20年3月10日の東京大空襲では、燃えやすく火の広がりを計算に入れた焼夷弾による爆撃を効果的に実施しており、結果として10万人以上が亡くなっている。その後も各地の主要都市への爆撃は手を緩めず、日本中が無差別爆撃の被害を被る。岡田の管轄する東海地方でも名古屋が大きな被害に見舞われ、無辜の市民が多く被害を受けることとなった。その様な状況下で、アメリカ軍の捕虜をとり、その扱いに関して罪名を受けたのが岡田である。
事件の内容はとらえた捕虜の扱いに関して部下が斬首刑に処したことになる。通常は捕虜の取り扱いを定めたジュネーブ条約(日本は批准してないが従う意思は表明)に基づき、正当な裁判と処理が行われるべきところ、当時の空襲により上位の総軍とも連絡体制が乱れ、裁可を待ってられない状況にある。これを部下達が斬首に処したのである。
一般的にこの手の裁判では、司令官までが関与することは珍しく、他の同様の事例においても司令官の耳に届かない事案として、司令官自ら死刑になる事は滅多に無い。だが岡田は自身の管轄下に於ける罪の責任は自分にありと、裁判で戦うことを決意するのである。通常司令官を法的な面で支える法務少将がいるのであるが、裁判前に自身の関与を否定する遺書を残して自殺してしまう。よって岡田は独り裁判に立ち向かうしか無いのであるが、元の部下達そしてアメリカ側が付けた弁護団と協力して裁判を戦っていくのである。岡田は武器を持たないこの戦いを、自身が信仰する仏教に準え「法戦」と呼ぶ。
争点は部下の行った処置が正しかったか、そもそもアメリカ側が行った一般市民への爆撃自体が国際法違反であり、それによって捕らえたアメリカ兵は捕虜ではなく戦犯である(だから処置するのが当然)といった部分で争っていく。アメリカ側もこの裁判に無罪判決を出そうものなら、無差別爆撃の罪を認めることに成りかねず、検察側も周到に岡田を追い込もうとするのであるが、岡田の嘘偽りない姿勢、部下を守る決意、卓越した人間性に向き合い徐々に態度を変えていく。後半では検察自ら岡田に有利になる様な姿勢まで出てしまう(当然裁判官達も同じだ)。
だが一方ではアメリカ側も自国のしてきたことを国際法違反と認めてしまう事は、他の裁判や戦後の日本統治に多大なる影響を及ぼしてしまう。このジレンマを抱えながら、多くの証言者の意見と弁護によって出された判決は絞首刑。裁判の1シーンとして、アメリカ側の無差別爆撃が国際法違反を否定できず静まりかえる場面、夏の日差しが既に死刑に決まった岡田の牢屋に差し込む場面、最後に刑場に向かう岡田を他の死刑囚達が「南無妙法蓮華経」の声で送る場面など、岡田の態度と発言に心を揺さぶられた読者の胸を熱くするシーンが多々ある。戦争とは何なのか、それによる罪とは何か、そしてその様な状況下で人はどうあるべきか、様々な疑問が湧き上がりながらも、独り最後まで自身を貫き通した1人の日本人がいた事を誇りに思う。
岡田は最後までこの法戦及び牢獄での出来事について後世に残すべく「毒箭」と言う書を残している。本書はレイテ戦記で私を太平洋戦争の世界へ引き摺り込んだ大岡昇平。間も無く終戦記念日を迎えるこの時期に何度でも読み返したくなる名著だ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2023年8月7日
読了日 : 2023年8月7日
本棚登録日 : 2023年5月6日

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