スペンサーシリーズ第38作目。ただし、スペンサーの少年時代を描いたヤングアダルト向けのChasing the Bearを数えなければ37作目である。
スペンサーの今回の仕事は、裕福な年配の男性と結婚した若い女性たちを誘惑し、浮気相手となったあとそれをネタに彼女たちを恐喝したプレイボーイ、ゲイリー・アイゼンハワー(当然偽名)の恐喝をやめさせること。
しかし妻たちの協力もあまり得られず、アイゼンハワーも飄々とつかみどころがないわりには肉体的な脅しにも屈せず、なかなかうまくいかない。
やがて、浮気された夫たちの一人でボストンの黒人犯罪界を仕切るトニー・マーカスともつながりがあるチェット・ジャクソンが実力行使に出たことにより、スペンサーはトニーとのつながりを利用して仲裁し、それで恩を着せてなんとか脅迫をやめさせる。
しかしその後チェット・ジャクソンは何者かに殺され、その妻ベスはゲイリーとよりを戻し、あまつさえゲイリーには長年つきあう彼女、エステルがいるにも関わらず、そのガールフレンドも含めて三人で住み始める。そして今度はエステルが殺された……。
スペンサーはスーザンとの会話でゲイリーや浮気する妻たちの心理分析に長い時間を費やす。ゲイリーは単なる悪役としては描かれていない。何か心理的な問題を持つ興味深い人間として描かれており、スペンサーはこの一件で彼とかかわりあううち、ある種の好意さえいだくようになる。
このストーリーはミステリー要素は薄い。スペンサーが気づく前から、読者の多くは何が起きているのかだいたいわかるし、殺人が起きたときも誰が犯人なのか、どうやってそれが可能だったのか、すぐに見当がつく。トリックや謎を主体に楽しむのではなく、スペンサーやスーザンの視点を通して、色々な人間の心理が描かれていくのがこの巻の魅力、というかテーマなのではないかと思う。
最後はスペンサーらしい終わり。多分彼もゼルに話に行った時点で、ゼルがどんな決断を下すかわかっていたのではないだろうか。しかし、全てを法の手にゆだねるよりはその方がいい、と彼もゼルも思ったに違いない。スタインベックの「二十日鼠と人間」を思い出させるエンディングである。
これでパーカー自身の筆になるスペンサーシリーズはあと2冊を残すのみとなった。まだ入手していないので、ここでしばし中断して、しばらくはパーカーの別シリーズ、ジェシー・ストーンシリーズを読む予定。