思考と行動における言語

  • 岩波書店
4.00
  • (37)
  • (23)
  • (35)
  • (1)
  • (0)
本棚登録 : 773
感想 : 27
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000009775

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 『#思考と行動における言語』

    ほぼ日書評 Day633

    Day631に続き、半世紀、読み継がれる名著シリーズ。が、こちらは分量が凄まじい。350頁ほどながら、1行50文字、最近の同型本の1.4〜1.5倍の文字量、単純計算で500頁換算の大著である。

    それだけのボリュームがありながら、休日1日(実質半日ほど)を費やしたとはいえ、一気読み。現代でも、いや寧ろ、今のような時代だからこそ、興味深く読み通すことができた。

    内容は、あまりにも多岐にわたるため、読んでいただくしかないが、いつものように、幾つか興味を惹いたポイントを。

    言語的世界(verval world)かつ外在的(extensional)な世界との対比から、議論が開始される。外在…は、本来、内在的(intensional)と対比されるべきものなのだが、厳然としてそこにあるものと、言ってみただけ、とを対比するという発想も、なかなか面白い。

    その後、前半は、言葉や表現の仕方の定義に関する論述が続く中、非常に面白かったのが、次の内容。

    貧困者への「施し」を、彼らが失業等といった事態に陥る以前に果たした世間への貢献に対する「保険金」であると表現し、やたらに面倒な手続きを設けることで、出来るだけ「施し」を求める者を排除しようとする代わりに、保険料を払ったものが当然の権利として請求できる「保険金」と考える。この2種類のポジショニングは、同じことなのかどうか?

    後半は、より現実世界の出来事との関係性を強める方向に論が進む。

    人種や性別に関する差別的とされる表現の変遷。ニグロとされていた人たちを、ブラックと称することが好まれたが、これも今日では異なっている(「ユダヤ人」が、今日なおそのままなのは何故か?)。

    さらに、ナチスのニ値的思考法(「ナチ党員にあらざれば狂人もしくは愚者」「ハイルヒトラーの挨拶を進んで行わないものは裏切り者」というような考え方)や、共産党・マルクス主義者についても"レッテル貼り"(ブルジョワ的インチキというような)の危険性に言及。
    これらの例でピンと来ない向きには、憲法9条信者の言の方が例として相応しいかも知れない。例えば、災害時救援でも大きな役割を果たしている自衛隊が現行9条では違憲の恐れがあるから、それを明記すべしと言った瞬間に、9条を守れないものは好戦派、戦争をしたいと考えている…と決めつけるあれ、である。
    こうした発想法が、機械学習に取り込まれてしまうと恐ろしいことになるだろう。

    さらに、詩と広告に関する考察も、思考を広げてくれる。
    現代のコピーライターの仕事は、消費財を「詩化」することにある。広告は"スポンサー付きの詩"、従来の意味での「詩」は"スポンサー無しの詩"と呼称を改めるべきなのだ。そして、多数のスポンサー付き詩人が、膨大な数の作品を世に問うている中、スポンサー無しの(本来の)詩人達の作品は、難解の度を極めざるを得ないという。往年の名詩人のような詩を書いたなら、下手なコピーライター呼ばわりされることになるであろうからだ。これは詩に限らず、音楽や映像等の芸術においても、ほぼ同じことが言えるだろう。
    ところが、である。時代が降り、今日においては、ネット媒体の普及により、この区別が再び曖昧になりつつあるのが、また興味深い。

    https://amzn.to/3C75keP

  • 一度では理解しきれず、何度も読んだ一冊。

  • 一般意味論の入門書。

    最近の本として、「ことばと思考 (岩波新書) (今井むつみ)」(2010/10/21)との併読を薦める。

    「サピア=ウォーフの仮説」(言語が違えば人間の思考パタンも違う)と、「普遍文法」(生成文法学派が提唱した「人間の脳に普遍的に備わる言語能力」)は、どちらがより妥当か。

  • ・反応を延滞し、「もう少し話してくれませんか」と言うことができ、反応する前に耳を傾ける。これが、この書が関心を持っている理論的原理の幾つかの実際的応用である
    ・悪い目的で語られる真実は、どんな嘘をも打ち負かす
    ・コトバではなく事実について考えれば、問題に新しい光が投げかけられる
    ・不健康な反応の徴候は、感受性が過敏で、すぐに心が傷つき、すぐに侮辱されたと腹を立てることである。未成熟な精神は、コトバを物と同一視し、不親切なコトバを不親切な行動と見なす
    ・精神科医やカウンセラーの助力のもっとも重要な一つの面は、かれらは決してわれわれにいかなる断定もくださない、という事実である。自分は「ただの」ガソリンスタンド従業員「にすぎない」ではなく「私はガソリンスタンドの従業員だ」
    ・大切なことは、どんな結論に達するにせよ、価値判断の対象である事物についてのわれわれ自身の外在的検討の結果であるということ
    ・本を読むこと―ワーズワースを読んだことのない人は、英国の湖のある地方について何かを見落としている、たとえその人が一生そこに住んでいようとも
    ・言語の使用の結果としてしばしば不一致と衝突が起こりまたは激化される場合には、話し手か聞き手かその両方かに何かミスがあるからなのだ

  • "言葉"が人間にもたらす認識作用についてわかりやすく説明しています。言葉の基本形である叙述文には報告・推論・断定の3つの種類があること。報告は事実を、断定は語り手の判断を述べていること。断定の文は語り手の主観に依存しており、一概に聞き手は肯定してはいけないこと。言葉には事実を伝達する機能と感情を上乗せする機能があること。言葉は必ず具象物の属性を捨象し抽象化されていること。適切な抽象度で対話しないと議論の本質を見誤ること。抽象観念の印象を具象物にそのまま投影するのは偏見を生むこと。などについて例え話を交えて説明しています。自分が言葉について薄々思っていたことも明快に書かれており、頭の整理になりました。大変勉強になりました。

  • Azabu

  • 言語を使って生活をしたり、言語を使って色々考えたりするので、言語ってたしかに僕にとっても重要なテーマかもしれない。文学についての話で、著者がたしか言っていたと思うけど、文学や表現を通じて他人の人生を生きてる感覚は分かる気がする。

  • 思いついてみたことを書いてみた本。NLP(エセ心理学ほう)の人が影響を受けてるのでその文脈で語られる。本はありのような、なしのような、と。

  • 本書は修士課程に入った頃読んで非常に刺激的だった一冊で,私がそれまでぼんやりと考えていたことを明確に理解させてくれると同時に,その後の私の研究の方向性を示してくれた。
    私の研究はそれから多方面に及んでいるような気もするが,本書を読み返すと発想の源泉は20年前と変わっていないようにも感じる。

    第一部 言語の機能
     意味論的寓話――赤目と女の問題
     1 言語と生存
     2 記号
     3 報告,推論,断定
     4 文脈
     5 言語の二重の仕事
     6 社会的結びつきの言語
     7 社会的制御の言語
     8 感化的コミュニケーションの言語
     9 芸術と緊張
    第二部 言語と思考
     第二の意味論的寓話――A町とB市の物語
     10 われわれはどうやって知るか
     11 居なかった小人
     12 分類
     13 二値的考え方
     14 多値的考え方
     15 詩と広告
     16 ジューク・ボックスの中の10セント銀貨
     17 ネズミと人間
     18 内の秩序と外の秩序

    今私が考えているのは,地理空間の認知の問題である。単に空間認知というと,実験に依拠する心理学では,目の前の机上空間だけでことが済んでしまうことがあるが,地理学者の場合はそうではない。実際に自分が身体を移動して覚える「土地勘」のようなものから,世界地図で国の名前や位置を覚えるようなことまでを含む。まさに,身体経験に基づくものから世界地図までを対象にする地理学はそのミクロからマクロまでのスケールの大小が問題となり,地理学者なるものは大小を連続的に認識できなければならないわけだが,一般の人々,そして成長する子どもたちがそうした能力をいかに獲得していくのか,あるいは成人しても獲得しないのか,というところがもっぱら気になるところ。
    経験に基づくボトムアップ的な知識と地図というメディアによるトップダウン的な知識,それは本書の表題の行動と思考に対応するし,その際に言語の果たす役割は大きいと思う。ということで,今の私の思考にもってこいの本。また,本書は「言葉は物ではない」という主張を繰り返すが,その際に用いられる比喩表現が「地図と現地」である。つまり,物が現地だとすれば,言葉は地図であり,地図は現地の情報から得られたものだが,現地そのものではない。というところも,言葉の問題を地理の問題に準えて考えやすい。
    読み直してみると,やはりくどいというか,あまりにも単純化しているという感覚が否めない箇所も少なくないが,それはある意味では非常に大胆で,そして初学者に分かりやすいという側面もある。また,今読み直したからこそよく理解できることも多かった。最近ようやく私もエスニシティについて考えることが多くなったが,本書で登場するユダヤ人のたとえ話や,また日系人である著者自身の話も非常に興味深い。また,著者がヨーロッパ大陸ではなく北米の研究者であることもあり,本書が広い意味でのプラグマティズム的であることも,やはり同時代のマクルーハンやケネス・バーク,ブーアスティンなどの著作家と共通する特徴かもしれない。

  • ことばに関心のある私としては良書でした。
    推論することは悪いことではないが自分が話していることが推論なのか否かは分からなければならない。といったことが書かれていてその通りだなと。実際、普段の会話で「あの人、~してそう」みたいなやり取りはおもしろいことが多いから推論は使われてよいものだとは思うけれど議論の場等ではふさわしくないなと。マスメディアから情報を受けとる聞き手としても注意したいところ。
    文脈が大事ってのは今でいうと芸能人のテレビでのちょっと過激な発言が一部切り取られてネットニュースになって荒れるみたいなことやな。芸能人側は文脈重視してるから気にしてないやろうけど聞き手の力量が下がる恐れはありますね。
    「文学は感情の最も正確な表現であり、科学はほうこくのなかでもっとも正確な報告である。」一つの文学の答えでもあるなーと。生活を生きていく上において感ずる、例えば自分こそ世界でこのような恋をした最初の人間であるというような、独特な感情を創造するものであると。そして作者の表現したいそのままの感情を読み手の心に再現させるために一冊の本になるほどの膨大なフィクションが作られるんだなーと。
    アリストテレスがカタルシスと呼んだものであり、発言のもっとも重要な機能の一つは緊張の緩和であるとのこと。
    芸術の目標が秩序づけの結果読者の自己整頓を若干進展させることってのはなかなかいい定義づけだと思う。自分がなんとなく感じていた感覚を説明してくれるハヤカワさん何者なんだ…!
    第二部
    抽象のはしごおもしろい。語の意味を説明するときには常にはしごをより低いレベルの抽象に下らないといけないのね。そして定義は外在的に。ex.料理本
    多値的な考え方はコミュニケーションに必要なものよね。これができるかできんかで人生の方向性に大きく影響が出ますわ。
    知的に成熟した人は人生で唯一の保証とは内部から来る動的な保証すなわち、精神の無限の柔軟さから来る保証だと知っている。柔軟さってやっぱ大切やな。

全27件中 1 - 10件を表示

S.I.ハヤカワの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
J・モーティマー...
デールカーネギ...
マルクス アウレ...
ジェームズ アレ...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×