国際社会論: アナーキカル・ソサイエティ

  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (404ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000228077

作品紹介・あらすじ

世界政治における秩序とは何か。それはどのように維持されているのか。主権国家システムは生き残れるか。このように問題を立てて慎重に考察していく本書は、E.H.カーの流れをくむ「英国学派」のブルの主著、待望の完訳である。冷戦後のいまこそ精読されるべき「現代の古典」といえる。スタンリー・ホフマン序文。丁寧な訳注を付した。

感想・レビュー・書評

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  • 世界の秩序とはどのようなもので、それはいかなる仕組みによって維持されているのかという問いに答えた、古典的著作。

    国際関係論の分野では「英国学派」と呼ばれている視点から書かれている。リアリズムと理想主義のどちらにも偏ることなく、バランスの取れた視点から、非常に抑制的に構築された理論が印象に残った。


    まず秩序とは、生命・身体の安全の確保、結ばれた契約(約束)の遵守、財産に対する所有権の尊重という3つを普遍的・基本的な目標として追及する、人間の社会生活の様式であると定義される。

    このような秩序は、さまざまなレベルで議論され得るが、国境の枠を超えたレベルにおける議論をするときには、「世界政治における秩序とは何か」ということが問われる。

    本書では主に、筆者が「国際秩序」と呼ぶ、主権国家から成る社会における秩序の問題を取り上げている。もちろん、国境を超えた人びとの関係性は、主権国家を通じたもの以外にも様々な形があり得る。それらを含めたより包括的な概念については「世界秩序」という言葉を筆者は用いている。

    世界秩序は、国際秩序よりもより根本的で原初的なものであり、道徳的に国際秩序よりも優先されるべきものである。しかし、筆者は世界秩序を形成する上で主権国家システムが非常に重要な役割を果たしており、主権国家がどのように国際秩序を形づくり、その特性や限界が何であるのかを把握することは、世界秩序の現状を分析するために大切な土台になると考えている。

    そのために、本書は主権国家システムからなる国際秩序の分析を軸に構成されている。

    歴史的にはさまざまな形の世界秩序が存在したが、現代においては、主権国家によって形づくられる国際秩序が、その重要な骨格となっている。この考え方は、国家が共通の規則と共通の制度による制約を受けながら、国際社会の中で異なる利害を巡って相互に衝突したり協力したりしているという、グロティウス的な伝統に近い考え方である。

    ホッブズのようにいかなる道徳的・法的制限も本質的な役割をもたないとする考え方でもなく、カントのように普遍主義的な価値観を前提にするのでもなく、その中間的な観点から、国際社会を見る立場が、本書の軸になっていると言えるだろう。

    それでは、このようなグロティウス的な国際秩序は、なぜ成立可能なのであろうか?筆者によると、当然ながら偶発的事実の影響はあるものの、その根本には、社会生活の基本的目標についての共通利益意識、そうした目標を支える行動を命じる規則、そしてその規則を実効的なものにするのに役立つ制度の3つの要素が、国際社会の中にも一定程度存在しているからであるとしている。


    本書の第二部においては、このような国際社会を成り立たせる要素のうち、特にその実効性を形づくる「制度」に当たるものとしてどのようなものが存在し、それぞれの特徴や限界がどこにあるのかを、分析している。

    取り上げられるのは、「勢力均衡」、「国際法」、「外交」、「戦争」、「大国」の5つである。いずれも、主権国家の内部に於いて秩序を形成している要素ほど包括的、絶対的、明示的なものとは言えないが、一方で、これらの「制度」の存在を認めず、新しい制度をつくることを唯一の解とすることは、現実を無視した議論であると筆者は考えていると思われる。

    勢力均衡は、冷戦期の米ソによる相互核抑止のような形だけではなく、3ヶ国以上の多国間においても、いずれの国も他の国に対する独断的な命令を課すことができない状態を維持している場合に、達成されうる。勢力均衡は、帝国主義を抑止するという形で、主権国家システムの維持に役立つ。そして、勢力均衡が存在することが、国際法が機能するひとつの条件となっている。一方で、均衡を維持するための手段としての戦争がありうるため、勢力均衡は平和を維持するための条件ということはできない。

    国際法は、主権国家が国際社会の存在を認め、その中における「基本的な共存のための規則」に価値を認めている場合に、各国にその規則に準じた行動をとるよう促す効果がある。国際法は、国内法とは異なり、明確な立法機能も強制力のある執行機関も存在しないが、国際社会が存在する状況において、その存続を強化する方向に作用する制度であると言えるだろう。

    外交は、必ずしも主権国家の間で行われる公式なものに限定されないが、国際社会において、主権国家同士が意思を疎通し、交渉し、互いの情報を集めるとともに相互の摩擦を軽減し、そのような営みを通じて一つの社会に共存していることを、具体的な形で表現する営みである。近年、情報通信技術の発達、多国籍企業やNGOの存在などにより外交のアリーナは多様化してきてはいるものの、主権国家を代表する職業外交官による外交関係の存在は、主権国家同士のやりとりの基本的な形であり、主権国家システムを成り立たせる重要な基盤である。

    一方、外交とは異なる主権国家同士のやりとりの形が、戦争である。戦争は、主権国家その目的を達成する手段の一つとして存在し続けてきた。戦争自体は秩序の破壊をもたらすという印象を受けがちであるが、主権国家はこのような暴力を行使する権限を主権国家に限定することによって、戦争の発生の可能性をある程度制御可能なものにしてきたという側面もある。そして、戦争は国際法を遵守させるための数少ない実効性のある措置でもある。近年、主権国家間では核兵器に代表されるような兵器の能力の拡大などにより、戦争に訴えることの代償が非常に増大している。一方で、国際社会の共通利益の拡大により、戦争に訴えることの利得は徐々に少なくなってきている。このようなことから、主権国家間の戦争は、次第に割に合わないものになってきていると筆者は考えている。一方、主権国家以外の主体による暴力の行使が次第に世界的な規模で影響を与えるようになってきており、戦争自体が持つ制度としての役割が変容してきているとも述べている。

    最後に、大国は、大国間の勢力均衡の維持を通じて国際社会の秩序を維持し、戦争を限定し、封じ込めようとする。また、その勢力圏内の中小国家に対して優越的な地位を利用することを通じて、勢力圏内の秩序も維持する。大国が行使するこのような力は、決して公式化したり明確化したりできるものではない。また、秩序の維持のための大国の行動は、中小国家を含むすべての国家に対して平等をもたらすものではない。そして、大国自身が常に秩序を維持する方向で行動をするとも限らない。しかしながら、19世紀のヨーロッパ列強においても、20世紀の米ソにおいても、大国の存在が一定の秩序を生む効果をもたらしたこともまた事実である。


    このように見てみると、主権国家システムが国際社会の秩序を維持するための諸制度には、どれも絶対的な確実性や論理的必然性はない。そのことに留意しつつ筆者は、本書の第三部で、主権国家システムに代わる選択肢はないのか、主権国家システムは衰退する可能性はないのか、そして主権国家システムを改革するとすればどのような手立てが考えられるのかについて、論じている。

    まず、主権国家システムに代わる選択肢であるが、本書の中では、世界秩序を維持し、より高い水準で秩序の目標を達成しうるようなものは見当たらないとされている。主権国家間の相互作用が著しく低下した世界、世界政府といったシナリオについて検討がされているが、いずれも、秩序の維持やその目標の実現において主権国家より優れていると言える論理的な理由は存在しないとしている。

    それ以外に、新中世主義という形で、世界政府ではない新たな普遍的政治組織が生まれる可能性についても検証をしている。これは、主権国家の地位をより大きな単位、もしくはより小さな単位で代替するような議論である。国家連合、国家の分裂によって生まれる地域国家、国境横断的な非政府組織(テロ組織のような組織もありうるし、NGOや多国籍企業のような組織もありうる)、そして技術進歩による世界的な技術の統一がもたらす「地球の縮小化」が、挙げられている。

    これらの動向は、いずれも注視していくべきものであると思われる。一方で、これらの動きが必ずしも主権国家システムと共存できないものであるという理由はなく、また、主権国家システムがこれらにすぐ取って代わられるほど衰退しているという状況にもない。

    筆者は、主権国家システムが現在の国際秩序を形づくる骨格となっているという現実を直視し、このシステムがよりよく機能するための要素は何かという観点から、今後の展望を本書の最後に簡潔に述べている。

    主権国家システムは、その中の国際社会的要素が保持され、強化される場合にのみ、存続することができる。そのため、共通利益と共通価値に関する総意を維持し拡大することが非常に重要であると、筆者は述べている。

    そしてそのような国際社会が強化されるためには、世界市民文化ともいうべきものが涵養されることが必要である。かつては、「知的」共通要素、たとえば、共通の言語、共通の哲学的・認識論的見方、共通の文芸的・芸術的伝統がこれらを担ってきた。世界の拡大に伴い、これらの共通の基盤は徐々に薄れてきていることが危惧される。一方で、科学や通信技術の発達により、新たな世界市民文化が生まれる可能性も生まれつつある。

    筆者も、これらの動向に言及しつつ、「国際社会の未来は、なかんずく、共通の考え方と共通の価値観の双方を含み、また、社会的指導層だけではなく、社会一般に基盤を持つ世界市民的文化の保持と拡大いかんによって決定されるように思われる」(p.378)と述べている。


    国際社会における主権国家以外の主体が果たす役割の大きさがますます注目される時代になってきた中で、今後の動向を見通すことは非常に難しい課題である。しかし、そうであるからこそ、現在の国際社会の秩序を形づくっている骨組みが主権国家システムであるということを冷静に見通した本書の議論は、重要なものであると感じた。

    本書の中で筆者も述べているように、主権国家システムは論理的必然性を持った仕組みではなく、また安定的なものでもない。しかし、そうでありながらも、国際社会の秩序を形成し、完全ではないものの、一定程度の正義の実現をもたらした。そして、これに代わりうる新しい選択肢はまだ見えてきていない。

    今後の国際社会も、主権国家システムとの相互作用を経ながら形づくられていくと考えるのが、合理的な推論であろう。

    また、主権国家システムであれその他の仕組みであれ、それが成立するためには、そこに「社会」の存在が必要であるということに言及しているのも、本書の重要なポイントであると思う。

    ホッブズのような機械論的な議論も、カントのような規範的な議論も、それだけが秩序を形づくっているということはあまりに一面的である。国際社会においても、その社会を構成する主体間で何らかの共通理解(必ずしも正義に関する構想ではない)があり、それに基づいて互いが行動するからこそ、合意や抑制が実現する。

    そのような国際社会の存在を視野に入れることが、主権国家システムがその役割を十全に果たすためにはどのようにすればよいのかを考えるヒントになる。また主権国家システム以外の選択肢との間でどのように機能分担をしていくことが可能なのかということを考える上で、主権国家システムの特徴とその制約を理解しておくことが大切であると思う。

    本書が書かれたのは1970年代後半であるが、冷戦後、さらにポスト冷戦後といわれる現代においても通ずる、普遍的な視点を与えてくれる本であると感じた。

  • 【無秩序の中の秩序】暴力むき出しの世界観を有するリアリズムでもなく、現実に足のついていないユートピアニムズでもない、国際関係論の世界で「英国学派」と呼ばれる系譜に属する代表的一冊です。著者は、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で教鞭を取ったヘドリー・ブル。訳者は、国際法やアジア関係に詳しい臼杵英一。原題は、『The Anarchical Society: A Study of Order in World Politics』。

    国際社会における力や権力の重要性を指摘されたときに感じる、「でもそれだけで世界が動いてるわけでもないよね」という思いを、具体的にそして的確に表現してくれた内容かと。執筆当時の現実の観察に根ざした「秩序」という概念は、現在においても十分通用する、応用性や適用性の広い考え方だと感じました。

    〜本書の議論は、主権国家システムの暗黙の擁護論となっているが、いっそう的確には、その中に含まれる国際社会と呼ばれてきた要素の擁護にほかならない。〜

    この作品でエッセイ書いたりしたな☆5つ

  • 319||Bu

  • 【勢力均衡について】
    一般的な勢力均衡は、主権国家システムが征服などによって一個の普遍的帝国に変形されることを阻止するのに貢献する。そのような均衡が維持され続けている間は、大国のいずれの一国も、力によって世界政府を樹立するという選択肢は持たない。p143
    ⇒勢力均衡こそが世界政府実現を阻んでいるのではないか。

    【国内法と国際法の相違】
    「相対的に中央集権化された」法秩序と「相対的に分権化された」法秩序との間の相違にすぎない。他方、両種の法秩序には、ともに「社会による実力の独占」状態が存在する。p163

    ゲオルク・シュヴァルツェンベルガー「覇権は、行儀の良い帝国主義である」p261

    「自由行動権(a free hand)」p267
    →明らかに、アメリカ合衆国とソヴィエト連邦との間に存在するような勢力圏の了解は、特定の限定的権利のみを付与するものであり、「自由行動権」を付与するものではない。p269

    【小規模の自己完結的な国家からなる世界というルソー構想の本質】
    すなわち各国家は、それ自身の境界内で、その社会の一般意志のはたらきによって秩序を達成し、国家相互間の関係においては、接触を最小化することによって秩序を達成する世界である。p301

    コブデン「政府間では、可能なかぎり少ない交流を、世界の民族間では、可能なかぎり多くの結びつきを」p301

    「世界政府」p302

    【世界規模での道州制?】
    大国の責任圏に世界を分割する。たとえば、アメリカ・ヨーロッパ連合・ソ連・中国・日本がそれぞれ、世界の特定地域の問題を処理する責任を負い、それらの国々の間では、ごくゆるい協力の形式をとる。
    Cf. Joseph Nye "Peace in Parts" p314

    ブレジンスキー「現代の背理ないし逆説は、人類が、同時に、ますます統一化し、かつ、ますます分裂化しつつあるという事実である。... 人類が、ますます基本的、かつ密接なものとなりつつあるのに対して、個別社会のおかれた状況の違いは拡大しつつある。このような状況下では、近接化は、統一を促すのではなく、かえって、あらたな地球規模での集団化意識によって刺激された緊張状態を発生させる」p327

    ナイの『地域ごとの平和』に関連して、ラジニ・コタニ博士の『未来への踏み段(Footsteps into the Future)』p367

  • リアリズムともリベラリズムとも異なる、第三の国際政治学。近年、その影響力が増しつつある国際社会学派の代表的著作。

  • 10月1日

    レジュメにまとめる。
    読み飛ばしも多い

  •  E.H.カーの後を継ぐ英国学派の大家の著作。ホフマンが序文で指摘するように国際秩序を鋭く考察するブルが経済面を軽視、または本論で取り上げなかったのは悔やまれる。無論、純粋に国際政治理論として、あるいは変化に富みアナーキーな国際社会システムを考察することに重点を置いている点は明らかだ。よって経済面への不必要な考察は求められるところではない。しかし、アナーキーな国際社会における相互依存とグローバル化の萌芽は70年代後半、80年代の西側資本主義国家を取り巻く明らかな環境の一つで、国際秩序になんらかの影響を及ぼす要素であった。これを取りあげた上での彼の論考を読んでみたい。85年に逝く彼に対する無理な要求かもしれないが。

     しかし、それ以外は国際政治の古典派として独特の魅力を提供し続ける英国学派であるブルの考察は非常に思慮深く、示唆に富む。特にここ最近では、アメリカにおける覇権論、覇権安定論、あるいはレジーム論における一連の機能主義的分析が(覇権国、帝国的支配のための)グローバル・ガヴァナンス論を展開しており、こういったアナーキーな国際社会における秩序を論じたのは実のところ英国学派、ブルなのである。なかなかブル以降の英国学派において魅力的で、そして国際政治研究において威光を放つ後継者が見当たらないが、それだけ彼の偉業が大きいとも言える。

     特に2章の分析は明確で、そして国際社会を理解するにの多いに役立つだろう。役者の能力もあるだろうが、ブルの文章技法もわかりやすく、これだけでも読み取り学ぶ価値はある。

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