- Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
- / ISBN・EAN: 9784000245418
作品紹介・あらすじ
幸徳秋水らが処刑された,近代日本最大の思想弾圧「大逆事件」.その真実を明らかにすべく,戦後,再審請求を立ち上げた弁護士・森長英三郎.遺族らを訪ね,抹殺された犠牲者の人間性の回復に心血を注いだ生き様は何を物語るのか.「宴のあと」裁判でプライバシー権を確立するなど,人間のための司法を求め闘った弁護士の生涯を追う.
感想・レビュー・書評
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私たちは本当に安心して「国家」や「政府」に信頼を置いたうえで、法律の運用や解釈について全権を委ねていいものだろうか?
なぜ今更こんな話をするかといえば、110年前のこの日本で、法律の厳密な解釈を建前に、反証の機会を十分与えられないまま死刑判決を受けた「大逆事件」が現実にあったから。
同事件は本質的には、政府による社会主義者・無政府主義者の締め付けが目的であり、政府や司法の「拡大解釈」「恣意的判断」を多分に含んだでっち上げから来る不当判決であったことが多くの研究で明らかになった、いわば「国家的犯罪」と言えるもの。
つまり、冒頭の質問については、国家がいくら弁を尽くして「万全の予防をし」「十分に対策を」と言ったところで、国家は犯罪を犯す可能性がある、という前提を私たちは改めて肝に銘じておくべきだということ。
しかし今の日本で大逆事件を今日的問題として考えている人は果たしてどのくらいいるのだろうか?
この本では、事件から約50年たち当時ですら風化しかかっていた大逆事件の背景に潜む国家犯罪性と、罪無くして罪を負わされた者の復権や名誉回復が置き去りにされた現実を黙過できなかった一人の弁護士・森長英三郎(もりなが・えいざぶろう)が、関係者の心の声を丁寧に拾い上げ、失われてしまった司法の正義を追い続けるさまが描かれる。
勝算がない勝負に対して司法に携わる者として絶対に譲れない一線を死守するために立ち向かうその姿勢は一見愚直。裁判の勝ち負けという結果しか見えない者からは疑問や否定もされうるかもしれない。だが著者はこの本を著すことで、ヨハネ福音書12章に「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが死ねば、多くの実を結ぶ」と記されたように、多くの者の心の中に森長氏の意思を結実させようとしている。
それにしても、この本を読み、大日本帝国憲法下でなされた「誤った判決」が戦後、日本国憲法が施行された後もその誤りは公式に正されず、森長氏が弁護に当たった再審請求の棄却によって、当時の死刑判決は改められず現在も“生きている”事実に愕然とする。
つまり、国家は誤る可能性があるという事実に加え、私たちは国家が誤りをそう簡単に認めないのだという事実からも目をそらしてはいけない。
共謀罪がテロ等準備罪に修正されて施行したことを引用してくるまでもなく、私たちは大逆事件当時とほぼ変わらない危険な時代を生きていることを改めて自覚しなければならない。
なお、この事件は先に書いたとおり「現在も未解決」であって感傷的になるべきではないのは承知で、私がこの本を読んで思い出した『死刑台のメロディ』のジョーンバエズの詞をあげておきたい。大逆事件の被告人とされた彼ら彼女らもこの詞を捧げられる資格があると思うし、いまだ来ていない「勝利」(=your triumph)がいつか来ることを祈って。
Here’s to you, Nicola and Bart
Rest forever here in our hearts
The last and final moment is yours
That agony is your triumph詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
東2法経図・6F開架:210.68A/Ta84h//K