デモクラシー (思考のフロンティア)

著者 :
  • 岩波書店
3.16
  • (0)
  • (4)
  • (21)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 61
レビュー : 8
  • Amazon.co.jp ・本 (132ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000264280

作品紹介・あらすじ

新しい世紀にむけたデモクラシーの深化と徹底化に不可欠な基本的課題とはなにか。デモクラシー理念の歴史的展開を踏まえ、ナショナリズムとデモクラシーの問題や、「精神の自由」論、相互承認論を近代日本の民主主義的伝統に位置づけ直し、その言説と実践の歴史的継承、デモクラシーの再生にむけた解釈学的復権の可能性を考察する。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 前半は、古代ギリシアの直接民主制と近代ヨーロッパの間接民主制を対比的に考察し、それぞれの根幹をなす精神に大きな違いがあることが明らかにされます。

    後半は、近代日本の政治思想史上の中に、「リベルテ・モラル」の系譜が描き出されています。取り上げられている思想家は、中江兆民、吉野作造、石橋湛山、丸山眞男などです。

    本書の特徴として、チャールズ・テイラーがコミュニタリアニズムの立場からおこなった、アイデンティティの承認をめぐる議論を参照することで、主題となっている「リベルテ・モラル」のエートスを現代の政治哲学の立場から補強するとともに、近年国民国家論者として批判を浴びたことが記憶に新しい丸山の思想の意義を改めて評価しているということが、あげられるように思います。

    安易な流行思想となってしまった「ポスト・コロニアル」の観点からの丸山批判に底の浅さを感じてしまうこともありますし、丸山の考える骨太の主体性に関する考察にはまだまだ学ぶべきことも多いようにも思います。とはいえ、「リベルテ・モラル」をめぐる本書の議論には、アプリオリズムの危険性がつきまとっているのではないかという疑念が頭をもたげてきたのも事実です。そういう意味では、本書において描き出されている中江兆民以降の「リベルテ・モラル」の系譜を、もう一度近代日本政治思想史の中に埋め戻していくような作業がなされるべきなのではないかという気がします。

  • 「思考のフロンティア」シリーズということに過剰な期待を寄せていたからであってほしいが、率直に言って失望した。日本で有数の政治理論家として知られる著者による民主政論だとは思えない。まず第一に、「精神の自由の問題」と「近代日本の民主主義的伝統——その解釈学的復権にむけて」との二つの章からなる第Ⅱ部「デモクラシーの徹底化にむけて」には何ら必然性がない。況して、なぜ「精神の自由(liberté morale)」であり「近代日本」なのかという普通に想定される問いに対して予防線を張ってすらいない。結論として暗示されるのが「承認の政治」や「民主主義革命の完遂」というのでは、あまりにも拍子抜けだ。そもそも、根本的な問題として、著者を措いて誰が政治や社会を分析することなしに提示される処方箋に納得できようか。第二に、全体として、あまりにも多くの思想家に依拠した結果として著者自身の言葉が欠落している。第三に、「自由民主主義」と「代議制民主主義」とを半ば同一視するのは、端的に言って有害である。これら二つが何らかの仕方で結合しているとすれば、それは歴史的偶然性であって哲学的必然性ではない。「政治理論」を専攻と標榜する以上、緻密な理論を追究すべきではなかったか。福田歓一『近代民主主義とその展望』(岩波書店、1977年)の方がはるかに古いが有益だろう。

    もちろん、多くの民主政論が近代民主政に傾注する現代にあって、あえて古代ギリシアの民主政に多くの紙幅を割いている点は評価されるべきだろう。また、なぜか日本の思想が軽視される傾向にある日本で、ヨーロッパの思想家と並べて中江兆民や吉野作造、そして石橋湛山や丸山眞男へ言及している点は東西の思想を比較する上で参考になる。元より第Ⅲ部「参考文献案内」を含めて130頁程度の小著である。過度に期待する方が筋違いなのかもしれない。(このように合理化する一方で、やはり主題をより限定して深い洞察を試みるべきだったように思う。少なくとも初学者が民主政論の図式をインプットするのには適していないのだから。)

  • デモクラシーってなんぞや。ギリシア、ローマから現代の討議型デモクラシーまで短くまとめてあった。

  • 読書中。

  • 「デモクラシーの基本問題に関して、表現と内容の双方で政治学の
    初心者にも理解しやすい平易な論述」をした、入門書。

    「デモクラシー」に関する有名な理論を紹介しつつ、今日の
    「デモクラシー」への期待感を結果として表明している。と思う。
    自由とは、選択の可能性が無限に広がっていることと同時に、
    「正しい選択をなす行為それ自体ならびにその適切な選択の帰結
    である良心の安らぎや確信―まさにリベルテ・モラル―の次元」
    (p66)、つまり「選択が正しい選択であると知ることから生じる
    自由」であると定義する。
    そして、その後者の自由の根拠を、近代において何に求めるべきか
    という回答を問うべきだと提唱している。

    しかしなんらかの共同体の「承認の自由」への要求が世界的に高まって
    いる現代においても、やはりというべきか、丸山真男のいう「主体的」
    人民の確立こそに「民主主義革命の完遂」のための答えを求めてしまう
    ところに、政治学の一抹の苦しさみたいなものを感じてしまうのだ。

    戦後、試行錯誤しながら論じられてきた「主体的」人民の確立の手法が、
    結局はアトミズム的な個人の確立と表裏一体であり、しかもアトミズム的
    個人が横行したという印象が広く蔓延している世界の中で、結局はどこま
    で有効なのだろうか。

    あるいは「承認の自由」への要求が大きくなる=なんらかの共同体単位
    での「主体性」が重視される現在の状況において、どこまで「主体的」
    人民の追及の可能性が有効たりえるのだろうか。
    (しかもホブズボームが『ナショナリズムの歴史と現在』で言及している
    スペインのカタルーニャの非独立傾向=国民国家内に止まって「承認の
    自由」を求めるような状況が各国に生じている<=「承認の自由」要求の
    強化>ような現代においてをや!)

    すくなくとも、「主体的」人民を確立させる方向性が、手法的には
    行き詰っているからこそ、「承認の自由」的な発想が生まれ出ている
    のではないかという気がしてならない。
    そこに、現代の政治学のアポリアが存在しているのではないだろうか。

    と、外野からは見えてしまってしょうがない。

全8件中 1 - 8件を表示

デモクラシー (思考のフロンティア)のその他の作品

千葉真の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
マックス ウェー...
ミシェル・フーコ...
有効な右矢印 無効な右矢印

デモクラシー (思考のフロンティア)に関連するまとめ

ツイートする