プラントン全集 3 ソピステスポリティコス

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  • Amazon.co.jp ・本 (488ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784000904131

作品紹介・あらすじ

日常の会話を思想の対話に高めて、そこに理論と心理のドラマを展開するような、文学作品としてのプラトン対話篇から、わたしたちはなおいろいろのものを学ぶことができるだろう。

感想・レビュー・書評

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  • 分割していって、真理探究するっていう手法も面白いが、
    政治家に大事なことは、《大胆さ》と《慎重さ》のふたつだと、
    プラトンが言ったことは面白い。
    これを読んでのことかはわからないが、マキャヴェリが『君主論』で同じことを書いている。君主に必要なのは、大胆でありながら思慮深いことだ、と。

  • 今回は前ほど難解でなかったので助かった。「テアイテトス」の翌日という設定で、「ソピステス」ではソフィストについて、「ポリティコス」では政治家について、それぞれ何であるのかを「分割法」なる独特の方法を基礎に検討を進める。本来はこれに哲学者を加えた三部作になる構想があったらしいが…。
    「ソピステス」ではソフィストの定義を考える過程で「あらぬもの」があるとは可能なのかどうか、「あるもの」や「あらぬもの」のイデア的な存在論などが議論される。解説で「パルメニデス」のイデア論反駁との関連を指摘されていて、それがまさによく分からないところだったのでありがたかった。
    「ポリティコス」はおなじみのミュートスあり、「国家」の縮小バージョンのような内容もあり、実際の不完全な国家における必要悪としての法律についての話もあり、けっこう盛りだくさん。「国家」のように政治家(王)はソフィストではなく哲人政治であるべきだと言いたいのが透けて見えるのだが、そこまで断定しないのは三部作で哲学者を後に論じる都合上だったのだろうか。しかしやはり政治の理想を語るプラトンは生き生きしていて、政治家を志していた未練が感じられる。三回目のシラクサ島行きの前後のどこで書かれたかははっきりしないらしいけど、行く前の希望を持った状態で書いたのか、後の夢破れて改めて理想と現実を語る状態で書いたのか気になるところ。

  • 高田馬場の古本屋にて2000円で購入。読了日は判らないので適当に。真の知恵と真の政治家を巡る対話篇二篇。『テアイテトス』や『パルメニデス』での成果に気を良くしたのか、ここでもエレアからの客人の論法は冴え渡り、最早師ソクラテスの口寄せは不要とばかりに独自のディアレクティケーを展開する。

  • 前書は存在論、後書は政治家の知識に関する対話。

  • プラトン全集は,12巻の『ティマイオス/クリティアス』,5巻の『饗宴/パイドロス』に続いて3冊目。「ティマイオス」は「自然について」という副題が,そして「クリティアス」には「アトランティスの物語」という副題があるように,地理学者にとって興味深い内容だ。一方,「饗宴」にも「恋について」と個人的に興味のある題材だった。
    実は,本書3巻は自分で購入したものではない。大学院にいた時に,ちょうど私の大学は大学院の定員が毎年増えている時期だった。大学院生には一人一つの机が与えられていたが,増員に対応するために余計なものを処分する必要があり,蔵書の多くを処分していたのだ。この1冊も捨てられようとしていたもの。
    当時は地理学専攻でプラトンを読む人などありえず,私自身も読もうとなど思っていなかったが,あまりにも想定が美しくて捨てるのが忍びなく,私が引き取ったのだ。
    しかし,卒業論文ではじめた場所研究がエスカレートするなかで,プラトンの「ティマイオス」やアリストテレスの『自然学』は必読文献になってきて,やはり1冊読むと他のも読んだほうがより深く理解できるということで,機会があればできるだけ読んでみるようになってきた訳です。この全集は古書店で購入してもそれなりに高いわけで,そんな意味では大学から引き取ってきたのは今から考えると随分お徳だったわけで。
    さて,書名だけでは内容が分からないのがプラトン全集。この3巻は後半の「ポリティコス」は想像できるものの,前半は全く何のことやら分かりません。前にも5巻の時に説明したように,プラトンの著作は対話篇という形式をとっていて,4,5人の登場人物が出てくる。そして,そのなかの主たる語り手の名がそのまま書名になることも多い。「ソピステス」ではプラトンの師,ソクラテスの他,テオドロス,テアイトス,そして名のないエレアからの客人が登場し,主たる語り手はこのエレアからの客人で,彼は「ポリティコス」の語り手でもある。そして,「ソピステス」では全編にわたってテアイトスを相手にしゃべりまくる。「ソピステス」の主題はソフィストとはどんな人たちのことをいうか,という点に絞られている。なので,「ソピステス」とはなんなのか,読み終わっても不明だ。と思ったら,「ソフィスト」のギリシア原語に近い読みが「ソピステス」なのだってよ。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%88
    まあ,ともかくこの頃は「修辞学」というのが学問でも重要な一分野であったように,聴き手を納得させる話術ってのがここでも活かされているわけです。ソフィストってのは知識人の一種で,本書ではかなり悪い人物として批判の対象になっている。正確でない知識を他人に与えることで人をだましているような,そんな印象です。さて,この客人はソフィストの特徴を伝えるのに,思考実験のように「魚釣師」を例にしている。魚釣りとは一種の技術であり,技術には自ら作るものと何かを獲得するものとある。魚釣は獲得する技術であり,獲得するもののなかでも積極的に奪い取るものではなく,かかってくるのを待つ狩猟するものであり,狩猟するもののなかでも無生物ではなく生物を対象にする,云々...
    とアリストテレスの三段論法ではないが,ひたすら「何であるか」と「何でないか」を区別しながら,対象の定義を徐々に狭めて行くという論法は当たり前のものでもあるが,ここまで極端にしつこくやられると新鮮だ。
    そして,実は「ソピステス」で何よりも興味深いのが,ソフィストとは何かという定義として辿り着く結論ではない。「何である」ということと「何でない」ということについての哲学的な議論がメチャクチャ面白いのだ。「何である」と「何でない」の区分をもっと単純に,抽象化させると,「あるもの(有)」と「あらぬもの(非有)」とになる。まあ,簡単にいうと,「あらぬもの」という状態を示しているが,「ない」という状態はそもそも「もの」として指し示すことができるのか,という難癖をつけているのだ。最後の方でエレアからの客人はソフィストの定義を示すに際し,この問題は解決したというようないいかたをしているが,果たしてそうだろうか。いまだにこの問題については哲学的遊戯として楽しまれているように思う。
    さて,「ポリティコス」だが,これもまたエレアからの客人の独壇場だ。今度は話し相手を「若いソクラテス(ソクラテスと同名だが別人)」にし,まだまだ語る。話し相手をテアイトスから若いソクラテスに変更したのは,テアイトスの疲労を考慮してだが,自身の方が疲労しているのではないだろうか。しかも,「ポリティコス」は「ソピステス」よりも分量がかなり多い。しかも,「ソピステス」のような文彩上の効果ではなく,なにやら余談が多いような。ただ,そこで示される理想的な政治家像は,同じく理想的な政治体制を論じた『国家』との関連も大きいようで,やはり『国家』を読まねばいけないなあと実感。
    ともかく,刺激的な読書です。

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