諸国民の富 全5冊

  • 岩波書店
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  • / ISBN・EAN: 9784002010182

感想・レビュー・書評

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  • もっと前に読んでいれば、人生が少しは変わったかもしれない。後悔は先に立たず。自分が育ったころは、今に比べれば左翼が全盛であり、学校でも社会主義国家があたかも理想のように教える先生がいた。今の知識をもってすれば、社会は理論では割り切れないものだ、単純なものではないとわかるので、読んでおけばよかったと思う。
    (一)
    〇一国の資本総額が「有用で生産的な」労働者の数を決定する。
    〇ハッチスン「社会生活の必然性」孤独な人というものは、どれほど強く、またどれほどもろもろの技術につうじていようとも、「最良の土壌または気候のもとでさえ、ぎりぎりの生活をするための必需品をやっと自給しうるにすぎない。
    〇その人の生活上の地位についての経費は、このような労働の価格でまかなわれなければならないし、この労働は、他のどのような労働とも同じだけの報償を当然受けるべきである。〇人間の本性を支えるために絶対に必要な程度を超えるいっさいのことがらは贅沢であり、その結果、清潔なシャツを着たり、いごこちのよい住居に住んだりすることさえもが悪徳なのである。
    〇ある国民の政策はいなかの産業を異常に奨励し、他の国民のそれは都会の産業を奨励してきた。ローマ帝国の没落以来、ヨーロッパの政策は、農業、つまりいなかの産業よりももろもろの工芸・製造業及び商業をいっそう好遇してきた。
    〇その多くのものは、労働をこれほど多数に細分することも、また作業をこれほどはなはだしく単純化することもできない。にもかかわらず、分業は、これを導入できるかぎり、あらゆる工芸の労働の生産諸力を比例的に増進させる。
    〇分業の結果として同一人数の人がなしうる仕事量が増える理由は、①個々の職人の技巧の増進②仕事から仕事へ移る場合の時間の節約③たすうの機械の発明。
    〇およそどのような人でも、自分の資源から自分の収入を引き出す場合には、自分の労働か、遺文の蓄財か、または自分の土地かのいずれかに仰がなければならない。
    〇独立の製造業者は、親方のもとで働く渡職人の賃銀と、その親方が渡職人の所産を売却してあげる利潤との双方を利得するであろう。
    〇あらゆる特定の商品の市場価格は、実際にそれが市場へもたらされる量と、その商品の自然価格を喜んで支払う人々の需要の割合、いいかえれば、それをそこへもたらすために支払われなければならない地代・労働及び利潤の全価値を喜んで支払う人々の需要との割合、によって規定される。
    〇ある商品の市場価格の随時的で一時的な波動は、その価格の中で、賃金と利潤とにそれ自体を分解する部分に主として影響を及ぼす。それ自体を地代に分解する価格部分がこれらの波動から影響を受けることは比較的少ない。
    〇借地契約の条件を取り決める場合に、地主も農業者も、その最善の判断に従い、その率を生産物の一時的で随時的な価格ではなく、その平均的な価格に適合させようと努力する者である。
    〇独占者たちは、市場を恒常的に供給不足にしておくことによって、つまり有効需要をけっしてあますところなく充足させないことによって、自分たちの諸商品をはるか自然価格以上に売り、それが賃金であろうと利潤であろうと、自分たちの利得をそれらの自然率以上に甚だしく引き上げるのである。
    〇地主・農業者・親方製造業者または商人は、たとえ職人を一人も使用しないでも、すでに獲得した資材で、一年や二年ぐらいはたいてい生活しようと思えばできるものである。多くの職人は、仕事がなければ、一週間とは生存できないであろうし、一カ月生存できる者は少数で、一カ年生存できる者などはほとんどまったくなかろう。長期間をとってみれば、職人にとっては親方が必要であるように、親方にとっても職人が必要なのであろうが、親方にとっての必要はそれほど差し迫ったものではない。
    〇たとえ一国の富が極めて大であっても、もしその国が長く停滞的であれば、われわれはその国で非常に高い労働賃金を期待してはならない。
    〇女性のぜいたくは、おそらく享楽に対する激情を煽るであろうが、それと同時に、常にその主産力を弱め、またしばしばまったくこれを破壊してしまうように思われるのである。
    〇貧困は、たとえそれが出産をさまたげぬにしても、子どもを養育するのには甚だしく不都合である。
    〇労働のゆたかな報酬が富の増加の結果であるように、それは人口の増加の原因である。
    〇社会が停滞的な状態にあるときには労働貧民の状態はつらく、またそれが衰退的な状態にある時にはみじめである。実際のところ、進歩的な状態は、社会のさまざまの階級すべてにとって心から楽しい状態である。停滞的なのは活気にとぼしく、衰退的なのは憂鬱である。
    〇労働の豊かな報酬が繁殖を刺激するように、それは庶民の勤勉をも増進させる。
    〇貧しい独立の職人は、出来高払いで働いている渡り職人よりも一般にいっそう勤勉であろう。
    〇諸君がスコットランドからイングランドに行く場合、諸君が前者と後者における庶民の衣服や顔つきについて気づくであろう差異こそ、彼らの生活状態の差異を表示するに足りるものなのである。
    〇ことわざにいう、「金が金を生む」と。諸君がわずかの金を獲得しておれば、もっと多くのものをたやすく獲得できる場合が多い。非常に困難なのは、そのわずかの金を獲得することなのである。
    〇第一に労働の賃金は、その職業がたやすいものかつらいものか、名誉なものか不名誉なものか、清潔なものか汚らしいものか、名誉なものか不名誉なものか、ということに伴って差異を生じる。社会の進歩した状態では、他の人々が慰みを求めてしていることを一個の職業にいている者は、みなひどい貧乏人だということになるのである。
    〇第二に、労働の賃金は、その仕事の難易及び習得費の大小に伴って差異を生じる。熟練労働の賃金と普通の労働のそれとの差異は、この原理に基づいているのである。労働者は自分がその仕事の比較的たやすい部分に使用されている間に、そのもっと難しい部面を習得し、しかも自分自身の労働が、その仕事のさまざまの段階のすべてをつうじて自分を扶養してくれるのである。
    〇第三に、様々の職業における労働の賃金は、その就業に恒久性があるかどうかに伴って差異が生じる。
    〇第四に、労働の賃金は、職人たちに与えられるべき信任の大小によって生じる。金匠や宝石師の賃金は、どのようなところにおいても、かれらに匹敵する創意をもつばかりではなく、彼らよりもはるかに優れた創意をもつ他の多くの職人のそれよりも優越しているが、これはもろもろの貴重な材料がかれらに信託されているからである。銀行業のようなものは、どうしても普通程度以上に信頼できる人物に限られるであろうし、またこの事情は、もしそういう人物がたくさんいない場合に、利潤率を通常の水準以上に引き上げるであろう。
    〇第五に、さまざまな職業における労働の賃金は、それらの職業における成功の可能性の有無に従って差異を生じる。ある仕事のために教育される特定の人が、果たしてその仕事をする資格をもつようになるかどうかという可能性はさまざまの職業によって非常に相違するものである。機械職人の職業の大部分のものでは、成功はほとんど確実であるが、もろもろの自由職業ではきわめて不確実である。後者の仕事につきたがる人が多いのは、①こういう職業のどれかにおける抜群の成績に伴う名声を得ようとする熱望、②あらゆる人が自分自身の能力についてばかりではなく、自分自身の幸運についても多かれ少なかれ持っている生得のうぬぼれである。あらゆる人は利得の機会を多少とも過大評価し、またたいていの人は損失の機会を多少とも過小評価するものであって、かなりの健康と気力がありながら、この損失を実価以上に評価する人はほとんどまったくない。諸君が冒険を企ててたくさんのくじ券を買えば買うほど、諸君が損をするみこみはますますふえる、ということくらい確実な数学上の命題はない。危険を軽蔑したり、成功について向こう見ずな希望を抱いたりするのは、人生を通じて見れば、青年が自分の職業を選ぶ時期ほど積極的なものはない。冒険生活における危険や間一髪の脱出というものは、青年の勇気をくじくどころか、しばしばそのためにこそ、かれらが好んでこれを職業として選ぶようにさせるものらしい。
    〇最も完全な自由が行われているところでさえ、三つのことがふかけつである。①これらの職業は、近隣でよく知られたもので、しかも長年にわたって基礎の固いものでなければならず、➁これらの職業はその通常の状態、つまりいわば自然の状態になければならず、➂これらの職業はそれに従事する人々にとって唯一または主要なものでなければならない。
    〇適当な資格のある親方のもとで七年働いたということが、普通の職業である人が親方という称号をもらったり、また彼自身が徒弟を持ったりするために必要であったように、適当な資格のある先生のもとで七年修学したということが、学芸においてもまた、先生・教師または博士という称号をもらったり、学生または門弟を持つために必要であった。
    〇徒弟というものはどうしても怠けがちであるし、また事実ほとんどそうなのであって、それは彼が勤勉になったところで直接何の利益もないからである。下級の職業においては、労働の楽しみのすべては労働の報酬にある。
    〇同業組合が創立されたり、大部分の同業組合法が制定されたりしたのは、自由競争を抑制し、そのために必ず引き起こされる価格や、したがってまた賃銀や利潤のこういう下落をふせぐためであった。都会内の様々の階級での取引においては、こういう規約のおかげで損をする者は一人もいなかった。ところが、田舎と取引する場合には、かれらのすべてが大利得者なのであって、この後者の取引にこそ、あらゆる都会を維持したり富ませたりする商業のすべてが存するのである。
    〇印刷術が発明されるまで、学問のある人がその才能によってなしうる唯一の仕事は、公的または私的の教師のそれ、すなわちその人が自分で獲得した新奇で有用な知識を他の人々に伝えることであって、いまだにこの仕事は、印刷術がその誘因となって生まれた書店というもののために執筆する他の仕事よりも、確かに名誉で有用な、しかも一般に有利でさえあるものなのである。
    〇教師の収入が昔より少ないという不平等は、全体としてみれば、おそらくは社会にとって有害というよりも、むしろ利益になるであろう。
    〇労働及び資財のさまざまの用途におけるさまざまの賃銀率と利潤率との双方の割合は、その社会の貧富、その進捗・停滞または衰退の状態によって大影響を受けないように思われる。
    (二)
    〇この価格は地主に地代を全然与えない。この価格がこれ以上であるかどうかは需要に依存しているのである。
    〇食物は、常に多量または少量の労働を購買また支配できるのであって、しかもこれを獲得するために、喜んで何事かをしようという幾人かの人は、いつでも必ずいるものである。
    〇良好な道路、水路および航行可能な河川は、改良の中での最大のものとされる。
    〇富者といっても、食物の浪費という点では貧しい隣人と同じである。その質には非常な差異があろうし、またそれを選んだり調整したりするのには比較的多くの労働や技巧を必要とするであろうが、その量においてはほとんどまったくどういつなのである。
    〇地上にある所有地の地代は、ふつうその総生産物の三分の一に達するものと考えられ、しかもこれは、一般に収穫の随時的な変動とは無関係な確定地代でである。
    〇同一の賃金およびお仕着せ(仕着せ、当時は衣服ばかりでなく、食料品をも意味していた)で満足すべき事。
    〇必需品については事情が違う。必需品の実質価格、つまりそれが購買または支配しうる労働量は、貧困と苦悩の時期に上昇し、富裕と繁栄の時期に下落するのであって、しかもそれは常に非常に豊富な時期である。
    〇これらの国々の住民は現在のウクライナのタタール人よりもはるかに無知であったということをはっきりみとめるであろう。
    〇家畜の増加と土地の改良とは手に手を取って進まなければならない二つの行事なのであって、どのようなところでも、そのうちの一つが他よりもはるかに先走ることはできない。

    〇おそらくはミルクほど腐敗しやすいものはなかろう。それが最も豊富な暖かい季節には、それを24時間保つことはまずできないであろう。農業者は、それで新鮮なバターを作り、その1小部分を1週間ぐらい蓄え、またそれで塩バターを作って一年ぐらい蓄え、さらにそれでチーズを作り、そのはるか大部分を数年間蓄えるのである。
    〇彼はこの利害を悟ることもできないし、それと自分自身の利害の結びつきを理解することもできない。
    〇彼ら自身の利害についてこういう優れた知識を持っていたからこそ、彼らは、しばしば郷紳の寛大さに付け込んで彼を説得し、彼のではなしに彼らの利益こそ公共社会の利益なのだ、という極めて単純であるが正直な信念のもとに、彼が自分の利益と公共社会のそれとの双方を放棄してしまうように仕向けてきたのである。
    〇市場拡大し競争制限するということは、常に商人たちの利益である。
    〇第一は、直接の消費のために留保される部分であって、その特質は、それが収入または利潤を全く生じないということである。
    第二のものは、固定資産であって、その特質は、それが流通することなしに、つまり主人を変えることなしに、収入または利潤をもたらすということである。
    〇社会のそう蓄財が自然にそれ自体を三部分に分割する第三つまり最後のものは、流動資本であって、その特質は、それが流通することによって、つまり主人を変えることによってのみ収入をもたらすということである。
    〇大部分の商品の価格はそれ自体を三つの部分に分解し、その一つは商品を生産してこれを市場へもたらすのに使用される労働の賃金を支払い、もう一つはこれに使用された蓄財の利潤を支払い、第三はこれに使用された土地の地代を支払う。
    〇固定資産の目的は労働の生産諸力を増進する事、言い換えれば、同数の労働者が一層多量の仕事を行ない売るようにすることである。
    〇そのために適切に費やされた経費は、常に大きな利潤とともに払い戻され、しかも年々の生産物の価値を、このような改善のために必要な維持費よりもはるかに多く増加させる。
    〇全社会の安全を危うくするおそれのあるような少数の個人の自然的自由の行使は、最も自由な政府であろうと、もっとも専制的な政府であろうと、すべての政府の諸法律によって現に抑制されているし、また当然抑制されるべきものである。
    〇労働には、それが加えられる対象の価値を増加させる部類の物と、このような結果を全然生まない別の部類のものがある。
    〇人は多数の製造工を使用することによって富み、多数の召使いを扶養することによって貧しくなる。
    〇彼の労務は、一般的にはそれが行われるまさにその瞬間に消滅してしまうのであって、後になってからそれと引き換えに等量の労務を獲得し得るところの、ある痕跡、つまり価値をその背後に残すということが滅多にないのである
    製造工が売るための商品を生産するのに使用される場合や、召使が雇主の安楽のためにだけ使用される場合に限ってこのことは真実だ。
    〇召使いの労務はそれが生産されるまさにその瞬間に消滅してしまうのである
    〇我々の祖先は、勤労に対する刺激が不足していたために怠惰であった。ことわざにも言う徒食は徒労に勝る。
    〇もしある人々の浪費が他の人々の倹約によって償われないならば、勤勉な人々のパンで怠惰な人々を食べさせるわけであるから、あらゆる浪費者の行為は、自分自身を乞食にするばかりでなく、自分の国をも貧困化するのに役立つのである
    〇不始末の結果は、しばしば浪費のそれと同一である。農業・工業・漁業・商業または製造業におけるあらゆる無分別な、成功の見込みのない企画は、浪費と同じようにして生産的労働を維持するために予定された基金を減少させる傾向がある。
    〇無駄遣いについていえば、金を使うように人を駆り立てる本能は、目前の享楽に対する激情なのであって、それは場合によっては猛烈で、抑制することが極めて困難ではあるけれども、総じて瞬間的なもので、しかも時折起こるにすぎない。
    〇財産を増加させるということは、大部分の人が自分たちの生活状態をより良くするために企てたり希望したりする手段である。
    〇大部分の人々についてその全生涯を通じての平均をとってみれば、倹約という本能の方が優位を占めているばかりでなく、甚だしく優位を占めているようにさえ思われるのである。
    〇多数の人々が群がる壮麗な宮廷や宗教上の大営造物を構成する人々、平時には一物も生産せず、戦時には戦争継続中でさえ自分たちを扶養する費用を償いうる何者をも獲得しない大海軍や大陸軍を構成する人々、このような人々がそれである。
    〇人々が増加して不必要な数に達すると、彼らはある特定の年にこういう生産物の分け前を非常に多く浪費してしまい、その結果、次年にそれを再生産するべき生産的労働者を扶養するのに充分なものを残さないようなこともありうるであろう。そうなると、次年の生産物は前年のそれより少なくなるであろうし、しかももしこれと同一の無秩序が続くならば、第三年目の生産物は第二年目のそれよりもなおさら少なくなるであろう。
    〇シーザーの侵入当時のこの国の住民は北アメリカにおける野蛮人とほぼ同一の状態に置かれていたのである。
    〇富者の家屋・家具・衣服は、まもなく下層階級や中流階級の人々にとって有用なものになる。彼らは、上流の人々がこれらの者に飽きてくると、それらのものを購買することができるのであって、こういう経費の使いかたが財産家達の間に普遍化してくると、全人民の家財道具一般もこういう風にして次第に改善されるのである。
    第一に、社会の使用および消費のために年々に必要とされる粗生産物を調達するためか、または第二に、直線の使用および消費のためにこの粗生産物を製造したり調整したりするためか、あるいは第三に、粗生産物かまたは製造品かのいずれかを、それらのものが潤沢な地方から欠乏している地方へ運送するためか、さらに最後に、この両者の特定部分をそれを必要とする人々の随時的な需要に適するような小口に分割するためか、のいずれかに使用しうるのである。第1の方法で使用されるのは、土地・鉱山または漁場の改良または耕作を企てるすべての人々の資本であり、第2の方法でそうされるのはすべての親方製造業者のそれであり、第3の方法でそうされるのはすべての卸売商人のそれであり、そして第4の方法でそうされるのはすべての小売業者のそれである。
    〇親方製造業者の資本の一部は、固定資本としての彼の職業上の用具に使用され、彼がこれらの用具を購入する他の若干の工匠の資本をその利潤と共に回収する。
    〇商業や製造業によって、たった一代のうちに、しばしば極めて小資本から、否場合によっては無資本から、ずば抜けて素晴らしい財産が獲得されるということを毎日目撃している。これと同じ期間に、そしてこのような資本から、これほどの財産が農業によって獲得されたなどという事例は、おそらく現世紀を通じてのヨーロッパではただの一回も怒らなかったであろう。
    〇なんの財産も獲得できない人は、できるだけたくさん食べ、できるだけ少なく働く、ということでもする以外なんの楽しみもありえない。
    〇人間には自尊心というものがあるから、人は権勢をふるうことを好み、自分からへりくだって目下の者を説得することくらい、人に屈辱を感じさせるものはない。
    〇荘園または諸侯領の習慣や風習によって規制されていた。
    〇人間というものは、こういう無防衛の状態に置かれていると、自然、自分たちの必要生活資料が得られればそれで満足するものであって、それというのも、これ以上のものを獲得しようとすれば、自分の圧制者たちの不正を誘発することにしかならぬのであろうからである。
    〇第一に、都会は、田舎の粗生産物に手近な大市場を提供することによって、田舎の耕作や一層の改良に刺激を与えた。
    〇第二に、都市の住民によって獲得された富は、売り物で、しかもその一大部分が未耕作の場合がしばしばあるであろうような土地を購買するのに使用されたことがしばしばある。
    習慣の違いは、あらゆる部類の業務における彼等の気質や性向に自然に影響を及ぼす。
    〇第三に、そして最後に、商業と製造業とは、それ以前には隣人に対するほとんど間断なき戦争状態と上層の者に対するほとんど果断なき奴隷的従属状態とのもとに生活してきた田舎の住民の間に、次第に秩序と善政とを、またそれに伴って個人の自由と安全とを導入した。
    〇国王はその領土での最大の土地所有者であるという以上にはほとんどでなかったのであって、他の大土地所有者たちは共同の敵に対して共同の防衛をするために、彼に対して一定の尊敬を払っただけのことである。
    〇ヨーロッパの現状では、一年に1万ポンドの収入のある人は、20人の人を直接扶養することもせず、といって支配する価値さえもない10人以上の従僕を支配することもできずに、自分の税収入を費消しうるし、また現に一般にそうしている。
    〇大土地所有者たちは、豊富の果ての気まぐれから、人間が真剣に追求するものというよりも、子供たちの玩具にふさわしい小間物や安ピカ物と引き換えに、自分たちの生得の権利を売り渡してしまったので、彼らはどこかの都市の実力ある市民または商人の誰かれと変わらぬような微力なものになってしまった。
    〇商業国では、富の浪費を防止する最も強力な法的諸規制があるにも関わらず、富が長い間同一家族の元にとどまっているということは極めて稀である。
    〇いみじくも言われているように、商人というものは必ずしもある特定国の市民だとは限らない。どこを根城に自分の商売をしようと、彼にとってはほとんど全くどうでも良いことなのであって、ほんのちょっとでも嫌気がさすようなことでもあれば、彼は、自分の資本をそれが維持している一切の産業といっしょにして、ある国から別の国へ移してしまうのであろう。
    (三)
    〇経済学は、二つの別個の目的を立てているのであって、その第一は人民に豊富な収入または生活資料を供給すること、第二は、国家すなわち共同社会に、公共の職務を遂行するのに充分な収入を供給することである。
    〇あらゆる国民は、いざという場合、それで対外戦争なし得るように、平時には金銀を備蓄するために努力しなければならない。
    〇国の富を増加させようと試みるのは、私人の家族に不必要な数の台所道具をしいて持たせることによって、そのご馳走をふみ増やそうと試みるのと同様に不条理である。
    〇ある国民は、遠い地方における軍隊の給与や食料品を次の三つの方法によって獲得しうる。すなわち第一に、それが蓄積した金銀のある部分か、または第二に、その製造業の年々の生産物のある部分か、あるいは最後に、その年々の粗生産物のある部分かのいずれかを海外に送ることによってである。
    〇金銀の輸送が何らかの利潤を伴ったなどというためしはほとんど全くない。これらの金属が外国商品を購買するために海外へ送られる場合、商人の利潤は、その見返り品の購買からではなしに、見返り品の販売から生じる。
    〇ウクライナにおけるコサック族の族長で、チャールズ12世の有名な同盟者であったマゼーパの財宝は非常に大であったと言われている。
    〇ヨーロッパ人の野蛮な不正行為は、すべての国にとって当然にも有益であるべきアメリカの発見という一事件を、これらの不幸な国々のいくつかの者にとっては荒廃的で破壊的な事件にしてしまった。
    〇公共の幸福のために商売しているというふりをする人々が幸福を大いに増進させたなどという話を聞いたことがない。
    〇国内産業を奨励するために外国産業に若干の負担を課すことが一般に有利な場合、第一は、ある特定の部類の産業が国防上必要な場合である。第二の場合は、国内産業の生産物に対して何らかの租税が国内で課せられている時である。
    〇人は自分の毎日の飲食物でどう過ごして失敗することは滅多にない。弱いビールのような安物の種類を惜しげもなく飲んで、自分の気前の良さ親切さをひけらかそうなどとする人は誰もいない。
    〇現在、酩酊ということは、上流の人々、すなわち最も高価な酒類でも容易く買える人々の悪徳では決してない。
    〇ひと財産作ろうとしている私人たちは、その国のへんぴで貧しい田舎に引退しようなどとは決して考えずに、首都か大商業都市かのいずれかへ行こうとする。彼らは、わずかな富しか流通していないところには、獲得されるものもわずかしかないが、たくさんの富が動いているところには、自分たちの手に帰するその分け前も多少はあるかもしれない、ということを承知しているのである。
    〇奨励金を必要とするのは、商人が自分の資本を通常の利潤と共に回収しないような価格でその財貨を売らざるを得ない商業か、または彼がそれを市場へ送るのに実際に費やしたより以下の価格で売らざるを得ない商業だけである。
    〇一つの住民が、その領土が容易く扶養しうる以上に増殖すると、人民の一部は新しい住居を求めて世界のどこか遠い地方へ送られたのであって、どの国家もその周囲を好戦的な隣国人に囲まれていたため、本国の領を大いに拡張することが困難であったのである。
    〇良質な土地が豊富にあることと、自分の諸問題を自分なりの方法で処理することの自由とが、すべての新植民地の繁栄の二大原因であるように思われる。
    〇一大国民が自分自身のあらゆる生産物から一切のものを作ることを禁止したり、あるいは彼らが最も有利だと判断する方法で自分たちの資財や勤労を使用することを禁止したりするということは、人類の最も神聖な諸権利の明白な冒涜である。
    〇自由な政治のもとでよりも専横な政治のもとでの方が奴隷の状態が良いということは、すべての時代のすべての国民の歴史によって裏付けられている、と私は信じている。
    〇独占は、収入の全ての本源的な源泉、つまり労働の賃銀と土地の地代と資財の利潤とを、さもない場合よりもはるかに潤沢でないものにする。
    〇高利潤率は他の事情の下では商人の性格として自然に備わっているあの節倹という徳をいたるところで破壊してしまうように思われる。
    〇第一に、その社会で実際に扶養されている有用労働の生産諸力を多少とも改善するか、または第二に、この労働の量を多少とも増加するか、そのいずれかによってである。
    〇有用労働の生産諸力の改善は、第一に、職人の能力の改善に依存し、また第二に、職人がそれを用いて仕事をする機械類の改善に依存する。
    〇優先させたり、あるいは制限したりする一切の体系が以上のようにして完全に撤廃されれば、自然的自由という自明で単純な体系がおのずから確立される。
    (四)
    〇近代ヨーロッパの文明国民の間で普通計算されているところでは、どのような国でもその住民の100分の一以上を兵士として使用すると、彼らの軍役の経費を支払う国は必ず破滅してしまうという。
    〇妬み・悪意または恨みだけが、ある人を刺激して他人の身体や名声を侵害させうる情念である。けれども大部分の人々が極めてしばしばこういう情念に動かされるということはないし、極悪の人でも時々そうなるに過ぎない。
    〇財産のないところ、または少なくとも二・三日の労働の価値を超える財産が何一つないところでは、市民政府はそれほど必要ではない。
    〇若干の人々にその同胞の大部分に対する若干の優越性を与える諸原因は、第一は、人としての素質の優越性、すなわち肉体的にはその強さ・美しさおよび敏活さについての、または精神的にはその知および徳、その慎慮・正義・堅忍不抜におよび中庸についての優越性である。第二は、年齢の優越性である。老人というものは耄碌の疑いを受けるほどの年ででもない限り、どこへ行っても、それと同等の身分・財産及び能力の青年よりも尊敬されている。第三は、財産の優越性である。第四は、生まれの優越性である。
    〇生まれと財産が、大抵の場合ある人を別の人の上に据える二つの事情であることは明らかである。これらの事情は人としての差別の二大源泉であり、したがってまた人々の間に権威と服従とを確立する主要原因である。
    〇このような会社の業務の運営には、怠慢や浪費が多かれ少なかれ常に幅をきかせざるを得ない。
    〇どのような私的な教師の、もっとも有能な指導を最大限の注意を払って受けたところで、必ずしも常にこれらの特権を要求する何らかの資格が得られるものではない。
    〇もし教師が公共社会から俸給の全部を支払われれば、否その大部分を支払われる場合でさえも、間もなく彼は自分の本務をなおざりにすることを覚えるであろう。
    〇臆病者、つまり自分を防衛することもできず、復讐することもできない人は、明らかに人間としての性格の最も基本的な一面を欠如した人である。
    〇僧職者というものは、こうして高い身分の生活をしている人々の機嫌を取っているうちに、低い身分の生活をしている人々に対する自分たちの影響力や権威を維持する手段を全くなおざりにしてしまう傾向が非常に強い。
    〇官職の報酬は、普通の職業や知的職業のそれのように市場の自由競争によって規制されるものではないから、必ずしも常にその職業の性質上必要とする額と正当な比例を保っているわけではない。たいていの国々では、おそらくそれは、その性質上必要とされる額より高い、というのは行政を司る人々は、総じて自分にも自分に直属する部下にも、有り余るほどの報酬を与えたがるからである。
    (五)
    〇彼らは総じて自分たちの羊毛や生皮の一部を貨幣と引き換えによる機会を持っていた。
    〇黒人はほとんどどこでも、白人使用人と同じようにラム酒や糖蜜や唐檜酒を手当として貰っており、こういう物品に少々の税が課されたくらいでこの手当が取り上げられるなどということは多分なかろう。
    〇我が国の支配者たちが、おそらくは国民とともにふけり続けてきたこの黄金の夢を実現するか、それとも自らはこの夢から覚め、国民を目覚めさせるような努力するか、そのいずれかをなすべき時期である。もしこの計画は完成しないというのであれば、当然それは放棄されるべきものである。

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