- Amazon.co.jp ・本 (356ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003010112
作品紹介・あらすじ
全20巻。万葉調・古今調と並んで、三歌風の一典型を作った勅撰和歌集。俊成は余韻・余情の世界を統合して幽玄の世界をうちたて、定家は幽玄の世界を分析して有心を設定した。現実の暗さから逃れるために自然観照へと集中しその技巧は極限にまで達した。連歌や芭蕉に多くの影響を与え、芭蕉の「わび」もこれを起点としている。
感想・レビュー・書評
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図書館で借りた。
岩波文庫を読んでみようの黄色3冊目。有名な勅撰和歌集。
私は元々、和歌を眺めても何も感じないタチではあるが、やはり開いてみると気付くこともある。
いきなり最初のページが漢文でびっしりなのには驚いた。また季節の歌や恋の歌など、ジャンル毎に整理されている。
…とは言え、そんなところが私には精一杯。和歌で感動する人間になってみたいものだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
古今・千載を経てこの和歌集をみてみると、歌の選び方ひとつでかうも色合ひが変るのかと思つてしまふ。
この新古今では、より一層ものの形といふものがことばと結びつき、謳はれる。それは時間から生じる移ろひの強烈な感覚。生まれたからには死んでしまふ。けれども陽は上り沈んでいく。春が来れば花が咲き、そして冬には眠り、また覚める。
終わりといふもの、無といふものに気づき始め、自分といふ存在に敏感になり始めてきたのがこの新古今集を読んだ時に感じたものだ。「無い」といふことの不可思議さぶつかり始めたといふか、わからないから考へないやうに閉じ込めたのか。ものに経れ、時に寄り添ひ、他人に出会ひ、自分といふものが存在するという事実に帰る。その時目に映つてしまふのは冷たい雨や冴えるやふな月、容赦なくこの身をさらふ風。さういふ感覚をことばに残さうとし、ことばを語り継がうとする精神があるからこそ、いまだに古典が遠ざからず居てくれる。それはやはり、この三十一文字の形式が感覚として根附いてゐるからに他ならない。 -
時も場所も何もかも超越した「基本」。使われる言葉も描かれる心情も、繊細で美しい。はずせない存在。
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言わずと知れた「新古今和歌集」。
ひたすらに、ただひたすらに、和歌が列挙されていく方式。
現代語訳は付属していないので注意されたし。
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日本の和歌の始まりの終わりの集大成。
時代とともに表現方法は変わっていても、日本人の心情の原型はいつもこの中にあると思う。 -
ポストモダン文学など読む前にこれを読みなさい。日本文学のエクリチュール。