- Amazon.co.jp ・本 (438ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003011218
作品紹介・あらすじ
『徒然草』の面白さはモンテーニュの『エセー』に似ている。そしてその味わいは簡潔で的確だ。一見無造作に書かれているが、いずれも人生の達人による達意の文章と呼ぶに足る。時の流れに耐えて連綿と読みつがれてきたこのような書物こそ、本当の古典というのであろう。懇切丁寧な注釈を新たに加え、読みやすいテキストとした。
感想・レビュー・書評
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桜は満開だけを見るものではない。花咲く前の桜のつぼみの枝、散った後の花びらが残る庭にも趣がある。月は満月だけを見るものではない。雨の空に隠れた月にも趣がある。
筆を手にすれば自然に書き始め、楽器を手にすれば音を出したいと思う。盃を手にすればお酒が飲みたくなる。心はそれに関連したものについて動く。仮にでもよくない遊びをしてはいけない。外面に現れた言動と、内面の真理は合致している。言動が正しければ、心も正しいものとなる。
手紙を書くとき、字が下手でも、代筆なんてさせず、自分の文字で遠慮なく伸び伸びと書け。▼何かを身に着けたいなら、笑われてもいいから、下手なうちから上級者の間に混じって平然と練習せよ。きっと上手になる。
石清水(いわしみず)八幡宮を拝みたいと思っていた仁和寺(にんなじ)の僧。ある時、ついに参詣(さんけい)。しかし石清水八幡宮の山の麓(ふもと)にある極楽寺と高良(こうら)神社を拝んで、「石清水八幡宮はこれだけ」と勘違いして帰ってしまった。僧は仲間に言う、「石清水八幡宮は聞きしに勝る貴さでした。にしても参拝者が皆、山へ登って行ったのは何だったのでしょうか」。ちょっとしたことにも、その道の先導者はあってほしいものだ。
人を木に登らせて枝を切らせる時、木に登った人が高い場所の枝を切っている時には何も言わず、作業が終わり降りてきて軒先の高さくらいになったとき、下から「注意して降りろ」と声をかけよ。人は高くて危ない場所では恐怖心から自ずと注意するが、下まで降りてきて安心した途端、足を踏み外す。
生を楽しんでいないのは、死が近いことを忘れているからだ。
吉田兼好『徒然草』
※鎌倉時代。随筆/エッセー詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2016.1記。
初めて通読。
これはまさしく昔のツイッターというかSNSみたいなものだな、と。もちろんリアルタイムで回覧されていたということではないだろうが、一言言わないと「腹ふくるる」ことを書かずにはいられない、という感じ。
読む前はもっと仏教思想に裏付けられた静かな心境を語っているのかと思ったがそうでもない。きらきらネーム考(むかしから奇をてらった名前をつける、という風潮はあったんですね)、「モテる男論」、「意識高い系って疲れる」話など、読んでいると今も昔もほんとかわらないし、「なんだよ、結局世の中のこと気になってしょうがないんじゃん」という感じで笑える。ツイッターがこの時代にあったら、兼好法師は絶対小うるさかったはず。
一方で、やはり時代を超えてなるほどな、と思うことも多々書いてある。「充実した人生を生きるスキル(医術、武術(つまりは修練)、料理)」とかはさすが。また、六曜などの迷信について「今日はうまくいく日です、などというのは人生が連続したものであることを分かっていない」と批判する視点はやはりはっとさせられる。何より心を打たれるのはその死生観だろう。「死は突然訪れる。それはあたかも(…中略)沖の干潟が遥かに隔たっているように見えながら、いつのまにか磯から潮が満ちてくるようなものだ」と。
透徹した哲学、人生観をもち世を厭いつつも、なんだかんだと俗世間の理不尽も放ってはおけない、そんな思いのほか人間的な作品だった。 -
べたに徒然草が好きです。
古文を読む能力が著しく低下している今、内容をどれだけ正確につかめているかは謎です(笑)。下手の横好き。まさにその言葉のとおりです。
古典の場合は、いろんなところから出版されていて選ぶのが楽しい。
岩波文庫は訳はなく、注にて解釈がある程度。(解釈がほぼ訳となっていることもありますが)おせっかいじゃないところが岩波文庫のいいところです。長文ばっかりで訳がとれなさそうな、自信がないときは角川さんです!角川は本の前半に本文をまとめてあって、後半が訳になっているので読むときに訳が邪魔にならないのがいいところ。教科書スタイル(見開き上に本文、下に注釈)なのでなじみやすいです。
わたしのなかでは、その作品へのハードルの高さが「訳があるかないか」ということになりますね…。わたしは買うときにそれぞれの出版社のものを見て買うのですが、結局いつも角川か岩波。
徒然草は逸話が書かれているところより、現代でも普遍的な内容がすきです。
特に好きなのは137段。有名ですよね。国語の授業でも取り上げられるかなあ?
始まり方がかっこいいんですよ。
「花は盛りに、月は隈なきをのみ、みるものかは。~」
そしてこの感覚はとても日本的なんじゃないかなあとも思うので(呉善花さんがそんなことを言ってたような「日本の曖昧力」で)、そんなところもすきな段です。お花見するなんて田舎ものだぜ、というようなところもあって、身につまされつつ(笑)。いや、花見あんまりしないけど、と言い訳したところで結局「あんまり」という時点で田舎ものなのでした(笑)
おもしろい段も結構ありますよね。でもそれはわたしのようなぱらぱら読みではなく、もっとがちで読んでるかたにお願いします。
寝る前などにぱらぱらーっと適当なところを開いて読むのがいい。
適当に読んでも許してくれそうなのが徒然草だと思ってます!(蜻蛉日記はたぶん許してくれない)そして古典って面白い、と初めに思わせてくれる名著だとも思う。中学生とか。仁和寺のにある法師のところとかで。 -
第75回アワヒニビブリオバトル「おうち時間DEビブリオバトル」1時間目 国語で紹介された本です。オンライン開催。
2021.05.01 -
校注:西尾実、安良岡康作
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何回、この文を読んだのか、、、
試験以外でも、もう一度読みたい -
全く読まなかった。
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吉田兼好@tsuredure_bot1さんのツイートに触発されて、読んでみた。もう最高。もちろん、高校の授業でも読んでるんだけれど、こんなに面白い本だとは知らなかった。
人間って、兼好法師の時代からちっとも変わってないんだということがよくわかる。それは、ちっとも賢くなってない、ということだけじゃなくて、賢い人もちゃんといていろんなことがわかっているのに、それが人々の間で共有されてない、というところも一緒。迷信で人々が右往左往するのとか、今と何も違わない。そして、それを「愚かな」と思う人はすでにあの時代からいたんだよ。びっくりだよ。1000年経っても何も変わらない。本当に人間ってバカだね。 -
キラキラネームをつけない
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地位や名声を追い求める事に興味がない。きらびやかな高級品で着飾る事に興味がない。
何物にも心を惑わされず、ひとりゆっくりと本でも読んでいたい。
そんな事を思うかたなら、「徒然草」を楽しく読めると思います。
かしこい、愚か、善い、悪い、そのような人が人に
下す評価は絶対ではなく、すぐに消えてしまうもの。
必死で得た地位も名声も、いずれは忘れられ消えていく。
信頼した友さえも、掌返しで失うこともある。
変わらないもの、絶対のものを否定したうえで、
それでも構わない、静かで落ち着いた自信が伝わってくる文章です。
人からの批判や評価に惑わされて疲れた時、
自分の目標を見失った時には、
この本が、心を慰め励ましてくれる先生になります。