- Amazon.co.jp ・本 (359ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003114018
作品紹介・あらすじ
詩人尾崎喜八が山野を歩く。青空に屹立する岩峰とそこに吹く風を描く。山村の佇まいと、そこに暮す人々との交流を描く。雑誌掲載中から山好きの若者たちに圧倒的な人気で迎えられた本書は今もその瑞々しい輝きを失わない。
感想・レビュー・書評
-
40年近く前、関西学院大学グリークラブの歌う「尾崎喜八の詩」を聴いた。僕自身も数年前、自分の所属するOB合唱団でこの歌を歌った。山の景色と内省的な詩がしみじみと沁みた。
岩波から再出版された本書を見付け、購入。
昭和10年前後に書かれた登山行が中心。
(引用)
君の土地。それは無数の輻射谷に刻まれて八方に足を伸ばした、やはり火山そのものの肢体の上の耕地であったろうか。あるいは、もっと古く、埋積し、隆起した太古の湖底の開析平野と、その水田に、今、晩夏の風が青々と吹きわたる河成段丘のきざはしであろうか。
この冒頭には、後の文章に期待したんだが。
なんというか、ディレタントな処にうんざりした。ロマン派のクラシックに言及もあったが、シューマンやグリークの作品もわざわざ云うほどの内容があると思えない。セザンヌやゴッホについても同様。
ヘッセやその他のヨーロッパの山の作品についてはよく判らない。正直、目の前の山にを語れば良いので、邪魔だと思う。
書かれた時代が古いこともあるが、読みづらい文章だった。悪くはないんだが、もっと山の風景や風に酔ってみたかった。
さて、尾崎喜八の詩は、普通に本屋の棚には見つからない。このブクログの検索では該当するが、アマゾンのお世話になってまで入手する気にならない。どうしたものだろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
君を待つ家をつくると朝日影豊多摩の野に軒うつわれは
尾崎喜八
9月1日は、防災の日。1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災は、さまざまな人生を変え、記憶に深く刻まれた。尾崎喜八も、その日が思いがけない転換期となった1人である。
1892年(明治25年)、東京生まれ。長男であったが、文学に心酔し過ぎ、父とは義絶に近い数年間を過ごしていた。そこに大震災。京橋区の実家に駆け付け手助けしたことで、父とようやく和解することができたのだった。
焼け跡の灰をかき、真っ赤な土をならす喜八の目に、ふと奥多摩の秩父山地が映った。震災後の廃虚から見た秩父の太陽の美しさ。秋風に誘われるようにその地に移住を決め、父の援助で畑を手に入れた。
大工仕事を手伝いながら、小屋を新築。そこに迎えたのが、掲出歌の「君」である。年下の妻との新婚生活が始まり、短歌も何年かぶりに生まれたという。
畑仕事をしながら詩を書き、翻訳をした当時の充実ぶりは、エッセー集「山の絵本」に精彩に描かれている。父の死を機に、数年後には実家に戻ったが、鍬とペンの生活は、喜八の詩心の源流と言えるだろう。
戦時下の詩「此【こ】の糧【かて】」の、最終連。
「芋なり。
配給の薩摩芋なり。
その形紡錘【つむ】に似て
皮の色紅【べに】なるを紅赤【べにあか】とし、
形やや短かくして
紅の色ほのぼのたるを鹿児島とす。」
配給生活を耐え忍ぶ戦争賛美の詩とも言われたが、震災後の喜八の生活をふまえて再読すると、別の趣も感じられる。
(2014年8月31日掲載) -
2010/12/23購入