- Amazon.co.jp ・本 (300ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003347621
作品紹介・あらすじ
烏合の衆はいかにして、歴史を動かす群衆に変貌するのか?革命を起こす心性はいかに作られるのか?歴史学が初めて正面から「群衆」に向き合い、「心性の歴史」を開拓した古典的著作。個と集合の相互作用を通じて日常の場で形成される「集合心性」に着目し、危機に面してのその変容・伝播を説き明かす議論は、ダイナミックで今なお新鮮な響きを持つ。
感想・レビュー・書評
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本書は、ジョルジュ・ルフェーヴルが歴史学の新たな視点として提唱した、群衆の「心性」について論じたものである。アンリ・ベール主催の1932年の綜合研究国際討論週間にて報告されたものとのこと。
『群衆心理』などで論じられたギュスターヴ・ルボンの、人間の集団を動物の群れと同一視し、集団の中では理性的な判断ではなく、指導者の断言・反復・感染によって意見や信念が伝播される、という群衆心理の論説を批判し、また、旧来の革命史家のいう革命的群衆とはさまざまな個人が、共通の情念ないし同一の理性的判断に基づいて自覚的に集まったものという見解にも、それは「群衆」ではなく「結集体」とした上で、「群衆」の意志決定の道程であり、民衆行動の基礎として「集合心性」の存在を論じたものとなっている。
まずルフェーヴルは、群衆を「純粋状態の群衆(単なる集合体)」「半意識的集合体」「結集体」の3段階に分類し、それぞれに適応した「集合心性」をみる。
そして従来、民衆の行動は経済的・社会的・政治的な諸条件の結果と捉えがちだが、その間には「集合心性」の形成があり、それは個々人間の「心的相互作用」を通じて形作られるとし、特に革命的心性の形成には、口コミや各家庭での口伝などといった「語らい」が大きな影響を及ぼすのだとする。さらにそうした心性の「平準化」の過程として、領主=悪玉、悪=民衆を攻撃、われわれ民衆=善玉、のような受け入れやすいパターン化された言説を信じるに及び、体制側から強いられるであろうことへの「不安」と、それを除去することで得られる「希望」として革命的心性を実際の行動へ結びつけるとしている。そうして完成した「結集体」の集合心性に合致した者の中から指導者(ムヌール)も選ばれるのだという。
最後にルフェーヴルはその「集合体」「結集体」そのものの個人への作用について述べている。集合体は大きな塊(マス)であり、それ自体の数という存在により、ほか人と同じだという安心感、順応主義をもたらし、逆に個々人の責任感が弱まり、集団の道具と化してしまうという。その中で「危険」が迫るとなった場合には、メンバーの神経を昂ぶらせ、あるいは不安を絶頂にまで高め、それから逃れるために行動を急ぐ、すなわち前へ逃れるのだとしている。
今日では、社会心理学や社会学、文化人類学、そして歴史学の複合領域の研究となるのかもしれないが、群衆の心理を歴史的事象の中に位置付け、「心性」というファクターを歴史学に意識させた古典的名著である。フランス革命を題材に論ぜられた小編ではあるが、その視点は時代を超えて歴史事象の様々な局面で活用できるに違いない。群衆の「心性」というエビデンスを取れるのかが疑わしいようなテーマに歴史学として果敢に挑み、新たな視野を拓いたルフェーヴルの気概と洞察には敬意を表する。フランス歴史学には疎いが、現在どのように発展的批判的に継承されているのかが知りたくなった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ル・ボンの「群衆心理」を批判的に考察している本。ル・ボンの訴える、群衆=烏合の衆からは距離を置く。かと言って理性的な集団と手放しで礼賛するわけでもない。中間点のグラデーションの理解は簡単ではないが、彼のスタンスは興味深い。
フランス革命を「貴族の革命」「ブルジョワ革命」「都市民衆の革命」「農民革命」という四つの複合で考察し、これらが同時に進んでいたと。ルフェーヴルはあくまでも人々の目線で論じている。上からの目線で学んでわかったつもりになる歴史の見方のヒントにもなる。 -
群集と動物を同一視するルボンと、群集は自律的な個人の集まりだとする考え方との間で、ルフェーヴルは中間的な立場をとる。
1932年、アンリ・ベール主宰の「総合研究国際センター」が企画した「群集」をテーマとする討論集会で発表された論文。 -
アーレントの『革命について』を読む傍ら手に取った本。
多くの革命史的著作において、陽に陰に群衆や民衆という言葉が使われており、それらの規定がそれぞれになされている。
この本を読んで、フランス革命初端の暴動や運動を担った群衆が、どのような集団のなかでどのような特徴をもち、どのように揃って行動を始めたのかということが明確になった。
とくに、その集団の行動における特性を、集団としての特徴と個人における特徴とを結びつけながら考察しているところは示唆に富む。
解説で訳者は「心性の歴史」はまだ着手されたばかりの研究であると述べているが、民衆心理の展開はある程度社会思想史等の学問で論じられているところであろう。
群衆を動かすに足る共通認識として社会的つながりの中から形成される「集団心性」なるものの存在を指摘したというだけでこの本の意義は大変に大きい。グーテンベルクの登場からしか取り扱わないメディア論や一時期一地域にスポットを当てる民俗学などを広い視野からとらえるための、大きな道筋をこの小さな論文が示している。 -
1932年のルウェーブルの「第四回総合研究国際討論週間」での報告をまとめた本。
フランス革命などを題材に、ただの人の集合が革命的群衆に変貌する過程について分析されています。
村のお祭りや教会などに人々が集まり、「語らう」。
この「語らい」を楽しみに人々は集まるが、この「語らい」が、
群衆の間に徐々に共通の「不安」や「希望」を形成し、
やがて人々が必要としたとき、指導者が現れ、その「不安」や「希望」に対して群衆は結束する。
指導者がいかなる主張やシステムを示そうと、群衆の要望に沿わなければ、指導者は成り立たない。
この革命的群衆について、本書では主に下層階級の上流階級に対する反発を例として、述べられています。
何か具体的な調査結果が示されているわけでもないのですが、
組織の本質をついているのではないか、と思いました。
結局、人の集まりである組織も、「語らい」から始まるのでしょう。
しかし、理解できてるかよくわからないので、
☆3つです。また後々に読んでみようと思います。 -
ギュスターヴ・ルボン「群衆心理」への反論。もう少し正確に言えば、批判的発展なんだろうな。彼曰く、ルボンの指摘は、甘い。まず、「群衆」とは何か。しっかりと規定していない。
ルフェーブルが言うには、ただの集合体が、「群衆状態」になり、その後に「結晶体」と呼ぶべき全体で一貫性の取れた活動(デモなど)をする群衆になりうるというのがより正確な表現である。
また、その集合体をなす個々人が何かしらの影響により後に群衆になるのにつながるような心的状態を得て集合体を形成すれば、そのまま結晶体になるわけではない。お互いの「心的相互作用」が働き、「集合心性」があるからである。
さらには、結晶体の中の個々人の心理は、それまでの個々人の時とは同じように考えてはならず(つまり、結晶体から影響を受けるという事)、「集合心性」を考察するには、日常の集合体の考慮も必要だということを説く。
65ページしか本文はないけれども、面白い。岩波らしく解説もしっかりしているし、読んでいて意外に面白い。ルボン読んだら、もう1回読もう。 -
フランス革命などを為しえた群集を「革命的群集」と定義、その性質と形成過程を「集合心性」に着目して解き明かす。この過程は、きっと組織運営に活かせる!
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比較的まともな本だと思った。内容は、革命が起こる過程を心理的作用に焦点にあてて研究することで
如何な効果があるかを説いた作品。本編のページ数は約50ページから60ページしかないあがそれなりの
作品だった。