- Amazon.co.jp ・本 (356ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003360491
感想・レビュー・書評
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「詩」とあるが、叙事詩から悲劇への発展にみられるように、演劇についてのあるべき姿までを射程に入れた文芸論である。
アリストテレスの『詩学』は主に悲劇のあり方や特性について述べた演劇論で、現代の舞台やドラマ作りに携わる人々にも参考になると思われる理論を展開している。
まず、詩や演劇は、行為する人間を再現したものであるとし、行為する人間がすぐれた者であった場合は悲劇、劣った人間であった場合は喜劇とした上で、再現(模倣)は学ぶために子どもの頃から人間に自然にそなわっているものであり、人間には再現されたものを喜ぶという傾向があるために生まれたのだとする。そして、主に悲劇を取り上げ、悲劇とは一定の大きさをそなえ完結した高貴な行為の再現であり、快い効果を与える言葉を使用し、行為する人物たちによっておこなわれ、あわれみとおそれを通じて、そのような感情のカタルシスを達成するものと定義する。その行為の再現である悲劇には、筋、性格、語法、思想、視覚的装飾、歌曲の6つの構成要素があるとし、最も重要なものは筋(出来事の組み立て)であり、筋は出来事がありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方でつぎつぎと起こり、不幸から幸福へ、あるいは幸福から不幸へ移り変わることができるほどの長さがふさわしく、筋は統一されていなければならないとする。そのようなものであるから、詩人や劇作家の仕事は、すでに起こったことを語ることではなく、起こりうることを、ありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方で起こる可能性のあることを語ることであり、歴史家はすでに起こったことを個別的に語るだけであり、題材を歴史に求めてもよいが、普遍的なことを語る詩作の方が、より哲学的であり、より深い意義をもつとしている。筋には3つの要素として逆転、認知、苦難があり、筋の組み立てそのものから生じるものでなければならないが、筋の組み立ての目標としては、あわれみは不幸に値しない人が不幸におちいるときに生じ、おそれは私たちに似た人が不幸になるときに生じるものだから、それを踏まえた上で、邪悪さなどではなく、あやまちのゆえに不幸になる人を取り上げるよう提言する。そうした人物の性格は、やはり必然的なこと、ありそうなことにせねばならず、同時に筋の解決もやはり筋から生じるべきで、「機械仕掛け」のようなものに求めるのではなく、不合理な要素があるとすれば悲劇の外におくべきとする。
このようにアリストテレスの演劇論は、現代にも立派に通じるほどに普遍的な思考により理論化されており、テレビドラマ(特に自分も観ることが多いミステリードラマなど)でも、不合理な成り行きや、安易な人物設定、カタルシスの無いオチを見るにつけ、あまねくこの二千数百年前の著作を勉強し直してほしいとさせ思える。
クィントゥス・ホラティウス・フラックスは紀元前1世紀、古代ローマの人。
『詩論』は、ピーソー家の人々への手紙という形式にて、詩的な調べにのりながら、時にはユーモアを交え、様々な事例を例に引きながら、その文芸論を展開する。詩的な比喩表現が多く、当時の背景を知らない自分にはその意を理解するのは少し難しかった。解説によると中世ヨーロッパ以降、その理論は文学や演劇に大きな影響を与えたという。
まず、詩(劇)の構成については全体の釣り合いを主張し、詩人(作家)は自分の力に合った題材を選ぶべきという。そして、詩は美しいだけではなく、快いものでなければならないといい、解説では、有用性とよろこびを同時に追求する姿勢をアリストテレスと対比させている。演劇を実施する上での俳優や舞台装置、演出についての「ふさわしさ」の指摘は、今となっては当たり前のことのように思えるが、率直な批評を必要とし追従者には気をつけるべきという指摘については、作家にとって現代でも常に戒めとせねばならない点であるだろう。
ホラティウスの文芸論は、いかにすると観客(読者)に受け入れられるかという点が重視されているといい、訴求の技術である弁論術を重視するヨーロッパで広く受け入れられたというが、それが逆にアリストテレスの『詩学』の理解を誤ったものにしてきたとのことである。
両編とも、当時の演劇スタイルや小道具、作品がこれでもかというほど引用されており、演劇論のみならず批評の書でもあったと思われるが、自分には未読の作品が多いのとそうした観劇の機会もほぼ無いため、感想や批評の言葉も無いのであるが、はるか昔の演劇理論に触れているだけでも意外と楽しいものであった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
物語を書く上での手引き書。
自然の再現、認知と変転、おそれとあわれみ、行為=筋、人物の性格や思想等々が平易に語られる。 -
金大生のための読書案内で展示していた図書です。
▼先生の推薦文はこちら
https://library.kanazawa-u.ac.jp/?page_id=18412
▼金沢大学附属図書館の所蔵情報
http://www1.lib.kanazawa-u.ac.jp/recordID/catalog.bib/BN15754361 -
2019年に買ったきりの本。座ったままでは居眠りをしてしまって読み続けることができず、家に居ながらほとんどのページを立ち読みした。これは悲劇か喜劇か。
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以前読んだときはよくわからなかったし、アリストテレースの個人的な趣味の価値判断かと思っていました。
しかし、自分でも小説を書くようになってから読み返すと、読み返すたびに発見があり、以前は読めていなかったなと感じます。
古代ギリシア演劇ならではの分析や、ところどころ整合性の取れていない部分はスルーしていいでしょう。
アリストテレース「詩学」(の今に伝わる1巻)は悲劇の研究なので、エンタメとはジャンルが違います
でも、エンタメの前半くらいで、主人公が自惚れや、見栄や意地など、誰でもやっちゃいそうなことをしたために大失敗する、という展開には意外と当てはまりそう、と思いました
■「なぜなら、あわれみは、不幸に値しないにもかかわらず不幸におちいる人にたいして起こるのであり、おそれは、わたしたちに似た人が不幸になるときに生じるからである。」
(13章 筋の組みたてにおける目標について)
主人公が特殊な人でも、「あるある〜」という庶民的なだめさで失敗する場面を描くと、共感できる人になるのかも
■キャラクター造形論はいまでも通用しそう.「しかも」が熱い
「(肖像画家たちと)同じように作者も、怒りっぽい人物、軽薄な人物、そのほかこれに類する性格上の欠点をもっている人物をそのような人物として再現しながら、しかも立派な人物につくりあげなければならない。」
(15章 性格の描写について)
■ 「出来事の部分部分は、その一つの部分でも置きかえられたり引き抜かれたりすると全体が支離滅裂になるように、組みたてられなければならない。あってもなくても何の目立った差異も示さないものは、全体の部分ではないからである。」
(8章 筋の統一について)
かっこいい…
■ アリストテレースは、筋(ミュートス)について「出来事の組み立て」としています(7章 筋の組み立て-).
「ありそうな仕方で、あるいは必然的な仕方で出来事がつぎつぎに起」こることだとも.
なるべく因果関係のある出来事のつらなりです.
一方、17章「悲劇の制作について-」では、さまざまな場面を作る前に「普遍的な筋書(ロゴス)」の形にしておくこと、と書いています
名前や性格、理由づけなどない出来事の時系列的な説明.
筋と筋書の関係は、プロットとストーリーの関係に似ているというより、アリストテレースから来ているのでは -
「オイディプス」「オデュッセイア」を読んだあとに続けて読んでみたところ、アリストテレス先生がまさにこれらの本について「いいかー、ホメロスの叙事詩はここがすごいんだぞー」と、さっき読んだばかりの文章を引用してくれるのがすごく楽しい。表現方法や文章の構成要素だけではなく、作品内のキャラクターが何かを認知することだけについても6パターンも示した上、「中でもオイディプスのこのパターン(周りは全員犯人を知ってるのに本人だけが知らなくてとある出来事がきっかけで「認知」してしまうアレ)が最高」と述べているあたりにはさすが先生!とうなづいてしまった。
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演劇論の原典
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先行研究の少ない時代に、一見捉えどころのない文学について体系的に書いたアリストテレスはものすごく頭が良い。とは思うが、いかんせん昔の本なので要点を掴みにくい。
現代人は、まず別の本で物語論の全体像を概観してから読んだ方がいい。 -
演劇、俳優、歌唱について、賢者と呼ばれる人たちによって古代から議論されてきた。舞台芸術の要不要が問われるコロナ禍。なぜこの職業が何千年も存在し発展し続けているのかを考えさせられる。
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ヒットコンテンツに必要な要素がまとめられている。
本編は3分の1程度であとは注釈。