老年について (岩波文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (140ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003361122

感想・レビュー・書評

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  • この本は、ユーチューブでアバタローさんが紹介している本だったので読んでみましたー。

    まず、2000年前に書かれた本が読めるということに「すごいー❕」と思いました。

    この本は、表題のとおり「老年について」書かれていますが「老年」について、とても前向きで「良いもの」として捉えており、「歳を取るってすばらしいことだよー❕」と教えてくれています。

    2000年前の人も同じように「老年」について、不安に思っていたんでしょーねー。
    「人の悩みって、いつの時代でも大差ないのかも!」っと思ってしまいました。

    大昔の人も現代人も悩みは同じなのであれば、その答えは、誰かが本にしてくれてるはずだー!!
    やっぱり読書はいいですねー!

    ぜひぜひ読んでみて下さい

  • キケロは、イタリア中部の町アルピーノで生まれました。「懐疑主義」を学び、弁論術が巧みだった。執政官(共和制ローマにおける首相のような役職)まで上り詰めた立身出世の人である。
    今から1900年前の老人と青年2人との対話。老人カトーは、84歳で、農民出身の政治家、文人、ローマの伝統的な価値の擁護者である。実に記憶力のいいひとだ。青年は、文学を愛好する青年政治家、そしてその友人で「賢人」と呼ばれている。
    1900年前と現在の私が思っていることとあまりにも変わらないことが、わかって人間の本質って変わらないなぁと痛感した。この84歳のカトーの言葉は、よく納得できるところがある。
    老年を守るに最もふさわしい武器は、諸々の徳を身につけ実践することだ。幸せな善き人生を送るための手だてを持つこと。残念ながら、私は武器を持っていないようだ。
    老年がみじめなものと思われる理由は四つ。第一に老年は活動性の低下。第二に肉体が弱くなる。第三に、老年はほとんど快楽が欠如する。第四に迫りくる死がある。
    カトーはいう。「肉体は弱っていても精神で果たされるような、老人むきの仕事はないというのか?」といって、老人だからできる仕事はあるという。「肉体の力とか速さ、機敏さではなく、思慮・権威・見識で大事業は成し遂げられるという。「老人の権威」をちらつかせるのは、ちょっと胡散臭い。政治の世界ではそんなものにすがりついている輩も多い。執政官経験者だからかもしれないが、「思慮・見識」は必要だ。キケロはカエサルの後継者アントニウスの戦いに負けた人物。歴史の流れの中では、権威がわずかな期間あったということだ。
    さらにカトーはいう、「気になることはなんでも覚えているものだ」ふーむ。私は、ほとんど忘れちゃっているけどね。カトーも意地っ張りだ。「肉体の力でなく心の力で守る」という。耄碌や、愚かさとは老人の特徴ではない。軽薄で怠惰な老人もいるが、「あたかも弓のごとく張り詰めた心を持ち続ける」
    第三は、老人には肉体の快楽がなくなるが、それは余分な肉欲に振り回されることがなくなるからいいことだ。欲しいとも思わぬこと、これこそが快い。快楽を欲しがらない老人は、最高の褒め言葉だとカトーはいう。ふーむ。快楽がなくちゃ、生きている意味がないけどねぇ。
    第四は、死は老人だけでなく、誰でもあることだから気にしなくていいという。
    なるほど、弁舌さわやか。それで、二人の青年が納得したのかが、よくわからない。よく喋るオジイだでおわったのかも。
    それにしても、農民に対しての評価が面白い。「農夫の快楽は、大地と取引していて、大地は決して出費を拒まないし、受け取ったものを利息なしで返すことも絶えてない」と言って、農業ベタ誉めなのだ。老人が嫌がれるタイプとは、何かを教えてくれる。カトーのような、二階のような老人になりたくない。まぁ。アグレッシブな老人ではある。

  •  私の場合49歳辺りから突如老眼が始まり、頭髪が凄い勢いで減少し、歯肉炎も桁違いにひどくなった。そのとき、唐突にああ、自分は老い始めたのだ、と気づいたのだが、現在の日本社会では50歳前後ならまだ「初老」でもないのではないだろうか? しかし「老い」という問題が急に私に迫ってきたのは確かだ。
     本書は紀元前44年、古代ローマのキケローの手になるもので、計算してみると当時キケローは62歳か61歳。当時のローマの平均寿命なんか知らないが、すでに「老人」の扱いだったのだろうか。
     一応対話編の形を取る本書では、キケローの思想は84歳の大カトーによって語られる。自分より20歳以上上の人物の口を借りて62歳の著作家が「老年」について語る、ということ自体が、何となく奇妙な感じがする。
     本書は哀れなもの・悲しむべきものといった「老年」のイメージを払拭し、それがいかに有意義な年代であるかを力説している。とても前向きな「老い」である。
     当時も「ぼけ老人」はいたらしいのだが、それはそういう「病」であって「老年」そのものではない。聞き分けのない頑固爺がいたとしても、それもまた、若者にもいるであろう個人の性格の問題である。
     そういう、まあ、今日から見ればある種常識的な論説ではある。麻生太郎とか二階俊博みたいな無礼で頑迷なクズのような自民党の老人議員を見ているとどうしても「老害」と言ってしまいがちだが、もちろん、とても高齢であってもシャキッとしていたり、素晴らしく善良であったり、明敏であったり、柔軟であったり、人さまざまなのだから、ひとくくりに「老人」というレッテルに収めてしまうのはやはり間違っているのである。
     書かれているのは当たり前のことながら、なんとなくすっきりとした読書体験だった。

  • スキーピオとラエリウスよ、老年を守るに最もふさわしい武器は、諸々の徳を身につけ実践することだ。生涯にわたって徳が滋養されたなら、長く深く生きた暁に、驚くべき果実をもたらしてくれる。徳は、その人の末期においてさえ、その人を捨てて去ることはないばかりか―それが徳の最も重要な意義ではある―人生を善く生きたという意識と、多くのことをもって行ったという思いでほど喜ばしいことはないのだから。(p.16)

    一見取るに足らぬ当たり前のようなこと、挨拶されること、探し求められること、道を譲られること、起立してもらうこと、公の場に送り迎えされること、相談をうけること、こういったことこそ尊敬の証となるのだ。これはわれわれのところでも他の国でも、風儀が良ければ良いほど篤実に守られている。(p.61)

    果物でも、未熟だと力づくできから捥ぎ離されるが、よく熟れていれば自ら落ちるように、命もまた、青年からは力づくで奪われ、老人からは成熟の結果として取り去られるのだ。この成熟ということこそはこよなく喜ばしいので、死に近づけば近づくほど、いわば陸地を認めて、長い航海の果てについに港に入ろうとするかのように思われるのだ。(p.66)

  • アバタロー氏
    スキピオとラエリウスが、元執政官カトーにアドバイスを求める対話式

    《キケロ》
    BC106~43 イタリア生まれ
    父は教育熱心でローマへ転移し、哲学弁論術法律を身に付けさせた
    500年続く共和制から帝政に切り替わろうとした激動期に、43才最年少で執政官(異例中の異例)
    選挙に勝てたのは人徳と弁論術
    カティリナ弾劾演説
    キケロを暗殺を目論んでいたカティリナ
    彼をねじ伏せ英雄となり「祖国の父」という称号が与えられた
    その後内乱で頭角を現したのがカエサル
    キケロは追放され晩年著作に励む

    《内容》
    〇老いが悲観される4つの理由
    老人の不平不満は本人の性格で、上手に年をとっている穏やかな人は人生を楽しんでいるものだ
    1活動性の低下
    2体力の減少
    3快楽の欠如
    4迫りくる死

    ○災いをもたらす最大の悪の餌
    プラトンは「快楽は最大の悪の餌」と言っていた
    要するにあらゆる欲望から解き放たれれば、争うこともなく妬むこともなく本当に自分がやりたいことに集中して生きることができるだから老年の生活は快適だ
    生きがいと時間が重要な条件

    〇人生の終わりと旅立ち
    老人が余生を全うすること
    これほど自然に沿ったものがあるだろうか
    自然に従って生じるものはすべて良い
    プラトンは霊魂不滅という考えだ
    息子を早くに亡くしたカトーは、天に行けばきっとまた会える日がくると信じて生きていた

    《感想》
    天才で英雄で「祖国の父」という称号が与えられたエリートには、武力が台頭した時代の追放はかなりショックだっただろう
    しかし彼には哲学があり、著作は多岐に渡っていて人気があったそうだ

    現代人は長く生きること、生きることにしがみつく節がある
    自然の摂理と受け止めて、生きがいを見つけて快適に過ごし全うする
    まさにそうなりたい限りである
    つくづく紀元前の人物は天才ばかりだなと感心する

  • 老年になっても依然として敬意を払われる人は、青年の時に成すべきことを成していると聞いて身が引き締まる思いだ。

    ランプに油を継ぎ足す要領で、精神・肉体ともにメンテナンスをしなければならないとも書いてある。長く幸せに過ごす基礎・基盤は紀元前でも現代でも同じなのだ。

    また死ぬということは人も自然の一部であるということで美しいことなのだと思った。

    『友情について』よりも、個人的には納得しやすかった。

  • 好きな人には申し訳ないですが、人名が多いなど読む目的から本質的にズレた部分で楽しめず、断念しました…

  • 年代それぞれに自然に与えられる恵みを活用し謳歌すれば、それは生きることを活かすことになる。 ないものを求めればそれが手に入ったとしてもまたないものを求めるが、今あるものの中で最大限活用して日々を生きれば、老年は重荷ではない。

  • 「人生の折り返し地点」という言葉も在るが、キケローはカトーにこう語らせる。「自然の道は一本で、しかも折り返しがない。そして人生の各部分にはそれぞれその時にふさわしい性質が与えられている」、と。
    この作品では「老い」は十分に耐えうる価値あるものとして扱われる。私はカトーの語る考え方を気に入った。古代ローマには在ったかどうか知らないが、老いを退化に見立てる考え方を耳にしたことがある。人は、赤ん坊で生まれ、成長し、二十年ほどで人に成り、人生を全うするにせよしないにせよ、末期には心身共に衰えて目も耳も感じる力を失い、最低の状態に戻ってゆき死ぬ、その様が赤子に戻ってゆくようである、と言うのだ。寂しい発想ではあるが、これには言い当てているところが在るように感じる。人生の最高のときと聞いて、私には幼年も老年も早一番即座には想起されない。キケローの生きた当時も、老年を扱った作品にはその発想同様、老年を暗く捉えたものが多かったそうだ。人間の最大の関心ごとのひとつは死であり、老いには常に死の影が付きまとうのだから、老いを人が気がかりにするのは当然だ。青年の死と老年の死の対比でカトーは老年の死をある種の善いものと捉えた。その〈71〉の下りも大変気に入った。

    論理展開も整っていて、読みやすかった。

    訳者による解説も読み応え在った。アッティクスの死に様をおもう。

  • お前たちの言うよきものを、
    ある間は使えばよいが、無い時には求めないことだ。

    人生の各部分にはそれぞれその時にふさわしい性質が与えられている。 p36

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著者プロフィール

前106-43年。共和政ローマ末期の政治家・弁論家・哲学者。代表作は、本書所収の二篇のほか、『国家について』、『弁論家について』、『トゥスクルム荘対談集』など。

「2019年 『老年について 友情について』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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