- Amazon.co.jp ・本 (229ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003367216
作品紹介・あらすじ
近代ヨーロッパ諸学を支配してきたデカルト的方法に対し、最初に全面的批判を展開したのがヴィーコ(1668‐1744)である。共通感覚・創造力・レトリック等を重視する彼の思想は、学問のあり方が根底から問われつつある現代に、学問論、科学論・教育論としてあらためて重要な問題を提起する。原題「われらの時代の学問方法について」。
感想・レビュー・書評
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イタリアが生んだ哲学者、ジャンバッティスタ・ヴィーコの講演をもとにした本。原題は「われわれの時代の学問方法について」。彼の考察する範囲は多岐に渡り、科学と技芸を幅広くカバーして、かつ簡潔なので読みやすい。
解説によると、ナポリ大学でおこなった演説の第6回のテーマは「堕落した人間本性についての認識は人文的強要ならびに諸科学の全分野への修得へと招き向かわせるとともに、かつまた、それらを学習する際の正しく容易にして永続的な順序を提示する」だという。このテーマが全体をよく言い表していると感じた。
具体的には、デカルトやニュートンらの数学的に記号などを使い世界をとらえようとする主張に対し、ヴィーコは人文科学的な共通感覚やレトリック、創造力を中心に据える。共通感覚を支えるものは、賢慮と有弁であるという。彼は永遠の探究者たろうとして、懐疑論(これはデカルトとはとは異なる)の姿勢を保ち続けた。後の歴史哲学にも通じる点がある。
ここからは私見だが、デジタルデバイスが生活のあらゆる場面に浸透し、デジタル的な思想が世の中を支配しているような現代こそ、ヴィーコの説く主張は枯れることなく通用すると感じた。理論偏重で答えに飛びつくのではなく、人生を通じて実践し思索し探求を続けることが肝要なのだろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ジャンバッティスタ・ヴィーコの本。
彼の反デカルト的、人文主義的な歴史観はジョイスによって評価され、現代、彼の思想は重要な位置を占めています。科学的な進歩ではなく、人文主義的な円環こそが歴史であるという彼の思想は、今なお輝きを放っています。 -
知識を覚えるのではなく、自然から知識を導き出す過程にこそ、真の学問、芸術の目的がある。ヴィーコは「自分に過失が多いからこそ、これを寛大に人々に許してもらいたい。だからこそ、自分も他者に対して寛大になる。」と言っているが、これは私の生き方にも非常に似たものがあると感じた。
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今日の私たちは、先人が知らなかったことを知ることはできるが、現代に生きているからといって、先人が知っていたことを当然のように承知しているとはいえない。このことを区別して了解することが、学問の出発点だと感じた。
本書のような学問論は科学史研究とかなり重なる部分があることもわかった。科学史の講義で本書が参考文献として示された意味が理解できた。
解説では、現代の大学を取り巻く課題に根本的な問題を示唆している。