思想の自由の歴史 改版 (岩波新書 青版 61)

  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (210ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004120018

作品紹介・あらすじ

今日、私たちは学問・信仰の自由など思想の自由を当然のことと考えている。だが、この市民的権利は長い歴史の中でごく最近になって獲得されたものであり、そのために数多くの血が流されてきている。本書は、近代民主主義社会を支える思想の自由がどのようにして闘いとられてきたかを、各時代の具体的な事例に即して明らかにした名著。

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  • 原題:A history of the freedom of thought, 1913
    著者:John Bagnell Bury
    翻訳:森島恒雄


     【簡易目次】
    1 思想の自由とその反動勢力――序論として 
    2 自由な理性――ギリシャとローマ 
    3 幽囚の理性――中世時代 
    4 解放の曙光――ルネサンスと宗教改革 
    5 宗教的寛容 
    6 合理主義の成長―― 一七・一八世紀 
    7 合理主義の発展―― 一九世紀 
    8 思想の自由の正当化 

  • 【後編4 メシヤ再降臨準備時代】
     メシヤ再降臨準備時代で言及される「カイン型人生観」。そのカイン型人生観から除いた人類史。自由という概念に限定されてはいるが、リベラルな思想をそのまま表すのにふさわしい言葉であると思います。自由は素晴らしいことですが、その扱われ方、認識のされ方には多くの問題があると思います。本文は見事にカイン型人生観、でありかつ良心的です。だからこそ我々が知るべき内容だと思います。

     思想の始まり、古代ギリシャから始まります。ホメロスの時代、そしてソクラテス、プラトン、アリストテレス。自由な思想と討論が哲学を生み、多くの科学をはぐくみました。そしてローマ帝国の繁栄も、多文化、他宗教に対する寛容の精神によって維持されていったそうです。その中での異質はユダヤ、キリスト教。究極的に排他的な終末論を掲げるこの集団に対して、ローマ皇帝も国民を守るために厳しくせざるをえなかった。時には禁教になったことも、キリスト教の持つ寛容の精神の皆無からくるものだということ。そしてキリスト教がローマを飲み込む時代、4世紀終わりから、文化と科学の停滞が1000年間続く、いわゆる中世の暗黒です。教会の権威を厳守するため、あらゆる人間の自由性を束縛する信仰がこの期間つづいたわけです。
     それも文芸復興により終わりを告げます。古代ギリシャに模倣する精神は、13世紀にイタリアから、芸術を刺激することで躍動し始めます。そこから人々は自主性を取り戻し、理性が芽吹き、あらゆる学問が発展を始めました。そして理性論、経験論を経て、科学が力を持ち、理神論が人間と神との距離を確実なものとし、唯物思想、啓蒙思想が社会を動かし始めます。フランス革命は人類で初めて市民が人権を獲得した大きなうねりでした。様々な権威による抑圧を超えて、宗教による見えない恐怖を超えて、本当の人間らし人間、思想と討論の自由を持つ国民が現れ始め、今日に至ります。

     ざっとまとめればこんな感じだと思います。「自由」とは幅広い言葉です。何を持って自由とするのでしょうか。この著者は功利主義(ベンサム‐ミルの系譜)を基本としているので、社会の幸福ということに重点を置いていますが、かなりリベラルです。最後は親子の絆も、必要に応じては否定します。我々のいう自由を深く考えさせられます。復帰摂理歴史の、逆説的な読み物として、真摯に向き合うことを望みます。

  • 近年人類が獲得した自由、特に思想、討論においての自由を主軸とした歴史である。古代ギリシャの自由な思想と討論の土壌から始まり、ローマ帝国の寛容、キリスト教の流入により著しく衰退したそれらの自由の闘争をじっくりと描いている。
     自由というものは確かに保障されなければならない。それは誰でも分かる道理である。自由の抑圧のあるところには、人間性の衰退があり、文化、道徳の衰退も現れる。それでも無条件の自由というものには危険が伴うのも確かである。近年のリベラリストによる、子供の権利云々の理屈は理屈だけで実感が伴わない、どころか恐ろしいものを感じる部分がある。社会の退廃も若年層の放縦によるところが大きいのではないか。

     確かに著者は、ベンサム、ミルなどに代表される、功利主義者であるよう。だから、一概にあらゆるものからの自由ということを善として掲げていることではないようだ。本文の中でも、善悪というものは社会が基準になると言っている。しかしそれでも功利が優先であるという主張のもとに、かなりリベラルな立場をとっている。

     宗教、特にキリスト教史とその教義を真剣に考えさせられた。宗教に帰依するものとして、自らの人生を顧み大きな恵みを受けていることは事実である。しかし歴史を振り返る時に、我々が得たものと失ったものの両面を鑑みる必要性を感じた。

    ゆっくりと読んだので時間もかかったが、考えさせられた。逆説的に我を見つめさせられる、こういう時間は重要である。

  • これは大変勉強になった。見事な教科書本となっている。自由とは詮ずるところ、学ぶ自由と信じる自由に尽きる。この権利を獲得するまでにどれほどの血を流してきたことか。本書では西洋史の変遷を辿りながらダイナミックに論じられている。

    http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20101107/p5

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