- Amazon.co.jp ・本 (204ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004121527
作品紹介・あらすじ
人間は死んだ後はどうなるのであろうか。この問題は、つねに人間の最大関心事であった。本書は、原始・古代から現代の文化的諸民族に至るまで、この問題がどう考えられ、具体的にその考え方がどう表現されてきたかを考察する。さらに、来世観や、霊魂と肉体との関係、また私たちの心がまえとして死をどうみるべきかを語る。
感想・レビュー・書評
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白水社クセジュ文庫のために著者が翻訳したグレゴワール(仏)『死後の世界』は民族や宗教の区分の上に立って述べられているらしいが、本書『死後の世界』(岩波新書)は横の繋がりに眼目を置いた死後の世界の入門書で、『金枝篇』含む多くの参考文献から昔の人々の死後についての考えを例に引いた、民俗学的な内容。
以下要約。
太古の時代の人々にとって死とは異状であり、何か計り知れない大きな力が禍いしていると考えた。その異状に陥った魂は直ちに消え去るのではなく、地域や民族にも異なるが、一定期間は不安定な状態で彷徨うことになる。
昔の人々は、望まず死んだ死者の霊魂から祟りを受けることを畏れた。そのため骨や屍を埋めて上から土を盛ったり石を置いたりする行為、水や草を供る行為、紙銭を焼く行為はいづれも、恐ろしい霊魂を封じ込め、生者の世界との境界を劃し、財産を持たせるなどといった、霊魂の祟りを回避するための予防策を意味した。それがいつしか、時代の推移とともに、死者への愛着を表すと考えられるように変化した。
不安定な状態のまま浮遊する霊魂が無事に解放されるまでは生者にとっても他人事とはいえない。万が一にも悪霊に憑依されたり、霊魂自体が祟りを齎すようなことがあれば、生者の生活が脅かされる。そこで霊魂解放(日本の仏教では成仏)までの期間は生者が懇ろに死者の魂を祭り、死後の安寧を祈ってやらないといけない。これが喪の意義であり、これらも本来は死者への愛着のための行為ではなかった。
基督教や回教など一神教においては死者崇拝を禁じる傾向があるものの、叮嚀にその宗教を観察すると、そこにはやはり原始の頃の死者崇拝の痕跡がみられ、掘り返してみればやはり上述の通り死者への畏れから保存されてきた儀礼であることが多い。
死んだらどうなるのか。それは世界各国、各地域、各民族によって様々だが、墓の下を聯想したことから暗くじめじめした世界に送られて喜怒哀楽もなく暮らすことになるという考えが多い。日本のように墓ではなく山に遺棄した民族は山の中で暮らすと考えた。しかしいづれの場合も、その後どうなるのかまでは深く考えなかったらしい。
そんなつまらない暮らしはしたくない、現世の生活にまた戻りたい、そう思って不老不死を追い求めた帰属特権階級は数知れず。そういう人間の思いはいつしか死を回避する抜け穴を探し始めた。しかし人は誰しも死ぬという哲理に突き当たった人間はどうすることもできなかった。そしてやがて、自らの精神の継承という方向へ考えを向け始める。詳細をみるコメント0件をすべて表示