原爆に夫を奪われて: 広島の農婦たちの証言 (岩波新書 黄版 184)

制作 : 神田 三亀男 
  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004201847

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  • 原爆で夫を失いながらも残った子供を立派に育て、必死に田畑を守った女性たちに本当に感銘を受けました。
    現代人にはとても真似の出来ないほどの根性。見習うところが山ほどある内容です。

  • 先週、古本屋で買って読んだ『あの人は帰ってこなかった』の、カバーの見返しに、この本や『ヒロシマ・ノート』、『沖縄ノート』などのタイトルが並んでいた。読んだことがなかったこの本を図書館で借りてきて読む。これは「原爆未亡人村」とよばれた旧安佐郡川内村(かわうちそん)温井地区の「ピカ後家」たち19人の生い立ちから、結婚、原爆被災、その後の人生を聞き取ってまとめたもの。被爆から37年後のこと。

    川内村は当時、広島市の北にひらけた近郊農村。本土決戦体制に応じて結成された「川内国民義勇隊」は、8月の4日、5日、6日と、原爆の爆心地にあたる中島新町の建物疎開作業に出ていた。6日は最後の作業日で、早めに終わる予定で、夫たちは「今日は早く帰れるから」と妻に伝えていたり、若い女性たちは作業後には映画を見に行こうと楽しみにしていたりしたという。

    義勇隊は全滅し、わずかに数名が焼けただれて村まで帰ったものの、間もなく息をひきとった。遺体が見つからなかった場合も多かった。義勇隊は男は16歳から60歳まで、女は16歳から40歳までで、小さい子どものいる母親や年寄り、病人、けが人のほかは皆が隊員だった。村では夫を失った妻が75人にのぼり、夫と子どもを失った人も少なくなかった。

    聞き書きをまとめた神田さんは、「原爆の当時を話して下さい」というのではなく、「あなたの出生から今日までの一代記を聞かせて下さい」と話し込んだ。それぞれの女性たちの来し方のなかで、原爆は、夫や子の死は、どう位置づけられているのか、生き方をどう変えたのか、そこを聞き取ろうとしたのである。

    父が広島出身でずっと広島に住む伯母がいることもあり、広島弁は耳になじみがあるせいか、19人の女性たちの語りは読んでいて、肉声が聞こえてくるように思えた。原爆のおそろしいこと、被爆者たちがどんなにむごたらしく死んでいったかを孫たちに折りにふれて話して聞かせるという人が幾人もいた。しかし、孫たちは聞きたがらないと、これも幾人もの人が語っている。その聞こうとはせん孫たちに、この本を見せるんよと杉田チヨコさんが言うのは、岩波写真文庫の『広島』(1952年)。最近復刊されたのが図書館にあったので、こんど見てみようと予約した。

    被爆から19年たった1964年の8月6日に、温井地区の人たちは「義勇隊の碑」を建て、広島市主催の式典ではなく、この義勇隊の碑に祈るという。編者の神田さんが、巻末に「証言の記録を終えて」で書きとめている「平和式典に警察が出て取り締まるようなことでは、平和じゃない思うとります」という未亡人の言葉に心をうたれる。

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