スコットランド歴史を歩く (岩波新書 新赤版 895)

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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004308959

作品紹介・あらすじ

氏族の誇りを示すタータン柄のキルトや民族の英雄叙事詩「オシアン」など、古代に遡る「伝統」とされていたものの思いがけない起源。それは英・仏という大国の間に挟まれ、内部には分裂を抱えたこの小国の複雑な軌跡と深くかかわりを持っていた。聖堂や古城、渓谷などをめぐる旅から浮かび上がる、スコットランド国民再生の歴史。

感想・レビュー・書評

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  • メモ
    ○M5年、岩倉使節団はスコットランドを訪問、夏目漱石もハイランドの谷間のピトロホリで癒しの旅を試みている

    ○スコットランドはハイランド、ローランドで気候、気質、産業が違っている。それぞれ反目しあっている。
    ○ハイランド:北=北西の高地地方と島嶼部。寒冷、多雨、深い谷と入江。人口密度低い、ほとんど都市や産業らしいものは無い。牛と羊の高地放牧を主な生業。18世紀まではケルト系のゲール語圏。独特の氏族(クラン)制が残っていた。
    ○ローランド:都市化の進んだ中央低地。エディンバラやグラスゴーの都市を含み、東部海岸平野、南部の丘陵地帯。地味、気候に恵まれはやくから農業、産業化進み、所得水準も相対的に高い。文明の主な産物、自治都市、王宮、修道院、裁判所、大学が集中。
    ○ハイランドはロウランドからみると「化外の地」。モニュメントとしてはわずかに古い城壁や石の十字架。
    ○16-18世紀ではハイランドもローランドも人口密度、産業そう変わらなかった。・・ハイランドは現在ほどの過疎地ではなかった

    ◎人種:12世紀には現在と変わらぬ混成。最初の定住者ピクト(北東部)、5世紀にアイルランドからスコット。スコットのリードで独立国作る。11世紀には北東イングランドまで領土ひろげる。この間、南西(ウェールズ)からケルト系のブリトンが合流。8世紀からヴァイキング(ゲルマン系)の侵攻、南東からアングロ・サクソンも浸透。最後に11世紀のアングロ・ノルマンの到来で、ほぼ現在の人種構成出来上がる。

    ◎言語:はじめケルト系だが、スコット人の言語であるゲール語(アイルランドのゲール語に近い)が11,2世紀にはどこでも話されていた。アングロ・ノルマンの強い宮廷では早くからフランス語や、英語に近いスコットランド語がつかわれたが、ゲール語も15世紀末までは使われていた。が次第にゲール語圏は縮小し、ハイランド以外では離されなくなる。農業、商工業中心のロウランドと放牧経営のハイランドの発展格差がそこに投影された。

    ○ハイランド人のロウランド人観:音楽や詩を理解せず、祖先を誇りとせず、愛情を知らない。名誉心も無く楽をして便利を求め、積極的に善をなそうとするのでなく、悪を避けようとする。ハイランド人が心から憎むこと~冷たく利己的で形式を言い立てる性質・・ハイランド人の屈折した心情。ロウランド人は貧困と古い生活様式に生きるハイランド人を見下している。・・18世紀の両者の埋めがたい亀裂。

    スコットランド略史
    500頃 アイルランド系の「スコット人」、ハイランド南部に王国建設
    550頃 アングル人、東南部に移住
    563 聖コロンバがアイオナ島に到着、キリスト教の布教はじまる
    11世紀半頃 スコット人のアルバ王国、全土を支配。続いてアングロ・ノルマン化進む
    1295 司教・伯・バロンの連合体(王国の共同体)、フランスと同盟締結(古来の同盟)
    1296 スクーンの石がイングランドのエドワード1世によって持ち去られる
    1297-1035 ウィリアム・ウォレスの対イングランド戦(映画:ブレイブハートの事項)1297スターリングブリッジの戦いで勝利
    1320 アーブロース宣言(1296-1328)の対英独立戦争の勝利の象徴)。貴族たち、ロバート一世(1306即位)を支持。だがどんな王でもイングランドに隷属するなら直ちに人民の手で退けられる。・・対イングランドでの統一で王権でのスコットランド統合ではない
    1560 宗教改革、対仏離反のはじまり
    1603 同君連合(イングランド王と同一の王を抱く)
    1688 名誉革命
    1690 長老は協会統治再確立
    1692 グレンコーの虐殺
    1698-1700 ダリエン植民
    1707 合邦(イングランドとの議会合同) スコットランドの国家としては消滅
    1745-46 ジャコバイトの乱
    1762 「オシアン」事件はじまる(「フィンガル」刊行)
    1767 エディンバラのニュータウン建設開始。このころスコットランド啓蒙開花。
    1822 ジョージ4世、エディンバラ行幸。
    1856 ヴィクトリア女王、バイモラルに離宮建設
    1999 エディンバラに議会復活

    ○タータン柄:1822 ジョージ4世、エディンバラ行幸。この時「我が家のタータン」と称するコスチュームで多くの貴族・郷士が参加。ジョージ4世もタータンを着用したので、それまで反乱のシンボルであり牛泥棒の衣服であったものが一挙に「愛国心の表現」となった。(1745ジャコバイトの乱で氏族別の軍隊が組織されその軍隊毎にタータン柄の制服とした。だが乱で負けるとタータン柄は着用禁止。1782に解除され、民間人もハイランド衣装を自由に着用できるようになった。ロンドン・ハイランド協会(1788設立)はハイランド伝統保持を掲げ、氏族に氏の柄を協会に提出するよう求めた。氏では柄が分からなくなっている者もいて、織物業者は柄の見本帳を作り、それまで番号で呼ばれていた図柄は、連隊名や氏族名、地名などが授けられた。)


    著者:高橋哲雄 1931生 京都大学経済学部卒。イギリス近代史専攻。甲南大学、大阪商業大学名誉教授(2004時)

    2004.6.18第1刷 図書館

  • スコットランドの歴史、知識ゼロの状態で読みましたが、この歴史ってミステリードラマのようだわ、と思ってしまいました。メアリー女王の人生だけもってしても。
    天皇家が、ずーーっと続いている日本が特殊なのかもしれないが・・・
    イングランドとスコットランド、スコットランドの中でもハイランドとローランドは全く異なるということ、スコットランドはイングランドとフランスの狭間にあった歴史をもっているんですね。タータンも、突然有名?になった代物だということもビックリでした。

    UKと一括りにしていてはいけない、ということが理解できました。

  • 素晴らしく面白かった。恥ずかしながらイギリス史もスコットランド史もまるで知らないできました。もったいないことでした。本書に啓蒙されました。

  • 【展示用コメント】
     タータンチェックは新しい伝統?

    【北海道大学蔵書目録へのリンク先】
    https://opac.lib.hokudai.ac.jp/opac/opac_details.cgi?lang=0&amode=11&place=&bibid=2001151443&key=B151608031516586&start=1&srmode=0&srmode=0#

  • w

  • 知識がほぼない自分にも、けっこう読みやすかった。

  • 2014年9月18日にスコットランド独立の賛否を問う国民(住民)投票が実施される。
    どうやら No が過半数を超えそうだが、平和裏に独立が達成できる前例をいつか作って欲しいものだ。
    本書でそうした国民性を育んだ歴史的背景を学べたが、今回の経緯を含めた増補版を期待している。
    “Westminster won’t devolve further power in the result of a No vote, for the simple reason that it won’t have to. Cameron fought to remove devo-max from the ballot for a reason. At the moment, the threat of independence is the only bargaining chip Scotland possesses, the only thing which prevents, for example, a lowering of our block grant….Westminster promised treats if we voted against devolution in 1979. What happened? Thatcherism.”
    Alan Bissett, author and playwright

  • スコッチとアイルランドの違いから、同国が如何に合理主義的な国なのかを説き始めており、その背景にあるジョン・ノックスのカルバン主義による宗教改革の説明は説得力があります。そして同国内のハイランドとロウランドの対抗意識。国運を賭けた船の沈没もありスコッチ国家の経済破綻の結果としての1707年のイングランドとの悲しい結婚式(国家統合)。1999年の議会復活そして独立の動きということもその中で理解が深まったように思います。EU統合が逆にスコッチの自立性を良い意味で高めていってくれそうですね。それにしても北アイルランド、チェチェンなどの民族闘争を見るとき、スコッチとイングランドの関係は幸せだと痛感します。キルトとタータンという同国を象徴する2つの文化が実はあまり歴史のないものだったものが意図を持って象徴となり、そして禁止されたりしたという解き明かしも興味深いものがありました。文化不毛の地から人材排出の国への転換。実はNZ発見のクック船長もスコッチだったのでした。その外、多くの有名人が出身であるということを認識していなかったということそのものが、一体化が進んでいたと言うことなのかも知れません。

  • キルトとタータンは意外に新しい  -2005.08.22記

    スコットランドの民族衣装、キルトとタータンは意外に新しい―

    男性がはく膝丈のヒダつきスカートのキルトも、氏族ごとに色や柄がちがうといわれる格子縞模様のクラン・タータンも、そんなに歴史を遡るものではなく、意外と新しい風俗だとあって、歴史や伝統の捏造とはいわないまでも、伝統性などというものは遡って虚構化されていくものだと、あらためて実例をもって気づかされる。

    著者によれば、スコットランドは、ハイランド(高地地方)とロウランド(低地地方)の二つの異質の地域がこの王国のなかに居心地悪く同居しつづけてきた。ハイランドはスコットランドの北ないし北西に広がる高地地方と島嶼部からなる。深い谷と入江で分断され、人口密度は低く、ほとんど都市や産業らしきものはない。牛と羊の高地放牧を主な生業としてきた。18世紀まではケルト系のゲール語圏で、独特の氏族制が残っていた。いわば「化外の地」であって、わずかに古い城砦や石の十字架を見るにとどまる。
    ロウランドは都市化の進んだ中央低地-エディンバラやグラスゴウがある-と東部海岸平野、それに南部の丘陵地帯を合わせた地域。地味、気候にめぐまれて早くから農業が行なわれ、産業化も進み、所得水準も相対的に高い。自治都市、王宮、司教座聖堂、修道院、裁判所、大学等はすべてロウランドに集中した。

    キルトの場合、18世紀の初め頃に、ハイランド地方の森の作業場で、必要に迫られ生れた作業着にすぎないものが、19世紀初めの民族衣装ブームのなかで上・中流階級に急速にひろまって古来からの民族衣装へと昇格していったというのが事の真相らしい。
    クラン・タータンとなるとさらに時代は新しく、ハイランド地方における氏族制度は1746年のジャコバイトの乱の敗北で解体されていくが、その頃でも氏族別のタータン柄というのは生れていなかったようで、ところが1822年のイングランド国王ジョージ4世がエディンバラ行幸したさいには、ハイランドだけでなくロウランドの貴族や郷士たちまでもが「わが家のタータン柄」と称してクラン・タータンを身につけていたという。

    こうした<伝統が創られる>背景には、イングランド地方のイギリス国王とスコットランド地方の歴史的な長いあいだの相克から、統合・征服化されていくにしたがって、かえって征服される側=スコットランド地方の物語化、ロマン化が紡ぎ出されていくということがあるようだ。

  • 北のハイランドと、南のロウランドに区分できるとのこと。
    北は山が多く、南は都市が発展している。

    スコットランドは、イギリスの中では、ケルトの国の性格が濃い。
    ゲール語はハイランドに残っているとのこと。

    しこし、スコットランドのことがわかりました。
    サッカーの話題もあると、より馴染めたかもしれません。

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