中世日本の予言書: 〈未来記〉を読む (岩波新書 新赤版 1061)
- 岩波書店 (2007年1月19日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004310617
作品紹介・あらすじ
空から飛来する猿、牛腸を喰らう黒鼠。こうした奇怪なイメージに満ちた予言の書は"未来記"と呼ばれ、とりわけ中世に数多く出現して、人々の心をとらえて離さなかった。その一つ『野馬台師』と、さらに聖徳太子の名を冠した一群の"未来記"を読み解き、それらが実は「もう一つの歴史叙述」にほかならないことを明らかにする。
感想・レビュー・書評
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予言書という分野が、中世から現代まで同じような取り扱い方をされているのが面白かった。予言書という形式の歴史供述。しかし、中世の人々は信じ込んだというか、信じ込まされざるを得ない環境にあったというべきか。
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予言書というものが、性格上後から作られるというもっともな指摘(起きたことを予言書の文言で解釈し直す作業であるから。)がものすごく納得。この事件も、この災害も、予言書に書いてあると言われて、すごいな!未来を当てている!と興奮してしまうけれども、これから起こることを正確に書いてあるものは無い訳で。起きた後にここに書いてあるこの断片が、そういうことだともっともらしく言われるだけなのだ。そうした意味で、予言書は歴史書であるという筆者の指摘はわかりやすい。戦乱の世だったり、天変地異だったり。近いところでは90年代のあの経済の閉塞感、変な事件、阪神淡路大震災をはじめとする自然災害、そういった空気が予言書を求めてしまうものなのかもしれない。
いずれにしても予言書が流行る世の中というのは、健康ではないんでしょうな。 -
聖徳太子が未来を記したという奇書「未来記」の研究者が書いた一冊であるが、構成が全くもって駄目。まず、未来記自体の魅力が伝わってこない。未来記を掲載している他の歴史書の羅列にすぎず、解説も別に目新しくもない。
こんな解説なら、別に新書じゃなくていいよって感じ。ぜんぜん新しくないし、面白くない。
とくに思わせぶりなタイトルが、さらにガッカリ感を深くします。
小峰先生という方の本は初めて読みましたが、文章もヘタ。新書なんだから、編集の責任も大。 -
よくわからないところが多かったので、飛ばし読みになってしまいました…。
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[ 内容 ]
空から飛来する猿、牛腸を喰らう黒鼠。
こうした奇怪なイメージに満ちた予言の書は“未来記”と呼ばれ、とりわけ中世に数多く出現して、人々の心をとらえて離さなかった。
その一つ『野馬台師』と、さらに聖徳太子の名を冠した一群の“未来記”を読み解き、それらが実は「もう一つの歴史叙述」にほかならないことを明らかにする。
[ 目次 ]
序 未来記という名の予言書
1 去りゆく神仏、談合する神仏
2 発掘される未来記―捏造と発見のドラマ
3 未来から歴史を読む
4 未来記に憑かれた人々
5 生きている未来記
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
「未来記」という言葉の不思議さに惹かれました。
私達人間のふしぎさ、予言されたとおりになったと、未来を利用するしたたかさ、そして、それ自体を楽しむ人々。
何が予言か、必然か、『野馬台詩』『聖徳太子未来記』から読み解きます。 -
日本中世の未来記、聖徳太子に擬せられたものや野馬台詩を中心に、それらが歴史的に持つ意味を考察している本。荒唐無稽に見える「未来」を描いた予言書でも、そこには「過去」「現在」の状況が反映されていて、その当時の人々の状況を知る歴史的に意味のある手がかりになるという論説にはなるほどと思った。ただ、資料の使い方が不明瞭で読みにくかった部分はあった。