アラビアンナイト: 文明のはざまに生まれた物語 (岩波新書 新赤版 1071)
- 岩波書店 (2007年4月20日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004310716
作品紹介・あらすじ
誰によって、いつ頃つくられたのか、本当に千一夜分の物語があったのか-いまや世界文学となった「アラビアンナイト」の成立事情は、謎に包まれている。まぼろしの「原典」探し、「偽写本」の捏造、翻訳による違いなど、成立から翻訳・受容の過程をたどり、異文化のはざまで変貌していく物語集の文明史的意味を考える。
感想・レビュー・書評
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「誰によって、いつ頃つくられたのか、本当に千一夜分の物語があったのか―いまや世界文学となった「アラビアンナイト」の成立事情は、謎に包まれている。まぼろしの「原典」探し、「偽写本」の捏造、翻訳による違いなど、成立から翻訳・受容の過程をたどり、異文化のはざまで変貌していく物語集の文明史的意味を考える。」
西尾/哲夫
1958年香川県に生まれる。1987年京都大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士(京都大学)。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助手、同助教授を経て、人間文化研究機構国立民族学博物館教授、総合研究大学院大学教授。専攻、言語学、アラブ研究詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2022年5月23日購入。
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西尾哲夫×森見登美彦の対談「ファンタジーの挑戦」に参加した時に聞いた内容のまとめ。
ゲーテやアンデルセンも親しんだと言われるアラビアンナイト。
現存する最古の資料は、紀元九世紀(アッバース朝)の紙に書かれているもの。バグダッドで成立
原典はアラビア語→フランス語版のタイトル『千一夜物語』
→イギリスで出版された時は『アラビアンナイツエンターテイメント』
ここではガラン版を詳しく見ていく。
フランス人のガランは仕事で二十年中東に滞在し、オスマン帝国の文人の著作を翻訳。その際にアラビアンナイトの存在を知ったのでは?その後、アラビア語の『千一夜』の写本を入手し、フランス語へ翻訳。
ガラン版1704年刊
当時のフランスで、おとぎ話とシノワズリー(中国趣味)が流行っていたこともあり、瞬く間に人気を博す。宮廷だけでなく一般庶民の間でも広く読まれた。
当時、一般庶民の識字率は男性30%未満、女性はその半分。
読める人の周りに読めない人が集まって、読み聞かせをしてもらっていた。
英語、ドイツ語、オランダ語など様々な言語に翻訳された。日本に入ってきたのはオランダ語訳(1755年)
廉価版が出回り、庶民にも浸透するようになると、子どもでも読める物語として、アラビアンナイトは広く受け入れられた。
現代の子どもは、当たり前のように絵本を読んでいるけれど、18世紀になるまで児童文学というジャンルはなかった。
おそらくインドやペルシアに起源を持つ古い物語がアラビア語訳され物語集が編まれ、アラビアンナイトの核ともいえるべき部分が成立した。歴代編集者たちが別の物語集から話を借用しアラビアンナイトに紛れ込ませ、この一大物語集が出来上がった。わたしたちがアラビアンナイトとして読んでいる物語集は成立当時の何倍にも膨らんでいるわけである。
ガラン版は全十二巻。
ガランが訳出に使用した写本はガラン写本と呼ばれており、現存するのは全三巻だが、四巻目があると考えられている。ガラン写本三巻がガラン版六巻までのものとなり、七、八巻は幻のガラン写本四巻目。九、十巻には「アラジン」、十一巻には「アリババ」、最終章の十二巻には空飛ぶ絨毯の話があるが、これらはアラビア語の原写本が見つかっていない。
実は、九巻目以降は1709年にハンナ・ディヤーブというアッレポ出身のマロン派キリスト教徒から聞いたものだったようだということが、ガランの日記から分かっている。
だが、ガラン版にはシリア人から聞いた話だとは書かれていない。あくまでも写本を訳出したものであるという態度を貫いている。故意に隠蔽しているのである。小細工は他にもある。
「シンドバッド航海記」ガランの手元にあるシンドバッド写本には夜ごとの区切りがなかったので、ガラン版には区切りを勝手に挿入した。
それからガラン写本第三巻は物語の途中で終わっており、続きは別の写本から訳出したと思われるが、ガラン版ではこの事実に触れていない。
それから物語の順序を入れ替えたもの、第七巻からは夜ごとの区切りをなくしたり、第八巻では出版社が別人の訳した物語を紛れ込ませたりもした。
ガランは物語は千一夜分あり、どこかに完全な写本が現存するはずだと思っていた。ガラン写本以外にもエジプト系、シリア系などのアラビアンナイト写本が存在するが、「決定版」はない。どの写本をもとに翻訳するかによって内容がかなり異なるのだ。そして偽写本も出回っていた。
時代と共に印刷技術が発展すると、これまたさまざまな原典・写本をもとに編集される。著者曰く究極の寄せ集め本であるカルカッタ第二版というのがヨーロッパ人にとっての正典になっている。(最終形態は究極の寄せ集め本)
レイン版はレインが見て不道徳と思われる話が削除されているし、逆にバートン版は好色文学としてのアラビアンナイトのイメージを定着させた。バートン版は世界中に広まった。偽写本や素性のわからない写本に記された物語も読むことができる。
現在、日本で読まれている大人向けのアラビアンナイトは、バートン版とマルドリュス版からの翻訳。
日本へ入ってきたのは明治に入ってから。日本最初のアラビアンナイトである1875年刊『開巻驚奇暴夜物語』はあまり売れなかった。1883年『全世界一大奇書』は日本の昔の詩人の愛読書になったりしていた。訳者の井上勤は、16歳の時に神戸のドイツ領事館で通訳を務め、大蔵省や文部省に勤務するかたわらシェイクスピアやジャール・ヴェルヌも訳している。井上のアラビアンナイトはNDLのデジタルコレクションでも閲覧できる。明治末期〜大正にかえて児童文学というジャンルが定着し、子供向けの読みものとして次々と出版されるようになる。1920年代には大人向けのアラビアンナイト(バートン版、マルドリュス版)が発禁処分になっている。
アラビアンナイト学の研究者は世界中にいる。アラビアンナイトの内容は多くの人を惹き付け人々の愛読書になり、またそこからインスピレーションを受けて作品を作る人もいる。さらにその歴史も多くの研究者を惹き付けてやまない。
p103
アラブ文学では現在にいたるまで韻を整えた詩歌に重点が置かれてきた。詩文偏重の伝統はイスラム勃興以前のジャーヒリーヤ(文字通りには「無知」であるが、「無明時代」の訳されることが多い)時代にまでさかのぼる。各部族には専門の詩人がおり、部族間の抗争では詩人が先頭に立って「言葉の矢」としての詩を応酬する慣わしがあった。また、すぐれた詩はメッカの街に掲げられたといわれている。アラブ世界で詩がどれほど尊重されたかは、アラビアンナイト中にちりばめられた詩の多さを見てもわかる。子供向けのリライト版では詩は省略されていることが多く、大人向けの翻訳でもレインなどは詩の多くを訳していない。 -
説話集『アラビアンナイト』がヨーロッパで再発見されて世界へと広がっていく中で、どのように変わっていったのかに迫った本。
底本がないゆえに新しい物語が次々と加わり変形していく『アラビアンナイト』変遷の歴史を、本書で知ることができます。 -
NHKの100分で名著を見てアラビアンナイトの歴史を知りたかった。
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アラビアンナイトを始めとする一千一夜物語が、西洋におけるアジア文化との交流の役割をどのようにして担っているか。オリエンタリズム的視点。
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S019.9-ブン-901 300291036
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220ページほどの新書版だが,本格的な<アラビアンナイト論>。
こどもの頃には童話集で、アラジンと魔法のランプとかアリババと40人の盗賊などを読んだように思う。この2つの物語は,本来アラビアンナイトには入れてなかった物語だった、ということも初めて知った。そして大人になって読んだ記憶は無いが,アラビアンナイトにはいくつかの異本があることは、バートン版などと謳ったタイトルを本屋で見かけたことなどから想像できていた。
この本で本来のアラビアンナイトの歴史を読んだ。そして世界の中の欧州・中東・亜細亜などいくつかの文明のありようを、改めて感じたところ。
目次は次のとおり。
第1章 アラビアンナイトの発見/最初の翻訳者アントワーヌ・ガランなど
第2章 まぼろしの千一夜を求めて/本当は千一夜なかった?・・など
第3章 新たな物語の誕生/アメリカでの「東方小説」・・など
第4章 アラブ世界のアラビアンナイト/アラビアンナイトは非主流派など
第5章 日本人の中東幻想/江戸期の中東情報/明治期の翻訳事情・・など
第6章 世界をつなぐアラビアンナイト/進化し続ける物語・・など
第7章 「オリエンタリズム」を超えて
日本語全訳版は、岩波文庫88年マルドリュス版・東洋文庫92年カルカッタ2版・ちくま文庫04年バートン版。