記者がひもとく「少年」事件史 少年がナイフを握るたび大人たちは理由を探す (岩波新書 新赤版 1941)
- 岩波書店 (2022年9月21日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004319412
作品紹介・あらすじ
殺人犯が少年だとわかるたびに、報道と世間は実名・匿名、社会・個人の責任、加害・被害の間で揺れ、「少年」像は戦後から現在まで大きくシフトした。白昼テロ犯・山口二矢から、永山則夫、サカキバラへ、そして「少年」が消えた現在までをたどり、成人年齢引き下げの中、大人と少年の境の揺らぎが示す社会のひずみを見つめる。
感想・レビュー・書評
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なかなか重たいテーマだった。
時代によって変わってきた少年法についても、とても興味深かった。また報道の仕方にも時代の変化があった。
1頁1頁がとても重い一冊だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
少年犯罪を時代別に整理し、丹念に追った力作。報道の仕方に注目する視点は新鮮だった。
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●少年事件は「社会の鏡」と言われる。
●過熱する報道に対する法務省からの抗議を受け、1958年、日本新聞協会は少年事件を匿名で報道する方針を示す。あくまで自主規制で。加害者の親の立場に立って。
●1960年山口二矢の事件は、戦後初めての政治家の暗殺だった。山口は、その年の11月、東京少年鑑別所の単独室で自殺した。
● 1960年代は、少年による殺人事件のピーク期にあたる。61年は448人と戦後最多、その後20年間300人以上で推移していた。
● 1968年、19歳の少年永山則夫による連続ピストル射殺事件。「事件が起きたのは俺が無知だったからだ。貧乏だから無知だったんだ。」1990年に最高裁で死刑が確定。20年の歳月。「無知の涙」は、ベストセラーに、印税は遺族への賠償に当てていた。また、勾留期間の間、文通相手と獄中結婚もした。
●「暴走族」の名称が、各紙の紙面に登場したのは、1972年のことだ。カミナリ族、狂走族などと呼ばれていた集団が全国的に増える状況を見て、警視庁が彼らを暴走族と命名し、取り締まりを始めたのだ。
●綾瀬女子高生コンクリート殺人事件。少年の自宅に同居する両親は、2階の少年の部屋に少女がいたのを知っていたにもかかわらず、助ける事はなかった。 -
世間の少年事件への眼差しは、時代と共に大きく変わる。特に現代は、「少年」に責任を問い、「大人扱い」をする向きにある。
最近のどの事件・事故にも言えることだが、今日は事件の責任を「個人」に負わせ、終わらせてしまうことが多い。だが、終わらせてしまう前に、事件を通して社会や環境を見直すべきではないだろうか。これらは重要な視点だと強く思う。 -
過去の少年犯罪に対する、マスコミの対応について述べている。時代背景によって、変わっていくのが非常に興味深い。
今後も見守りたい。 -
【請求記号:368 カ】
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「少年」事件史が、時系列に分かりやすく書かれており、この切り口は目新しく興味深く読めた。
少年による事件は、壮絶な、かつ悲惨な家庭環境による人格形成が原因のことが多いため、更生を第一に考える少年法の理念を頭では理解しようとするけど…人生はただの一度きり、命は何より大切、そしてその命がなんの落ち度もないのに突然断ち切られる、それにより被害者の家族や周りの人の人生までズタズタにしてしまう、ということを思うと…大人気ないと言われるかもしれないが、心ではこの理念がどうしても受け入れられない。
筆者が書くように「加害者が、少年であろうと、成人であろうと、被害者の受けた被害は変わらないという現実」。本村さんの言葉「判決は加害者だけのものではない。少年への憎しみを乗り越えていくためには、死ぬほど努力をしなければならない」が胸を抉る。