- Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006003654
感想・レビュー・書評
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どうしていつも感情論にすり替えられてしまうかなあ、というイライラが軽減された。靖国問題の本質をとらえた稀有な書籍。
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主に戦後の靖国神社をめぐる社会的位置づけについて、「殉国」と「平和」というふたつの位相からとらえようとする。戦後しばらくは靖国神社じたいが「殉国」と「平和」を共存させていたが、1970年代くらいから(すなわち靖国神社国家護持法案が成立しえないと確定したあたりから)「平和」を振り捨て「殉国」のほうへ針を傾けていく。そのことは、太平洋戦争肯定と「東京裁判史観」否定とも相即であった。このような方向性は、靖国神社が「過去の戦争とその中で靖国神社の果たした役割に対する自覚的な反省が足りなかったから」(332頁)である。また、戦死者の遺族にとっては、「国による手厚い補償によって報われた死となることは、死の原因である戦争への否定の意識を弱めていった」(333頁)ことが「殉国」重視化を支えたという。
今日の靖国神社は、諸外国を敵にまわしたり逆に批判したり、政府の姿勢を攻撃し、天皇からも距離を置かれた状況にある。だからこそ、自らの価値を確固たるものにするために、今後いっそう「殉国」に価値を見出すことに純化し、そしてそれを支援する人々によって支えられていくのではないか。それだけならば良いかもしれないが、もし仮に日本が再び戦争に加わるとき、靖国神社はそのシンボルとなってしまうのではないか。本書を読んで、そういう懸念を抱いた。 -
東2法経図・開架 B1/8-1/365/K