- Amazon.co.jp ・本 (418ページ)
- / ISBN・EAN: 9784006004101
作品紹介・あらすじ
著者が確立し、教育裁判において「学習する固有の権利」を導いた国民の教育権の構造と、戦後史における教育法制の展開と課題を分析した名著『人権としての教育』(1991年)に、近年の「「国民の教育権と教育の自由」論再考」と「憲法と新・旧教育基本法」を追補。その理論がなぜ今も新しいのかを提示する。(解説=世取山洋介)
感想・レビュー・書評
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新たに付け加えてあるとはいえ、古くならない。教育はそれほど変わっていないということだろう。
権利としての教育という考え方自体はフランス革命時にはあったのだが、実現したのは第二次世界大戦後の日本であるというところが驚きである。そう考えてみるとまだこの考え方は新しいであり、常に気をつけて見ていかなくてはまだまだ失われやすい物であるということである。現に今、危機に瀕している。努力して子ども達の手により良い教育を手渡していかなくてはならない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
いくつかの重要なKeywordを知った。組織化された私的領域としての公。家永教科書裁判。コンドルセの公教育の原理。保坂展人の内申書を巡る裁判などなど。
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1950年代以降、国が公教育を通して子どもの人格に介入する姿勢を強めた時期に、これに対抗しようとした異なる分野の法学者たちが編み出した「国民の教育権論」.その中でも子どもの権利の観点から国民の学習権・教育権論を緻密に構想したものとして評価されているのが本書.1991年版が新たに増補されて、著者のあとがきと、おそらくお弟子さんの解説付きで文庫で復活.
本書の構成は大きく2つ、国民の学習権・教育権に関する政治哲学的考察と(第1部)、日本の教育法の成立時期から現在に至る展開を論じるもの(第2部)からなります.第2部は当時の関係者からの引用が多く勉強になりました.
密かに期待していた故・西原博史(憲法)による「国民の教育権論」批判への応答は、過去(2007年)の中途半端な応答記事を本書に追加しただけ.正面から答えることができなかった点は残念.
本書で著者は、生前の宮沢俊義が、当時の教育を受ける権利に関する憲法学の通説に宗像誠也が加えた批判を、宗像の存命中に宮沢が理解できなかったことを残念そうに述懐します.ついぞ宮沢も生前に通説を見直すことができず、宗像説への言及も不正確に留まっていたと.
上記のように同じことが堀尾氏自身にも当てはまることは皮肉. -
東2法経図・6F開架:B1/8-1/410/K