新島襄 (岩波現代文庫)

著者 :
  • 岩波書店
3.67
  • (2)
  • (2)
  • (1)
  • (0)
  • (1)
本棚登録 : 36
感想 : 5
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006032944

作品紹介・あらすじ

同志社大学の創立者新島襄は、キリスト教の信仰と伝道に生涯を賭けた宗教家、教育者。幕末に脱国してアメリカに渡り、西洋の文化、学問にふれた青年は、日本で最初のキリスト教主義大学の設立を決意する。帰国後、多くの困難、迫害に立ち向かいながら、布教と学校設立に挺身する。その人と思想は、日本の近代思想、教育に多大な影響を与えた。本書は、様々な資料を使いながら、新島襄への共感を込めて描かれた最良の評伝である。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 今まで新島襄の伝記や評伝を色々読んだが、本書はもっとも印象に残った一冊。
    ▼函館に向かう途中で、立ち寄った岩手の鍬ヶ月という港で、娼婦が跋扈しているのを「是悪むべき風俗」と批判した後、日記の原本が切り取られているという。新島の神聖さを傷つけたくなかったものの仕業かと著者。「港町の商売女の強引さに負け、思い切り金をふんだくられたからと言って、恥さらしでもなんでもないだろう」
    ▼津田梅子の父、津田仙とは江戸の蘭学塾で同窓。梅子が岩倉使節団で渡米した時も会って話したことがある。新聞の父、ジョセフ彦には、父との文通を取りもらってもらうように期待したが、横浜から長崎に移っており役に立たなかった。
    ▼政府に留学費用を出されようとしたが、頑として断る新島。キリスト教信者として国家のしもべになることを嫌った。資金面はどうしていたのか。そこはハーディー夫妻というパトロンの存在を著者は強調する。帰国後も援助を受け続けており、「新島の教え子がまっさきにこだわりを感じた」とある。生徒は身銭を切って学んでいたからだと。新島と同じく米国の会衆派協会で洗礼を受けて、大阪に梅花女学校を設立した沢山保羅との比較。沢山は援助を受けず清貧を貫き、梅花も伝道協会からの援助なしに設立された初めてのキリスト教主義学校だという。
    ▼同志社が大学になる時「明治専門学校」という名前になるところだった。キリスト教臭さを隠すためであったと著者。しかし徳富蘇峰が「同志社大学」を手紙で勧めて覆ったという。

  • 新島襄という1人の人間を語る。

    何が新島先生だ、創立者はそんなに偉いのか、と思った瞬間が自分にもある。新島襄は神格化されすぎていないかと思ったことがある。著者もそう考えたことがあった。同志社との接点は多くともあまり新島襄に親しみはわかなかったようである。しかし著者は徐々に若い同志社人たちにも新島伝を読んでもらいたいと考えるようになり、それならば欠点も明らかにした新島襄像を描かねばと考え、あらためて史料に当たり新島襄その人の姿を改めて明らかにしようとした。これがその本である。

    なかなか面白かった。昔授業等で習ったり礼拝で聞いたりした新島襄の新たな人物像が見えた。新島襄のことをある程度知っている人におすすめしたい本である。特に同志社系列校に通っていた方におすすめしたい。懸賞論文のテーマ探しにもよさそうな本だ。

    新島襄が出会った「キリスト教」「自由」とはどんなものだったのか、その在り方や思想が明確に分析される。ボストンのピューリタンの雰囲気、ハーディーの物心両面に渡る厚い援助、そして国外脱出までに新島襄が培っていた潔癖さと身分の上下への反発。それらが新島襄にだけあった特別な要素として、京都での同志社英学校の設立、初期の運営につながっていた。

    特に梅花の創設者である沢山保羅との比較は読み応えがあった。寡聞にして知らないだけだと思うが、新島襄が貧困に困ったことはなく、帰国してからもハーディーの援助を受け続けていたこと、それによってある意味アメリカン・ボードにしばられる面もあったことなどは、深く考えると大変面白い話である。

    解説は佐藤優氏。新島襄は政府への奉職を拒み続けていた。佐藤氏が外務省に入ることとなった時、恩師である著者が語った言葉が見事なシメになっていた。

  • 戦前同志社で学び、戦後同志社で教鞭をとった著者が、等身大の新島像を描こうとしたのが本書である。その背景には、60年代の大学拡張期(高度経済成長期)に「学生たちは、新島襄が使命感に燃え、祈祷の中で神に祈りを求めながら同志社を創立し発展させたことについて、教えられないまま大学を卒業していく」状況があったようだ。

    従って本書は、日本近代のあけぼのの時期に、目標をはっきりと見定め、迫害・抵抗勢力にも屈せず、日本を「良心」溢れた「自治自立」の人民の国にするため、人民の手に依って設立する大学の実現にすべてを投じてきた、彼の真摯な姿勢と強い意思と行動力が描かれている。それは「新島襄はいったいそんな偉い人だったのか」と著者が同志社中学時代に疑問を呈した新島観とは、全く反するものと言っていい。

    新島が敬愛される理由は、同志社創設者やキリスト教宣教師としての面もさることながら、むしろそれらを支えてきた高潔な人格と日本国民を愛する一途で真摯な姿勢と行動力にあるように思う。新島の人格に触れた人物評伝は枚挙にいとまがない。
    浮田和民は「自分たちは先生をいじめたけども、然し先生の誠意親切は我々も深く感じたわけで、此点先生の人格については勿論深く信頼を有っていた」(p.198)という。
    徳富蘇峰は「人間の価値は奉仕する心の純潔と熱誠とに依って、定まるものであるという事を教えたのは、新島先生である」(『蘇峰自伝』)そして「未だ新島襄の如き、真醇熱烈なる愛国者を見たことは無い」(『新島先生と徳富蘇峰』)と評している。

    新島は1890(明治23)年、最後の正月に病床にて筆をとり、最後の七言絶句をしたためた。
    「送歳悲しむことやめん/病弱の身鶏鳴はやすでに佳辰を報ず/劣才たとい済民の策に乏しくとも/なお壮図を抱いて此の春を迎う」

    最後の最後まで、「良心」に満ち溢れた国民を養成する大学の設立を願って止まなかった。それは、日本を愛し、日本国民を強く愛するが故の私立大学の設立であり、当時の国家の為の大学(官立大学)ではできない教育であった。柏木義円は「(新島は)利害の人に非ずして主義の人なり」と評し、その主義とは「日本を英仏米の水準にまで高めようとする志に支えられたものにほかならない」と評した。
    当時と同じように価値観が流動的な今の時代に生きる者にとって、「良心」に裏付けされた「主義」をもって生きることの大切さを改めて教えてくれるように思うのである。

  • 新島襄の名前は知っていたが、どんな人で、どんなことを行った人であったかは知らなかった。
    そんな人にぴったりの入門書だと思う。

    新島襄は苦労もしたが、比較的恵まれた人生を過ごした人だと思う。彼の生活費がアメリカのボードからの寄付金で賄われていたことに驚いた。けっこう裕福な暮らしをしていたようで批判もあったようだけど。

    一番印象的だったことは、彼がキリスト教主義学校を設立することにかけた情熱だ。こんな熱い思いで作られた大学だと今の学生は知らないと思う。全同志社の学生に読んでもらいたい本。

  • 距離を置いた視線に好感が持てた。偉人伝ではない。ヒトとしての新島が理解できた。命を縮めるほど苦労があったのだということも、よくわかった。

全5件中 1 - 5件を表示

著者プロフィール

和田 洋一(わだ・よういち) 1903-1993年。同志社大学名誉教授。京都帝大文学部独文科卒。1931年、同志社大学予科教授。中井正一らと雑誌『世界文化』を編集、欧米の反ファシズム文化を紹介した。1949年、同志社大学文学部社会学科教授。著書に『国際反ファシズム文化運動』(三一書房、1948年)、『灰色のユーモア―私の昭和史ノオト』(理論社、1958年)、『新島襄』(日本基督教団出版局、1973年/岩波現代文庫、2015年)、『私の昭和史―『世界文化』のころ』(小学館、1976年)、『わたしの始末書―キリスト教・革命・戦争』(日本基督教団出版局、1984年)など。共著に同志社大学人文科学研究所編『戦時下抵抗の研究Ⅰ―キリスト者・自由主義者の場合』(みすず書房、1968年)など。

「2018年 『灰色のユーモア 私の昭和史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

和田洋一の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×