- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022518590
作品紹介・あらすじ
食べることそのものに嫌悪を覚えている女子高生・三橋唯。「食べること」と「人のつながり」はあまりに分かちがたく、孤独に自分を否定するしかなかった唯が初めて居場所を見つけたのは、食べ物の匂いがしない「吸血鬼の館」だった──。
感想・レビュー・書評
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この痛みをわかって欲しい。
ずっと心の中で叫んできた。
少しでも理解して欲しいとか、
わかって欲しいとか、
そんかさな願望は叶うはずがない。
分かってた。
分かってたはずなのに期待してしまう。
主人公は食べるという行為を気持ち悪いと感じ、食べたくないと願う少女だ。
彼女の感じているものはなんとなく分かるし、彼女のことは受け入れれる。でも、
彼女の痛みはわからない。きっと彼女も私の痛みはわからない。
人は分かり合えないし、痛みも分かち合うことはできないというこの世の中で、どう生き抜くのか。人間ってなんなのか。自分は人間なのか。そんなこと考えたくない。「人間らしくないよ」と言ってくる人に嫌気がさすし、その言葉を真に受けている自分にはもっと嫌気がさす。
この本は、自分と重ねて読んでしまうので少し気持ち悪かった。
でも、前向きになれる。
自分の生き方で
誰かの痛みを感じでみたい。
人間みたいに生きている
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主人公の唯は勉強の得意な女子高生、少し控えめな普通の女の子。
でも誰にも言えない秘密がある、「食べること」がどうしても気持ち悪くて水しか受け付けない。
みんなが美味しく食事を楽しむことが理解できない。唯にとって食事とは、「生き物の死骸」をさらに捏ねくりまわして加工して、他者を口から取り込む行為、食べるという行為自体を拒絶している。
食事の時間は苦痛でしかない、その場では口に入れ飲み込み、時間を見つけてすぐに嘔吐しに行く。
孤独すぎる唯、しかし話をできる相手との出会いがあった。
とても良い時間を過ごすが、分かってくれる相手と思っていたのに、期待した返答をいつもくれるわけではないし、相手のことは背負いたくない。
話をできる相手が欲しかっただけなのに、求めるだけでは関係を保てない。
唯は当たり前のことが出来ない、「人の普通」を常に押し付けられて、でも自分だけ違うとは知られたくない。
そんな自分を「擬態しながら生きてる」という。
こんな毎日は辛すぎる、生きたいのに普通が出来ない。
読んでいて、とても苦しい話だった。
このままでは駄目だと分かっているし、本当は擬態なんてしたくない。
物語終盤、自分の気持ちを大切にして勇気を出して周囲に理解を求め、唯は少しずつ進み始める。
主人公に共感は出来なかったけど、母親目線で読んでしまったので暗い気持ちのまま読了。
「食べることは生きること、食べることは幸せそのもの」と私は普通に思っていたけれど、それが普通だよと人に押し付けてはいけないのだなと思った。 -
netgalleyにて読了。
かなり強烈なタイトルと、透き通る少女の瞳に、どんな小説なのか気になった。
ちょっと読んだことのない切り口のYA小説だった。
食べることに嫌悪感を覚える、いわゆる拒食症的な設定は、大抵母娘間の問題を描く場合が多いが、この小説が描くのは、それだけではないようだ。
主人公の唯は食べること自体に嫌悪を抱いているが、それを隠し続けている。
ある日吸血鬼が住むと噂される館をこっそり訪れ、そこで食べたくても食べることができない泉と出会う。
泉と出会ったことで、自分が避けてきた自分自身の問題と向き合うことになる唯。
ひと口に、食べること自体が辛い症状、と言っても原因は様々なのだと分かる。
実際にこういう人たちが存在するのであろうし、やたらと食べ物や食べることばかりを取り上げるメディアや小説に対して問いかける小説だった。
2022.9 -
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【書評】「食べる」という行為は一人ひとり違う? 主人公は女子高生、その悩みとは〈週刊朝日〉 | AERA dot. (アエラドット)
htt...【書評】「食べる」という行為は一人ひとり違う? 主人公は女子高生、その悩みとは〈週刊朝日〉 | AERA dot. (アエラドット)
https://dot.asahi.com/wa/2022111500087.html?page=12022/11/17
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物を食べるという行為に強烈な嫌悪を感じるって、どういうことだろう。
主人公である唯の感じる、食べることについての表現がそれを物語っている。確かに気持ち悪い。
美味しい食事=幸せという考えが浸透している世の中で、「食べたいけれど食べられない」は理解されても、「食べたくない」は理解されにくいだろう。
私も、美味しいものを食べて幸せを感じるタイプなので、同意は出来ない。
そんな女子高生の唯が、食事に関して人とは違う泉さんと出会い、否定されない安心感を得る。
だけど二人は同じではない。それを突き付けられる場面が印象に残っている。
唯の勝手な思いや、相手も傷付けばいい、何か鋭い言葉をぶつけたいという衝動。放った後の頭が冷えていく感じも、生々しい。
泉さんと二人だけの閉じた世界の話ではなく、友達や両親、周りの人との関わりもあって、唯は少しずつ前へ進んでいく。
登場人物たちの優しさも、意地悪も、無神経も、困惑も、混在しているのがリアルだ。
ゼロか百かで切って捨てないその先は、どうなっていくんだろう。見守っていたい。 -
声の調子や何気ない動作で注目を集め、空気の色や温度を変えるような存在。……指揮者が振るタクトを追うように、目が自然と彼女の行動や表情を追い、意に沿うような音楽を奏でてしまう。(P.7)
そんな時、私はどう応えればいいのかわからず、途方に暮れてしまう。何か言おうと思っても、でてこない。月並みな言葉すら形をとらない。心が立ちつくすのを感じる。そして、一つ覚えのように、「そんなことないですよ」と、ただ泉さんの吐いた言葉を打ち消すことしかできない。壁のしみに向かって、綺麗になりますように、と唱えているような虚無感を覚える。(P.57)
確かに、真面目、と言われる。友達にも先生にも周りの大人にも。でも、ぴんとこない。私は、親や大人に教えられたこと、言いつけられたことを守っているだけだ。挨拶をする、勉強をする、礼儀を欠かさない、逆らわない。子どもとして、生徒としてあるべきふるまいというものがあり、それを守っているだけ。するべきことをクリアしていれば、後ろ指をさされることもないし、なにより面倒が少なくて済む。もしそれらを「やめる」なら、どこまで崩せばいいのか、逆らえばいいのか、加減を考えなくてはいけない。そちらのほうが、よっぽど面倒だ。
それを真面目と言っていいのか、褒められていいものか、私は最近、わからなくなってきている。(P.60)
泉さんが言っていたコーティングの"魔法”がここにもある。食べ物にかぎった話ではない。私だってそうだ。ワンピースに帽子に靴下に靴に。ただ伸び続ける髪を切ったり伸ばしたりして、装飾している。(P.92-93)
若さに固執する人間は、いくらでもいる。欲望は金を生み、金は倫理を殺す。(P.115)
誰も得をしないのに、誰もそれをやめられない。世の中にはそういうことがいくつもあって、きっと気づかないほうが幸せでいられるのだろう。(P.120)
カードから文字が剥がれ浮き、口の中まで雪崩を打って押し寄せてくる。だめだ。これを出したら、私はまた、後悔する。思ってもいないことを言うのは簡単で、それに慣れるのはおそろしく早い。一度やれば、歯止めがきかなくなる。誠意のない受け答えのないむなしさを「真面目」な私は、よく知っている。(P.131)
私たちは普段からこんなもので応酬をしていたのか。投げたい球だけ投げて、取りたい球だけ取って、それをコミュニケーションと呼んで。大切なものだ、と信じ切って。家族という名前で身を寄せ合い暮らしたところで、この程度の、お粗末な理解しかできない。体の感覚も、正確にわかち合うことはできない。ことばも、あてにならない。次の瞬間、何をするか、されるか、わかりもしない。(P.146)
大切なのは、理由があるということ。そして、謝る時間が謝られる時間に変わってゆくということだ。(P.173)
ひとにやさしくしたり、思いやったりするのは、コントロールしてできることだ。心がけと忍耐と見せかけでどうにでもなる。だから私は、自分がやさしい人間なのだと思っていた。コントロールできる範囲のものを自分だと思いたがっていた。誰かを怒鳴りつけたり、傷つけたり、加虐して愉悦に浸ったりするなんて、そんなのは本当の自分じゃないと、苛立ち、落ち込み、後悔しては嘆いていた。
わからない。コントロールしていることも、できないことも、すべて本当の自分なのか、それとも、どれも本当の自分じゃないのか。自分じゃない、という感覚とどう付き合っていけばいいのか。闇の中、歩いているということだけわかったまま行き先もわからず歩くよう、なにもわからないまま、生きているふしぎを抱えて自分を生きている。(P.176)
世界のややこしさに、めまいを起こしそうになる。
見えている糸、見えていない糸があって、見えている糸もまたそれぞれの色に染まっていて。何本かは同じように見えていたとしても、少しの差異で織りなす世界は変わり、同じ物を完璧に共有することはできない。どうにか糸をほどいて、色を変えて、また織り直してみても、相手の視界には少しも近づけない場合がほとんどで。(P.184-185)
食べることに違和感のある女子高生のお話。食べることへの嫌悪感、そして、周りの人、家族に理解して貰えない辛さ、生きづらさ、とても共感できる。私も「真面目」と言われたことはあるが、褒められているのか、よく分からなかった。私は、自分の好きなことをして、オシャレをして、メイクをして変わっていく友達が羨ましかった。真面目の崩し方が分からない。確かになと思った。真面目と言われる度、好意を寄せられる度、褒められる度、私は、あなたが思っているような人間ではありませんと言いたくなるし、騙しているようで申し訳なくなる。結局、1番わかって欲しい人にだけ、自分がどんな考えを持ち、生きてきたのか。それを知ってもらうだけで十分なのではないか。と気付かされた。唯にとってそれは泉さんで、泉さんにとって自分を1番わかって貰いやすい人物が唯だった。年齢も性別も違うふたりが、程よい距離で、互いを思って生きる。現実世界ではなかなか成立しないこの関係が本の中では綺麗に完結していることに美しさを感じる。私もそんな人に出会えるだろうか。 -
話の道筋が著者の意図に引っ張られていると感じるところが何ヶ所かありました。物語自体ちょっと極端すぎるかな、と感じました。
でも思春期のリアルな感情を描いているところがいいです☺️
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ドラキュラのくだりで、本当に吸血鬼の話か、だから「人間みたいに生きている」なのかーと思って読み進めていたけど、唯や泉さんが言うからこそすごく深く考えさせられる話でした。最後の一文はこっちが震えました。自分もまさにこのような瞬間を最近経験したので。
自分は母親に「吐いても食え」って言われるくらい食べ物には割と厳しい家庭で育って、それが嫌だったことももちろんあったし、でも家族のために美味しいものもたくさん作ってくれたからすごく感謝もしている。そういう家で育ったから自分の子どもにも同じようなことをしてしまった時期があったけど、ある時期を境に子どもが大抵のことは打ち明けてくれるようになって、食事についても「ブラザーズ・ブラジャー」で出てくるテーマなんかについてもお互い本音で話すことができるようになった。言葉の刃渡りにも無頓着ではいられなくなった。生き辛さって人には中々言えないし、意を決して話したとしても理解されないし、故に生き辛いっていうことが多分にあって、唯と泉さんだけでなく、ほぼ全ての登場人物の心の動きがすごく生々しく表現されていて、読みながら自分の心もすごく揺れました。安易に救世主を出さないところや泉さんを救世主にしないところも良かったです。とは言うものの、矢島さんと再会した場面や「イート&ハッピー」での場面では救世主を期待してしまったけど。
登場人物の中では園ちゃんが好きになりました。こんな子になりたいかも。
特に心に残ったのは、
泉さんと同じではない、と安心することは、この人を暗く狭いほうへと押しやってしまうことと似ている気がする。
泉さんは時折、自虐的な物言いをする。それは、泉さんが心の底から思っているというよりは、誰かに言われ続けたことが、ふとした瞬間に泉さんの方を借りて出ているようだった。
無意識だった。何も考えず、泉さんの「悪い」部分として、あれをあげつらおうとしていた。
思ってもいないことを言うのは簡単で、それな慣れるのはおそろしく早い。一度やれば、歯止めがきかなくなる。誠意のない受け答えのむなしさを、「真面目」な私は、よく知っている。
私たちは普段からこんなもので応酬をしたいたのか。投げたい球だけ投げて、取りたい球だけ取って、そらをコミュニケーションと呼んで。大切なものだ、と信じ切って。
ひとにやさしくしたり、思いやったりするのは、コントロールしてできることだ。心がけた忍耐と見せかけでどうにでもなる。だから私は、自分がやさしい人間なのだと思っていた。コントロールできる範囲のものを自分だと思いたがっていた。誰かを怒鳴りつけたり、傷つけたり、加虐して愉悦に浸ったりするなんて、そんなのは本当の自分じゃないと、苛立ち、落ち込み、後悔しては嘆いていた。
あるべき、ひとのふるまいができないわたしを見破ろうとするひとは敵。痛みをわかち合えるひとは仲間。そう二分されると思っていたのに。世界のややこしさに、めまいを起こしそうになる。
かなしいほど個別の個体で、どれだけふれあっても同じようにはなれない。心をかよわせても、痛みはわかち合えない。それでも、そばにいたいと願い続ける。自分だけの身体を、それぞれの生を、生きながら。 -
※
主人公は周囲に合わせ優しいふりをしている
けれど、実際は他者への興味を持っていない
周りに無関心な女子高生。
見るからにあざといタイプではなく、
真面目な優等生、気弱で頼りない雰囲気なので
周囲から手を差し伸べられる立ち位置にいて、
悩みを抱えて苦しみ、生きづらさを感じている。
一見して弱者の立ち位置の主人公だけど、
独りよがりや傲慢さも大いにあって、
主人公に共感する箇所以上に苛立ちと
もどかしさを感じてモヤモヤ。
そんな主人公がぐずぐずになりながらも、
人と向き合い、自分の身体と向き合って
他者の悩みや痛み、不安や怖れに気づける
ように変わっていって心が温まりました。
〜心に残ったフレーズ〜
どれだけ心を通わせても同じになれなくて、
痛みも分かち合えないけれど、それでも
そばにいたいと願い続ける。
醜さ、弱さ、身勝手さ、
そんなの誰にでもあると力付けてくれます。
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私は、食べるのが幸せで好き嫌いなく食べている。悲しいことがあっても、お母さんの作ってくれるご飯を食べればたちまち元気になる。
そんな私にとって、食べること自体が苦痛という感覚は大きな衝撃だった。
皆んな食べることに幸せを感じていて当たり前だと思っているので、それが気持ち悪いと感じる主人公の生きづらさ、自分の体に対しての悔しさや憎しみが痛いほど伝わってきた。
主人公のような分かりやすいパターンでないが、誰しもが決して他人と完璧に共有できないこと、理解できないことがきっとあるはずだ。
主人公が両親に話しても理解出来なかったのは、そういった人間と人間との間にあるどうしても取り除けない透明な壁があるからだと思う。
その透明な壁があるのはどうしようもないけど、せめて主人公が打ち明けた悩みを受け止めてフォローしてくれた友達のように、ただただ気持ちを受け止め理解しようとする姿勢が大事。
主人公が大学生の紹介で訪れたそれぞれが違った食事の悩みを話し合う会のように、完全に理解出来なくても似たような人が集まり、解決しようと知恵を出し合うグループは是非とも必要。それがあるかないかで気持ちの報われ度合いが全く違う。
主人公が話してた鳥は食べるのに躊躇いがなくて、蝉だと躊躇いがあるという感覚は、確かにそうだなと思った。考え方を変えることに繋がった。
食べるのは、ただ食べるだけでなく食べることを通じて家族や友達との仲を深めるという役割があることに無意識だったため、主人公の言葉を聞いて知ることができた
印象に残った言葉
食べ物は、加工した死骸だ
人間が他の動物や植物の命を毟り取って弄ってぐちゃぐちゃにしてこねくり回したものを口の中に入れている
その原型もとどめてないほどの無残な死骸を人間は「おいしい」と幸せそうに頬張っている
本は一人で読むものだし、それがいいところだ。自分のペースで自分の解釈で読み進めていける。眼前に広がる知らない世界に、どっぷりと好きな深さで浸かれる。本から得られる知識の、形のなさもいい。無形のまま、私の中にここちよく染み渡っていくあの感覚。 p35
最近、食べ物系の話が多くないですか。
いい話が多いと思うんですけど、それにしても量の多さがすごいなって、書店に行くたびに思ってて。あと、食べ物が絡むと十中八九幸せな話になってしまうのもちょっと怖いというか p36
大体の食べ物ってのはさ、裸のままじゃ食うに堪えないんだ。それを、綺麗な器だの飾り付けだの名前で誤魔化して、なんとか食える状態にもっていってる。で、大方の人間はそのコーティングごと食べてるから、元が何か、どういう過程で今の形になったかなんて気にせず平気で食える。それつらは、今まで魔法で縛り付けられて共犯にされてたんだろうよ。シンデレラを運ぶカボチャの馬車、白馬にされたハツカネズミみたいに
どうして、こんなふうなんだろう。
お母さんが作ってくれた料理を美味しく食べられなくて。家族に見つかられないようにこそこそ隠れて吐いて。
世の中には食べたくても食べられない人がたくさんいる。なんて、贅沢で、わがままな体なんだろう。こんな舌も口も胃も取り替えられたらいいのに
世界のややこしさにめまいを起こしそうになる。
見えている糸、見えていない糸があって、見えている糸もまたそれぞれの色に染まっていて。何本かは同じように見えていたとしても、少しの差異で織りなす世界は変わり、同じものを完璧に共有することはできない。どうにか色を解いて、色を変えて、また織り直して見ても、相手の視界には少しも近づかない場合がほとんど 184
人間の定義は、ない。それなのに、大体の人間は人間代表って顔で生きている。そうすると、見落としちゃうものが必ずある。だから、自分の当たり前を人の当たり前だとおもわずに生きた方がいいと思う。 223
自分に言い聞かせるように書いた感想なので、心に響くといってもらって凄く嬉しいです。
ういさんの感...
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