- Amazon.co.jp ・本 (188ページ)
- / ISBN・EAN: 9784023303737
感想・レビュー・書評
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フェミが苦手なので、苦手なものに挑戦する気持ちで読んだ。
自分は男なので、フェミっぽい意見を聞くと、男である事に罪を感じて、やるせなくなったり、喧嘩を売られてるような気分になったり、モヤっとする。
この本を読んで、ジェンダーは議論とか哲学のレベルでは尊いとわかり、良かった。
差別って、もっと深掘りされるべき問題だし。他者とか暴力性とか、そういった単語の使い方がフェミのルール剥き出しでいい。
ただ自分は、フェミのルールの中に入る気はない。頭が悪いので、ジェンダーを信じたり疑ったりしても同じところをグルグル回る事になりそうだからだ。乱暴でもいいから外側に居たいと思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
いかに自分が普段何も深く考えずに生きているのかが分かった。
自分の言葉が相手を傷つけてしまうこともあるかもしれないし、当たり前と思っていることが実はそうではないことに気づかされる一冊。
大学の授業の教科書で読み始めた本だが、為になった。
ただ、現代文の評論文を読んでいるようで、読んでも理解をするのが難しかったのが玉に傷。 -
難しいトピックよねぇ
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なぜか今の自分はジェンダー論には驚くほど興味がないのだが、教養として読んでみた。
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加藤秀一はふだんはもっと難しめの本を書くことが多いのですが、これはものすごくわかりやすいです。
ぶっちゃけ、『図解雑学 ジェンダー』よりわかりやすいかもw
ジェンダーという言葉を知らない人に、あるいは、ジェンダーを習いたての人に、そして、ジェンダーには詳しいと思っている人にも、ぜひ一度、読んでもらいたい1冊。 -
ジェンダーやセックスとの違いや差別の問題・・・などといった基礎知識の解説本ではありません!
もちろん、最終章では、ジェンダーやセックス、性教育にたいする著者の政治的な見解も激しく述べられていますが、
基本的には・・・
<わかりやすい>結論をポンと手渡すことではなく、「どうしてそのように考えるべきなのか」「どうしてそのような概念が必要なのか」という根本のところから、一緒に考えさせられる・・・ある意味では、「ジェンダー」を切り口とした、哲学的でもあり、社会学的でもある本です。
徹底的に、細かい問題から、考えさせられませます。
性差と、性役割の違いの奥に潜む社会的問題から、性同一障害から、ホモセクシュアルの問題まで。
「何が差別かという基準があらかじめ決まっていないからこそ、私たちはそれを絶えず見直し、作り直すことを通じて、社会的不平等を少しでも減らすために働くことができるのだし、そのために努力すべきである。」
「性」というものを考えるときに、是非教科書にしたい一冊。というか、「教育課程論」の教科書として読みました。 -
内容はともかく(入門書として、ざっくり纏まっていると思う)、副題が恥ずかしい…。こういうタイトルをつけるセンスが嫌だ。
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しょーもなっ。こんな本書いてる奴のが恥ずかしいわ。
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「つまり、性差というのは本質的に統計学的な概念だということです」 (97)
統計的に「そういう人が多い」と、その属性が「そういう性質を持つ」という結論に帰してしまうのは、もはや人間の本能のようなものではないかと最近感じることが多い。
社会調査とかの統計学でやっているようなことはだいたいこれだし、その情報の受け手も有意差が出ていれば、それだけでもそれを「性質」的なものに還元してしまうだろう。
もちろん、良識がある人であれば、それを本質的な差異と見なすのではなく、それを社会的に構築されたものであると見なすであろうが、しかしその場合においても「差異」がそこに存在していることは認めており、そしてそれを支える論拠となっているのは、統計学によって導き出された有意差という概念なのである。
別にそれが悪いとも思わないし、もう本能レベルで存在しているからしょうがないかなとも思うのだが、ここで問題になるのがマイノリティの存在である。
(社会科学的な)学問の意義は、まさにこの本能的な性質というものに、いかに立ち向かうのかというところにある。それはすなわち経験則の誤りを訂正する機能であり、普段プレイヤーとして存在している自分達を、メタの視点から眺めることだ。
マイノリティへの眼差しというのは、まさに研究だからこそできることであって、最近学問の凋落が叫ばれて久しい現在においても、依然として意義深いことなのは間違いない。
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本書は読みやすいので入門としても間違いではないとは思うが、筆者が一人で書き上げている関係上、思想上の偏りがあることは否めない。特に多様性=自由を無批判的に賛美しているところには、批判的な視点もあるはず。 -
ほんとに入門書。ジェンダー問題のことが何が問題なのかが全体的に理解できる。