日本敵討ち集成 (角川文庫)

著者 :
制作 : 伊東 昌輝 
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041067451

作品紹介・あらすじ

著者晩年の代表作『日本敵討ち異相』の元となった、著者が密かに書きためた未発表原稿から厳選。曾我兄弟、渡部数馬・荒木又右衛門、忠臣蔵など日本の敵討ちを描いた50年ぶりの奇跡の新作!

感想・レビュー・書評

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  • ・例の研辰物の最新版かもしれない「野田版 研辰の討たれ」は喜劇である。今はなき中村勘三郎が主演し、これも今は亡き坂東三津五郎が家老を演じてゐる。 物語は研辰に家老の父を殺された兄弟が艱難辛苦の末に敵を討つといふものだが、研辰といふ人間はそんなに簡単に料理できるやうな者ではない。兄弟は実に涙ぐましい努力をして、やつと思ひを遂げるのである。かう書くと敵討ちは良いものだ、美徳であると言つてゐるかのやうであるが、研辰は最後の最後まで(刀はなしに)抵抗し、討つな、討つなと叫んで逃げ回る。逃げ回る者をさうまでして討たねばならぬのかといふ批判が当然出てくる。原作の木村錦花の批判のいはば受け売りだが、野田秀樹はそのあたりを実にスマートに処理してゐる。ここにきて研辰は完全に変身を遂げたと言ふべきであらう。
    ・長谷川伸を、私は「一本刀土俵入」や「瞼の母」の作家と思つてゐる。歌舞伎でもかかるから私も何度か観てゐる。やはり名作であらう。長谷川伸「日本敵討ち集成」(角川文庫)にも研辰が載る。こちらは淡々と事実、あるいは事実と思しきことを記していく。従つて戯曲とは全く違ふ。これが文筆を業とする者の基本的な姿と態度であらう。だから、研辰の敵討ちは敵討ちとして書かれる。大体、殺されるのは家老の息子ではないし、討たれるのは間男研辰だと言へばよからう。さう、研辰は間男であつた (らしい)。それが4年後に故郷で討たれたのである。「平井兄弟と雲龍とは、源右衛門の案内で庄屋の米田伝右衛門方へ行って敵討ちのことを届け、同家にとどまる事になった。」(239頁)そして、「高松藩は藩主松平讃岐の守頼忠の名に依って、平井兄弟・雲龍を城下へ引き寄せることになった。」これは、結局、一時的に藩が保護してゐることになる。「そのころ久しくこの辺りでは敵討ちがなかったので、評判至って高くなり、三人とも高松藩から優遇もされたし、 讃岐ばかりでなく一般の間に頗る人気が出た。」(240頁)といふから、木村錦花、野田秀樹とは全く違ふ。敵討ちも作家の考へでいろいろと変はるものである。だから伸は、「『研辰の討たれ』その他、近い頃の研辰物も事実とは無関係である。」 (241頁)と書く。いはばなれの果ての研辰を勘三郎は演じたのである。これは本書序文最初の一文、「日本の敵討ちは単なる報復ならず、独自の格を遂に備えるに至った。」(6頁)とは逆のものであらう。そして、伸の書く研辰こそがその「格」を備へてゐるのである。かうまで評価が逆転した敵討ち話は他にあるのかどうか。ただ所謂忠臣蔵の評価に関して、「これを世伝のいうように、敵討ちとして観るかどうかとなると、これはここでいう敵討ちではない。」(196 頁)と書いてゐる。たぶん公許ではないからでらう。その意味では研辰を討つた平井兄弟も同様のやうな気はする。とまれ敵討ちといつても、ただ単に敵を討てば良いといふものではないのである。そのあたりも含めて、伸は「格」を備へてゐるといふのであらう。しかもそれは「日本独自のもの」(6頁)で、外国の影響を受けずに「独自の成長を遂げた」(同前)ものだといふ。この当否は私には分からない。ただ、この後に「報復の戦争」「戦場にての報復」(同前)といふことが出てくる。これは古事記から始めるための前置きかもしれないが、最後の伊東昌輝氏の「解説」からすると、どうもそれだけではないやうである。「一歩二歩と少しずつ民俗が“格”を高めていった」(278頁)とある。さういふふうに見るのかと思ふ。しかしさうだらうか。さう思ひながら、芝居になつた敵討ちを、本書と比べながら思ひ出してみるのでつた。


  • 長谷川伸 「 日本敵討ち集成 」曾我兄弟、実朝、荒木又右衛門、大石内蔵助など敵討の資料集。著者の人間味あふれる戯曲世界とは異なり、武士道の記録文学という感じ。


    敵討と報復は違うというスタンス。敵討には 暗黙なルールがあり、そのルールが 日本の心性を示している という意味だと思う


    敵討の暗黙ルール(敵討の共通性)
    *尊属の仇しか討てない(子が親の仇を討つ、弟が兄の仇を討つことはできても、その逆はできない)
    *必ずトドメを刺す
    *敵討を受けた人の敵は討てない?


    「久米幸太郎 29年後の敵討、敵は82歳」には驚いた。29年の追跡は 無駄としか思えない。敵とは言え、老いて自分より 弱い人間を討つのは 武士道に反しないのだろうか? 武士の情けとか 起きないのだろうか?


    編者と平岩弓枝が語った 長谷川伸との思い出 も良かった

    著者の基本姿勢=義理人情
    *ギブアンドテイクだけではないものを人間は持っている
    *情けのわからない人間に人間は書けない
    *恩は着るもので返すものではない〜恩を受けた感動を忘れずに 今度は 自分が 困った人に手を差し伸べるのが 人の道

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著者プロフィール

1884年、神奈川県横浜市生まれ。1963年、没。小学校を中退後、様々な職を転々とし、20歳の時に横浜新聞社に入社、その後都新聞社に転じ記者のかたわら創作を開始する。1928年に発表した「沓掛時次郎」が話題となり、いわゆる〈股旅〉ものの流行作家となる。代表作「瞼の母」「一本刀俵入」は今に至るまで繰り返し上演・映画化されている。著書に『荒木又右衛門』『日本捕虜志』など多数。

「2018年 『日本敵討ち集成』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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