心の傷を癒すということ (角川ソフィア文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784043634019

作品紹介・あらすじ

1995年1月17日未明、震度7という激震が阪神・淡路地方を襲った。全てが手探りの状態で始まった精神医療活動、発症する数々の精神障害、集まった多くのボランティア、避難者や仮設住宅の現実…。震災がもたらした「心の傷」とは何か?そして本当の「心のケア」とは何か?被災地から届けられた、「いのちとこころ」のカルテ。第18回サントリー学芸賞受賞作。

感想・レビュー・書評

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  •  本書の著者を知ったのは、本書の「序」も書いているが、中井久夫の本を通してだった。
     心のケア、ボランティア、PTSDなど、今では当たり前に使われる言葉となったが、そのきっかけとなったあの阪神淡路大震災。著者は、自ら被災しながらも、現場の最前線で活動に尽力する。そして本書では、震災直後とその後のケア、避難所や仮設住宅をめぐる現実、救護システム構築の難しさやボランティアの役割などについて著者の問題意識に立った率直な思いが綴られる。
     また特に著者の専門とする精神医療については、時間の経過や環境の変化に応じて、障害の状態や子どもたちの状況がいかに変化していくか、そしてそうした人たちに寄り添うことの大切さなどが分かりやすく論じられている。

     著者が家族を残して若くして亡くなってしまったことを知っているだけになおさら、著者のメッセージを大切にしていきたい。

  • 河村直哉氏の解説に安医師の文章を載せている。これがこの本の全てかなと思う。「苦しみを癒やすことよりも、それを理解することよりも前に、苦しみがそこにある、ということに、われわれは気づかなくてはならない。だが、この問いには声がない。それは発する場をみたない。それは隣人としてその人の傍らに佇んだとき、はじめて感じられるものなのだ」

  • 本文の中か、テレビドラマのセリフかは忘れましたが、安先生が語る「心をケアするとは、一人ぼっちにさせないことだ」という言葉が印象的でした。また、最後にこれからの私たちへの問いかけとして「今後、日本の社会は、この人間の傷つきやすさをどう受け入れていくのだろうか。傷ついた人が心を癒すことができる社会を選ぶのか、それとも傷ついた人を切り捨てていく厳しい社会を選ぶのか‥」と問うています。


  • 被災とは、建物の下敷きになることだけではない。生き残ってからがスタートなのである。
    生き埋めになった人を助けられなかった自責の念に駆られ続けること。倒壊した建物を見てはその下でゆっくりと死を迎えている人がいるかもしれないと考えること。大切な人を失った悲しみに耐えながら生きること。プライバシーがなく住環境が整わない避難所で隣人と折り合いをつけながら生活すること。一切の娯楽がないまま一秒一秒時が過ぎるのをじっと待ちながら生きること。地震が起こる前と後の景色を重ねて地震がなかった未来を思いその度に絶望しながら生きていくこと。地震が起きる前に戻りたい、という叶わない願いを抱き続けること。あのときこうしておけばよかったと後悔すること。数ある苦しみを想像して、それがなるべく小さくなるようにすることが、防災そして減災になるのだと思う。

    能登半島地震で被災された方々は、今まさに苦しみの最中にいる。その苦しみがどんなものなのか
    知るためにこの本を読み返した。
    心に傷を抱えた人がいるということを知っておくこと、忘れないことだけは、今の私ができることだと思った。

  • 1995年阪神淡路大震災で心療ケアに従事された精神科医安克昌先生の著書。阪神淡路大震災をきっかけに、大災害に対する救援・避難・ボランティア・心身ケアの議論が幾度となくなされ、従事される方々の言葉に尽くせぬ努力もあり災害対策は(至らぬ部分はあれど)当時より大幅に改善された。その「当時」を知る貴重な叙述・分析である。今でこそPTSDなどの一般理解が進んだものの、平成初期は昭和の名残もあり「心の在り方」は疎かにされており、環境激変すなわち大災害ではその歪が顕著に表れるのに対して、成す術なく放置されていたように思う。崩れたものがそのままの形で戻ることはないものの、在り様を嘆き悲しみそして受け入れて新たな受容を育む、そうして「心の傷を癒すということ」について色々考えさせられた一冊である。

  • 『心の傷を癒すということ』安克昌さん

    R3年2月頃に仕事がしんどくて病んでいた時に同僚の人が誘ってくれて見に行った映画で知った。映画も本当に良かった。

    本は、読み進めるのに時間がかかった。
    阪神・淡路大震災後のことで、内容も重かった。
    自分はまだ生まれてなくて、震災についてTVで見る程度の知識だったが、震災後の安先生が行った事、それが今に繋がっていることを知った。
    震災後の人とのつながりがいかに大事か、また路地でのコミュニティを大切に自分もしていきたい。

    安先生に会ってみたかったし、先生の色んな本読んでみたかったな。

    〈本文より〉
    「ボランティアはいてくれるだけで価値がある。自助グループのようなヨコの関係が、孤立しやすい当事者によってかけがえのないものである。」
    「心の傷を癒すのは人と人とのつながりである」

    〈背表紙より〉
    イライラする子どもたち、災害マニー(躁病)、精神障害の再発と悪化、PTSD-。震災がもたらした「心の傷」とは何か?そして、本当の「心のケア」とは?阪神・淡路大震災で自らも被災し、すべて手探りから始まった精神医療活動。震災直後とその後のケア、避難所や仮設住宅をめぐる現実、救援システムやボランティアの役割など、心のケアに奔走した精神科医が、被災地かや発信した克明な記録。第18回サントリー学芸賞受賞作。

  • ドラマに感銘を受け、読みました

    「心の傷を癒すということ」その意味と意義が、優しくも力強い筆致で語られる名著です。
    そこには、間違いなく大災害の中で苦闘した安先生の姿が感じられます。

    彼のメッセージを、今を生きる我々がついでいかねばならないと強く思います。

  • 今回の東日本大震災をずいぶん重ね合わせて読むことが出来たと思う。
    「心のケア」についても,本当に被災地に必要なことは何か考えさせられる1冊。

    この作者による著書がこれしかないのが残念なくらい,
    分かりやすく読みやすかった。

  • 阪神淡路大震災の後の精神科医としての活動の記録。少し読みにくいぶぶんがあった。

  • 誰かが心に傷を負ったならば、
    「寄り添う」ということが求められる。
    言うは易し行うは難しで、実際に行うことは途方もないことの積み重ねなのだと思う。
    コロナ禍で、広く薄く皆少なからず傷ついている。
    きっと私も。
    それを受け入れて、負の感情を解消していきたい。

  • 当たり前の生活が本当に有難いことなんだとしみじみ感じた。安先生のご家族のことを思うと辛い。

  • 第一部 一の1を読んだだけで心が抉られるよう。
    先日、東日本大震災関連の本を読んだばかりだけど、こちらもやはり非現実的と思えるような凄惨な状況だったことを知った。
    震災から月日が経った後も、多くの被災者は様々な困難や心の傷を抱え続けることも。

    そんな内容なので涙なしには読めないのだけど、最後に安さんが39歳の若さで、3人目のお子さんの出産からすぐ後に亡くなったということを解説で知って、また泣けてくる。
    解説者であり、安さんと仕事をした新聞記者は、病に倒れたのは『過労によるところが大きいと言わざるを得まい。』としている。

    ご自身も被災されて大変な中、被災地で精神科医として活動し続け、そのことを発信し続けたことは素晴らしいと思う。
    でも、残念でならない。

    この御本が、この先も、広く心の傷や災害時の救援システムについて考えられるきっかけになっていってほしい。

  • トラウマについて初期のこと

  • 読む前は、PTSDなどに対する専門的な臨床の方法が書かれていると思っていた。もちろん少しはそのことが書かれていたが、大半は阪神淡路大震災直後から1年後あたりまでに著者が経験したこと、そしてその中で心の傷を癒すということを改めて考えていく様子であった。
    著者の考えをまとめると以下のようになる。震災において、心に傷を負うということは当然のことだ。そして、その傷を癒すためには医者だけでなく、周りの人たちが持続的に粘り強く寄り添っていく必要がある。
    つまり、これさえあれば治せてしまうような医療技術は存在せず、また医者がどれだけ努力したとしても限界があり、社会や周りの人たちの協力が大切だということだ。

  • NHK のドラマを機に本書の存在を知り読んでみました。良い意味で期待を裏切る作品。震災後の心のケアに関する名著間違いなし。

    NHK のドラマに感動し原作を読みました。
    作者の安克昌氏は2000年12月2日、肝細胞がんのため39歳で逝去。ドラマは筆者の生涯を描いてた。本書は筆者の遺した震災の貴重な記録。

    期せずして被災者としてかつ救護者の身となった精神科医。日本ではさほど注目されていなかった惨事ストレスに関する初期研究であろう。被災者でなければ書けなかっただろう。

    筆者の短かった生涯を知らずとも名著の部類に入るだろう作品。ドラマの感動とはまた違った感動がここにありました。

  • 『心の傷を癒すということ』(原案)
    NHK/毎週土曜放送
    2020年1月18日から

  • N700
    教員オススメ図書

  • (2013.01.19読了)(2011.07.17購入)
    【東日本大震災関連・その107】
    東日本大震災の後、日経新聞のコラムで紹介されていたので、気になり購入していたのですが、阪神淡路大震災18年のニュースを聞いたのを機会に読んでみました。
    1995年1月17日の阪神淡路大震災から、ほぼ1年間の著者の精神科医としての活動がつづられています。日本では、精神科とか、神経科と名乗ると敬遠されてしまうので、精神科医であることは、表面に出さずに活動せざるをえなかったようです。
    人間は、体の不調と同様、精神のバランスを崩すことがごく普通にあるという認識が行き渡って、精神科にかかりやすい日が来るのが望ましいのかもしれませんが、本書でも述べられているように、親が子を失った時、子が親を失った時、愛する人を失った時、の悲しみ、等は、同じような経験をした人同士の交流が最も有効な癒しになる、ということもあるようですので、精神科医の役割は、あくまでも脇役ということになるのでしょう。
    日本における心のケアは、阪神淡路大震災の経験をきっかけにして、本格化したのでしょうか。もしそうなら、この本の著者の安克昌さん、や中井久夫さんの果たした役割は大きい、ということになります。
    ただ、残念なことには、安克昌さんは、2000年12月にがんのため39歳で亡くなっているとのことです。この本の単行本は、1996年4月に作品社より刊行されています。

    【目次】
    序  中井久夫
    第Ⅰ部 震災直後の心のケア活動 1995年1月17日~3月
    一、私の被災体験
    二、精神科救護活動はじまる
    三、直後に発症した精神障害
    四、精神科ボランティアの活動
    第Ⅱ部 震災が残した心の傷跡 1995年4月~96年1月
    一、PTSDからの回復
    二、死別体験と家族
    三、その後の心のケア活動
    四、避難所と仮設住宅の現実
    五、変化してゆく意識
    第Ⅲ部 災害による〈心の傷〉と〈ケア〉を考える
    一、〈心の傷〉とは?
    二、〈心のケア〉とは?
    三、災害と地域社会
    あとがき
    解説  河村直哉
    参考文献一覧

    ●気が張っている(22頁)
    「たいへんでしょう」と声を掛けても、「命が助かっただけよかったです」、「だいじょうぶです」、「地震なんだから仕方がないです」、と自分の被害を控えめに話すのだった。
    当面の生活維持のため気が張っているためと、あまりのショックで現実感を喪失しているために、うつ状態にならずにいるのだろう。仕事への没頭も、一時的に喪失体験からの注意を逸らせるために必要なのだろう。
    ●ないない(23頁)
    大規模都市災害というものは、こういうものなのだ。埋もれた人を助ける人手がない。道具がない。消火活動するための水がない。負傷者を運ぶ手だてがない。病院で検査ができない。手術ができない。収容するベッドがない。そして、スタッフは全員疲労困憊している。
    ●PTSD(63頁)
    被災者の多くが精神的ダメージを受けていることは疑いようがなかったけれども、そういう人達が続々病院の精神科を訪れてくれるわけではなかったのである。
    ●助けてあげられなかった(67頁)
    「しかたなかったんです。私も逃げるのが精一杯だったんです。助けてあげられなかった。……それで自分を責めてしまうんです。今も耳元で〝助けて、助けて〟という声がするんです。……私も死んでしまえばよかった」
    ●心の傷(69頁)
    一般に、心の傷になることはすぐには語らない。誰しも自分の心の傷を、無神経な人にいじくられたくはない。心の傷にまつわる話題は、安全な環境で安全な相手にだけ、少しずつ語られるのである。
    ●飲酒(77頁)
    避難所内でまず問題になったのは、朝から飲酒して生活のリズムを崩している人たちだった。治療を受けていないアルコール症者が多いようだったが、なかには数年間断酒していたにもかかわらず、震災後のストレスによって再飲酒し始めた人もいた。
    ●「解離」と「否認」(83頁)
    衝撃的な体験をこうむった人は、しばしばその体験の実感を失ってしまうものである。ひどい場合には記憶を失うことすらある。これは、衝撃から自分を守ろうとする無意識の心の働きである。精神医学では、この反応を「解離」と呼ぶ。一方、「否認」と言う防衛機制もある。これは、「解離」と違ってその人が自分の体験を認めたくないことを、ある程度意識している。
    ●喪失の受容(109頁)
    亡くなった人は二度と帰ってこない。これは厳粛な事実である。だから、死別体験者の苦しみとは、この動かしようのない事実をいかにして受け入れるかという葛藤であろう。だが死別という事実は、時間さえ立てば受け入れられるというようなものではない。死別を十分に悲しむという作業(「グリーフワーク」と言う)がまず必要である。そして葛藤の中で考え、感じ、話すことによって、喪失は受容されていくもののようである。
    ●被災地から離れて(158頁)
    私の妻は、大阪に避難したときに子供を公園で遊ばせていたところ、見ず知らずの人に「神戸で被災した人は罰が当たったんですよ」と言われたそうである。また私の知人は、大阪にある職場で「いつまで甘えてるんや」と言われてひどく傷ついたと言っていた。
    ●行政の援助(167頁)
    行政の援助はひとまず仮設住宅に入居したところで終わりである。この後は、「自力」だけで立ち直っていかなくてはならないのだろうか……。
    ●児童虐待(202頁)
    子どもはどんな被害にあっても、自分からそれを訴え出ることがない。周囲の大人が発見して初めて顕在化するのである。
    ●外国人死者(239頁)
    阪神・淡路大震災で、外国人は百七十三人の死者を出している。内訳は、韓国・朝鮮百十一人、中国・台湾四十四人、アメリカ二人、ペルー一人、ブラジル八人、フィリピン二人、オーストラリア一人、ミャンマー三人、アルジェリア一人などとなっている。

    ◆阪神・淡路大震災関連図書(既読)
    「災害救援の文化を創る」野田正彰著、岩波ブックレット、1994.11.21
    「大震災復興への警鐘」内橋克人・鎌田慧著、岩波書店、1995.04.17
    「神戸発阪神大震災以後」酒井道雄編、岩波新書、1995.06.20
    「災害救援」野田正彰著、岩波新書、1995.07.20
    「わが街」野田正彰著、文芸春秋、1996.07.20
    「神戸震災日記」田中康夫著、新潮文庫、1997.01.01
    「ヘリはなぜ飛ばなかったか」小川和久著、文芸春秋、1998.01.10
    「復興の道なかばで」中井久夫著、みすず書房、2011.05.10
    「阪神・淡路大震災10年」柳田邦男著、岩波新書、2004.12.21
    (2013人2月15日・記)
    (「BOOK」データベースより)
    1995年1月17日未明、震度7という激震が阪神・淡路地方を襲った。全てが手探りの状態で始まった精神医療活動、発症する数々の精神障害、集まった多くのボランティア、避難者や仮設住宅の現実…。震災がもたらした「心の傷」とは何か?そして本当の「心のケア」とは何か?被災地から届けられた、「いのちとこころ」のカルテ。第18回サントリー学芸賞受賞作。

  • 1月 修さん選

  • ようやくにして読み始めた。
    安先生の言葉のひとつひとつが心に染み渡るぜ。
    今回の東北大震災にはどのような形で安先生たちの経験やこの本の中で指摘されていたことが生かされているのか追いかけてみたい衝動。

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