フォトドキュメント東大全共闘1968‐1969 (角川ソフィア文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784044003883

作品紹介・あらすじ

ただ一人バリケード内での撮影を許された女性写真家が焼き付けた、闘い、時代、人。初公開作品を含む、「1968」を鋭く切り取る写真140点を掲載。元・東大全共闘代表の山本義隆氏による寄稿収録。

感想・レビュー・書評

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  • 1968-1969年と言うから、今から50年以上前の話だ。
    日本では学生運動が盛んであった時代。東京大学でも、学生運動があり、キャンパスの中に学生が泊まり込み闘争の拠点としていた。本書は、その闘争の様子、あるいは、泊まり込みの拠点であったキャンパス内の建物の様子を記録した写真集である。渡辺眸という女性カメラマンの作品。
    私自身はこの頃、既に生まれてはいたが、まだまだ子供であり、学生運動に興味を持てる年齢ではなかった。学生運動に関してのリアルタイムでの記憶もない。ただ、日本の現代史・戦後史の中での大きな出来事の一つであり、興味は持っている。最近、この時代のものとしては、高野悦子の「二十歳の原点」や、柴田翔の小説等を読んだりした。時代背景や当時の事実関係がきちんと分かっていないこともあり、正直に言って、当時の学生運動の目指していたゴールがよく分からないが、この写真集や高野悦子の本を読んだりすると、当時の学生の熱い想い、熱意は伝わってくる。柴田翔の小説の主人公はそういった熱い想いに意図的に背を向けているが、それは無関心でいられないことの裏返しでもある。
    この時代の学生でいたいとは思わないが、興味深い時代であることは確かだ。

  • ・名に負ふ東大全共闘である。渡辺眸「フォトドキュメント東大全共闘1968-1969」(角川文庫)はその写真集である。元議長山本義隆の言、「闘争を記憶し記録するということ」によれば、本書は「私たちの残すことのできた東大闘争アーカイブ」(197 頁)の一つになるらしい。他には、「私たち『六八・六九を記録する会』が作成した『東大闘争資料集』全二三巻のみが、東大闘争の信用しうる唯一の文書資料 であり史料である。これとやはり『六八・六九を記録する会』で作った映像資料のマスター・テープ」(197~198頁)があるといふ。つまり、この写真集は東大全共闘唯一の<公式写真記録>、従つてそれもバリケードの中から見た記録となる。だから、例の「連体を求めて孤立を恐れず云々」といふ <落書き>もあるし、「とめてくれるなおっかさん」ならぬ「とめて下さいお母さん 背中の銀杏も笑ってる 女々しき東大 どこにも行けない (一般学生)」などといふのもある。
    ・落書きの類は事件後に撮ることもできるが、絶対にできないのがその生活感である。これはその時、その中に入つてしか撮れない。本書にはそんな写真が何枚かある。しかし多くない。実際にははるかに多く撮つたのであらうが、ここに載るのは少ない。東大全共闘を中心とした東大闘争を撮つた写真集だからであらうか。ただ、当然のことながら、闘争といつたところで、日がな一日闘争に明け暮れてゐるわけではない。日々の生活がそこにはある。あの頃の安田講堂の中にもあつた。山本が書いてゐる、「しかし彼女の写真は、そのような闘争の激しい戦闘的場面だけでなく、むしろ解放空間としてのバリケード空間の日常を克明に写し撮っている」(208頁)。これがバリケードの中にゐたといふことである。中からでなければ撮れない写真、それが日常的な風景である。個人的には、闘争の写真は見飽きたと言つておきたい。これはマスコミが撮つてゐる。それは今でも記録として見ることができる。おもしろいといへばおもしろいし、おもしろく ないといへばおもしろくない。だから、山本は先の引用に続いて、「事件性の高い図像のみを追いかけるマスコミの報道カメラマンが外部から撮ったものと決定的に異な」(同前)るのだと書く。さう、確かにさうである。碁を打つ人がゐる(101頁)、食事をする人、談笑する人(80~81頁)、食事の準備であら う食パン3枚を配膳する人(85頁)、かういふのはその場にゐてこそ撮れるものである。たまたま行き会つたのではかうはいかない。かういふ、考へてみればごく当たり前の日常が安田講堂にもあつたのだ知れる。そして、安田講堂攻防戦ばかりが有名になつてゐるやうな気がするのだが、このやうな様々な日常があ り、様々ないとなみのうへに、あの攻防戦があつたのだつたと改めて思ふ。マスコミはその立場上、これができない。この生活感は貴重である。そしてふと思ふ、この人達は今どこで何をしてゐるのか。既に故人となつた人も多からう。しかし、これとは反対の世界に入つた人もゐようし、今もこの続きを行つてゐる人もゐよう。何十年ぶりかで捕まつた活動家といふのはその最たる者、正に持続する志である。そんな人をうらやましく思ふが、人間、様々である。道を変へるも良し、変へぬも良し。すべてはこの日常につながる。この談笑する学生、今も爺婆となりながらも孫と一緒の何らかの闘争にいそしんでいるのかと思つてみたりする。あるいは止めてゐたりして……孫曰く、とめてくれるな……。それにしても山本の文章、「記憶し記録するということ」に関するごく当然のことである。 それに感心する。

  • 先日、映画の『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』を観た。その余韻が心の中でなんとなくまだあったので、本書を手に取ってみた。私は当時を回顧できる世代ではないし、その思想性に賛同したり、批評するつもりもない。当時のアーカイブである本写真集を、ただただめくってみたくらいである。

    これまで学生運動といえば戦闘的な場面の印象を私自身強く持っていた。学生運動は世界の各地の大学でも展開されたことは知っていた。本書には、意外にも―というか当然のことでもあるが―、キャンパスが学生たちの生活空間の在り様がそこに記録されていた。校舎内で寝泊まりをする、食事をする(トーストサンドか何かを作っている)、コピー機ではなくガリ版でビラを刷る、立て看を作る、校舎の壁に直に主張をペンキで書く、といった事実を本書で味わうことができる。

    学生から大学当局への要求が主たる活動の目標であり、また当時の執行部教員側の言説は類書に詳細に示されている。他方、文部科学事務官だった事務職員、やその他職員はそのように対応したのか、しなかったのか。本書では残念ながら事務職員らしき姿は特定できない。教職協働とは程遠い当時の事務職員は、執行部教員をどのように支えたのか、あるいはほとんど関与しなかったのか。教員は事務職員にどのような仕事ぶりを求めていたのか、あまり期待していなかったのか。大学執行部とマスコミの間は広報課の事務職員がとりもったのか、そうでないのか。大学の財務書類上の使途不明金を経理課職員はどのように会計処理したのか。学生の学籍簿にどのような段取りで成績を記入していったのか。色々と興味はつきない。

  • 東2法経図・6F開架:377.9A/W46t//K

  • 結局安田講堂の講堂内部には一度も入ったことがない。あのとき、こんなリアルが存在した。

  • 「事件性の高い図像のみを追いかけるマスコミの報道カメラマンが外部から撮ったもの」とは異なる、解放空間としてのバリケード空間の日常の写真記録。

  • 山本義隆氏の、寄稿文を超えた長い巻末の文章を読んでいて、不覚にも目の前の景色が滲んだ。

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著者プロフィール

写真家。1968年、東京綜合写真専門学校卒業。卒業時の制作展で「香具師の世界」を発表し、その後も撮り続けて「アサヒグラフ」「写真映像」に作品が掲載される。同じ頃、新宿の街を撮る中で全共闘ムーヴメントに出合い、ただ一人、東大全共闘のバリケード内部での撮影を許された。72年にアジア各国を旅しインド、ネパールを初めて訪れた際、魂の源郷と感じてしばらく暮らす。帰国後「命あるもの」へのメッセージとしてスピリチュアル・ドキュメントを軸に撮っている。最新作に『TEKIYA 香具師』(地湧社)。

「2018年 『フォトドキュメント東大全共闘1968‐1969』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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