鬼むかし 昔話の世界 (角川ソフィア文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784044006754

作品紹介・あらすじ

こぶとり、桃太郎、天邪鬼……「鬼むかし」とは鬼が登場する昔話のこと。その原型は死霊と祖霊がイメージ化されたもので、死霊は人間を食べる恐怖を与える鬼に、祖霊は恐怖と共に慈しみを持つ鬼となった。これに仏教の羅刹鬼や地獄の鬼なども加わり、修験道の山伏や天狗とも結びついて様々な「鬼むかし」ができあがったのである。仏教民俗学の泰斗が、綿密な現地調査と知見を活かし、昔話の根底に潜む宗教的背景を読み解く。解説 小松和彦。

感想・レビュー・書評

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  • ・昔話といふと直ちに関敬吾と思ふ。実際、五来重「鬼むかし」(角川文庫)でも柳田国男と関敬吾に何度も触れてゐる。それは肯定的な見解を述べる場合よりも否定的な見解を述べることの方が多い。ごく大雑把に言へば、五来にとつて関の方法や考察は不十分なのである。五来は、「神話は、その民族の文献以前の生活と民族宗教が、説話化して伝承されたものである。それは神々の言葉や行為として語られているけれども、これを人間の世界に世俗化すると、昔話になってしまう。」(12頁)とか、「神話と、これが地域に密着した伝説と縁起が、民間伝承として分裂し、単純化して昔話になった」(同前)と昔話を規定する。神話から昔話である。私などは、神話と昔話は重なるところがあつても、やはりどこか違ふのではないかと考へてゐた。五来に言はせれば、むしろ「これを子供向きにして動物説話にしたり、隣の爺さん型の教訓話にしたのが、現代の昔話だ」(同前)といふことになる。本書は雑誌連載を経て平成3年に出た。私にはこの考えは新鮮であつた。ところが小松和彦「解説」によれば、五来は「鬼や天狗、山姥などの原質は祖霊であり、『鬼むかし』にはその特徴がたくさん見出されるから取り上げたのであって、そうでない昔話には関心がなかった」(296 頁)のであるらしい。更に、五来は「手元に古代神話がなければ昔話を分析できなかった」(298頁)とある。私が新鮮だと考へたのは五来のそんな視点ではあるが、それは決して完璧なものではないらしい。五来は確かに神話をもとに昔話を分析している。それは さういふ道筋を通つて現代の昔話につながると思はせてくれる。小松のやうに妖怪研究をしてきた人には突つ込みどころ満載であつても、私のやうな素人にはこれはこれで十分におもしろい書である。
    ・例へば、どこでも良いのだが、「安達ヶ原の鬼婆」を見る。これは市川猿之助の有名な「黒塚」である。後ジテで正体を見破られて媼は鬼となる。この媼の家の閨の様子を、「平安時代に描かれた『餓鬼草紙』の、鳥辺野といわれる葬場の風葬のありさまを思わせるものがある。」(46頁)と書き、「空也がそのような風葬地の死骸をあつめて火葬に付した事績」(同前)があると書く。更にあだし野といふ地名にも触れる。さうして、「安達ヶ原に鬼女が居るという昔話の根源は、『あだし原』に死霊が彷徨していて、そこを通 る者に取り憑いて害するといふ恐怖観念にほかならない。」(50頁)その死霊が鬼女になるには、「山姥は『山の神』の形象化されたもの」(同前)といふ根本認識を踏まへて、「その恐怖的な面が強調され(中略)餓鬼などの姿で形象化されるとますます恐ろしい存在となった」(50〜51頁)といふ。「その上、この山神的な鬼は、始祖霊としては女性で表現される。(中略)昔話や仏教の唱導説話では、そのような中途半端な性格では面白い話にならないので、徹底的に恐怖性を強調し、人間を食べてしまうという物凄い人食鬼をつくりあげてしまった」(同前)といふことになる。ここには五来の基本的な考え方がよく出てゐる。小松も指摘するやうに、これが本書のあちこちに出てくる。他ではともかく、神話はここでは天照大神が少し出てくるだけである。これだけで小松の指摘が正 しいかと思はれる。ただ、山の神から鬼、鬼婆へといふ過程だけで鬼を説明するのは無理があると私だとて思ふ。さうも言へるが、さうではない場合もあるはずである。小松によればこれに対する五来なりの答へもあるやうだが、やはり山の神が目立つ。山の神はそれほどの存在であつたのかと改めて思ひつつ本書を読むのであつた。

    ・実は、五来重「鬼むかし」(角川 文庫)を書いた時は一度だけですますつもりでゐた。まだおむすびころりんや瘤取 り、桃太郎の最後の3章を読んでゐなかつたのである。小松和彦「解説」を読めば山伏の延年が瘤取りに出てくる(299頁)ことは 分かるのだが、それが一体どのくらゐの比重で書かれてゐるのかは分からない。へえと思つても、とりあへず書いてしまへば終はりだと考へて書いた。書き終へてから続きを読んでみると、ここには芸能的な要素が実に多くあるではないか。花祭はもちろん、田楽も出てくる。しかもきいたことのない説明である。これは一度きちんと書いておいた方が良いと思つて書くことにした次第。
    ・瘤取りには「瘤取り鬼と山伏の延年」といふ章題がついてゐる。これだけでも延年に相当の比重が置かれてゐると知れる。しかも最初のあたりにかうある、「この型の昔話ぐらい深山の神韻縹渺たる雰囲気をただよわす、詩的な口承文芸はないとおもうのだが云々」(191頁)。深山は分かるのだが、「神韻縹渺たる雰囲気をただよわす、詩的な口承文芸」といふのはちよつと違ふのではと思つてしまふ。そもそもこれがまちがひであるらしい。五来は能勢朝次や本田安次の延年研究を批判するが、それは「修験道の視点を欠くからであ」(206頁)つた。五来は、延年は「修験道の視点からならば、かなり解明されることが多い」(同前)と書いてゐる。その最初(?)の例として鬼の酒盛りがある。その酒盛りでの舞に関連して、「原始呪術を芸能化するためには、アクロバティックなはげしい身心の錬磨を必要と」(207頁)し、「足踏や跳躍や旋回を美的に構成するには、軽業曲芸的散楽を導入することがもっとも有利である。」(207〜208頁)と書いてゐる。この足踏みが花祭の榊鬼のヘンベ、反閇につながるのは言ふまでもないし、跳躍や 旋回は花祭の舞には不可欠である。また折敷の舞は花祭の花の舞盆の手であるといふ。「延年酒盛りの座についた大衆に給仕する稚児が、給仕用の折敷またはお盆をもって即興舞をするようになった」(208頁)ことから来るらしい。花の舞は扇、湯桶、盆が基本である。かういふ視点から花祭を説明するのは新鮮である。これが現在どの程度受け入れられてゐるのか知らない。延年の作法がこのやうに関はつてゐるらしいのはおもしろい。しかも花の舞は即興舞から来たといふ。これが瘤取り爺さんの飛び入りの舞になるらしい。 「今も奥三河の花祭(山伏神楽と延年)では、見物人である『セイトの聚』が飛入りで舞うことができる場面がある。」(209頁) セイト衆がゐなければ花祭は成り立たない。これが瘤取り爺さんのなれの果て(失礼!)かと思ふ。そして、鬼はなぜ山奥に出るかといふことがある。これは、鬼は山の神の化身だからですみさうである。「山神は、また眷属と称するお伴をつれて歩く」(212頁) とあるが、これも花祭の役鬼と伴鬼である。役鬼が出るまでは伴鬼が舞ひ、役鬼が終はると鬼一同で舞ひ、最後は「見物人も飛び出し て鬼と一緒に踊る」(同前)、これは言はれてみれば確かに瘤取りである。従つて瘤取りは、「鬼面をつけた山伏の舞を日常見ることのできた人々に語り継がれながら、昔話化したものであ」(同前)るといふ。瘤取り爺さんがかういふ形で花祭と関はつてゐようとは 考へもしなかつた。かうして瘤取りの説明はまだまだ続く。そこには藤守の田遊びや鳳来寺田楽が出てくる。鳳来寺田楽では、「多くのすぐれた芸能史研究家が毎年おとずれるのだから、その原形を指摘してもよさそうにおもわれる。」(218頁)と書いてゐる。延年を忘れてゐるのであつた。

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著者プロフィール

五来重(ごらい・しげる)
1908‐93年。茨城県生まれ。東京帝国大学文学部印度哲学科を卒業後、京都帝国大学文学部史学科国史学専攻卒業。高野山大学教授を経て、大谷大学文学部教授、同名誉教授。専門、日本民俗学、宗教史。著書に、『五来重宗教民俗集成』(全8巻)『五来重著作集』(全12巻・別巻)の他、『仏教と民俗』『高野聖』『熊野詣』『山の宗教』『日本の庶民仏教』『四国遍路の寺 (上・下)』『円空と木喰』『日本人の地獄と極楽』など多数。

「2021年 『修験道入門』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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