- Amazon.co.jp ・本 (245ページ)
- / ISBN・EAN: 9784046527462
作品紹介・あらすじ
絶叫歌人福島泰樹が歌人、詩人らとの交流と通して激動の時代を綴る半生記。寺山修司、岸上大作、塚本邦雄、中上健次など今なおファンが多い歌人らとの知られざるエピソードなど史実的に貴重な証言も多数収録。
感想・レビュー・書評
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渓谷はかなしかりけりこれからを流れるようなひとりとなろう
福島泰樹
福島泰樹の短歌は、ふいに口を突いて出て来てしまう。たとえば1966年作の〈二日酔いの無念極まるぼくのためもっと電車よ まじめに走れ〉もそうだが、その下の句をタイトルとした半生記が、このほど刊行された。
62年から77年までの、15年にわたる私的短歌史。だが、それは「私的」にとどまらない。大学入学後に作歌を開始し、早大学費学館闘争でのバリケード体験と、それに関わる社会的な動き。20代から30代という人生の躍動期は、そのまま現代短歌の昂揚期とも重なっていた。同人誌や、全国的なシンポジウム活動など、その時代の活写を読んでいるだけで、熱い息づかいが伝わってくる。
中でも、高橋和巳との出会いと別れのエピソードが胸を打つ。66年晩秋、高橋に早稲田大学での講演を頼みに行った福島は、「短歌で号泣できるか」という問いを突き付けられた。「悲しみの連帯」という発想も教わったが、高橋は71年に若くして病没する。70年代を「挽歌」の時代とする福島の持論はそこで苦くも成立したのだった。
けれども、秀歌は生まれ続けていた。
つつぬけに冬空は見ゆどこにゐても胡桃のやうなひとりであれば
小野興二郎
さなりかかわり既にあらねど哭いてゆくこの坂すらやあわれ日本
下村光男
これらや掲出歌を目にして「短歌で号泣」できるのは、私だけではないのでは。
(2013年11月10日掲載)詳細をみるコメント0件をすべて表示