86―エイティシックス―Ep.5 ―死よ、驕るなかれ― (電撃文庫)
- KADOKAWA (2018年10月10日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (392ページ)
- / ISBN・EAN: 9784049120929
作品紹介・あらすじ
探しに来なさい――。
シンが聴いた〈レギオン〉開発者・ゼレーネと思しき呼び声。レーナたち『第86機動打撃群』は、その姿……白い斥候型が目撃されたという「ロア=グレキア連合王国」へと向かう。……だが。
それは生への侮辱か、死への冒涜か。
「連合王国」で行われている対〈レギオン〉戦略は、あの〈エイティシックス〉たちですら戦慄を覚えるほどの、常軌を逸したものであった。
極寒の森に潜む敵が。そして隣り合う「死、そのもの」が彼らを翻弄する――。
《連合王国編》突入のシリーズ第5巻!
雪山に潜む怪物たちが、彼らに、笑みとともに問いかける。
感想・レビュー・書評
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以下、ネタバレ含むので注意。五作目。
「元人間」である機械人形達と、「人間」であるはずの怪物達の競演。
ストーリーと戦闘シーンのバランスが良かった一冊でした。
戦況における現状打破のみを考えて、生きるために死を踏み台にしてきた86の面々だけど、各人にそれぞれの行く先が暗示され始めて、面白い。
「〈シリン〉とは何であるのか。戦場で追求するにはいかにも迂遠な問いじゃが、あやつらには重要な問いでもあろうぞ。あれらは人であるか、人でないか。人でないとして、それでは何が人と異なるか。人とはいかなる存在か、何を以て人は人たり得るか。……それはいずれあやつらが、あやつら自身について考える時に重要な問いとなろうからの」
フレデリカのこの台詞は、Ep.5の中で、なくてはならなかったものだと思う。
闘いの渦中にいるシン達自身ではまだ見えないものを見る眼を持つから、言える言葉がある。
勿論、反対にシン達に同調したくてもしきれない、レーナにも行き当たるのだけど。
さて、そんな「人間」側と背中合わせにして存在する〈シリン〉レルヒェ達の役割も考えさせられる。
全然別の作品ですが、ふとネフェルピトーを思い出したのでした。
死んだ人間を、生きているかのように修復させることや、操ることは出来る。でも、生き返らせるというその一点は、能力を以てしても出来ない。
ただ、彼?は最終的に、主君の大切な人は「生きていなければならない」と考え、そのために自分を犠牲にする覚悟を持つ。
話を戻すけれど、ヴィーカにとってレルヒェは、かつての大切な人で、彼女はもう生きてはいない。
けれど、シリンを「機械」として無限に修復することで、ヴィーカは自分を保っているとも言える。
そんなヴィーカ王子が、シン達と関わることでこの先変化するのか、しないのか。
ここもまた、注目ポイントだな、と思ったのでした。
シリーズ物のレビューなので、分かりづらかったらすいませんー。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
背ラベル:913.6-ア-5
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戦闘シーンをアニメで見たいです
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共和国北域の地下ターミナルに潜むレギオンには人として大切なものを削り捨てていくエイティシックスと何処か類似性が見られた。だから前巻を読んだ時点ではレギオンを通して、エイティシックスのどうしようもなく誤ってしまった部分にスポットライトを当てていくのかと思いきや、この巻では更にエイティシックスの在り方をトレースするような存在が登場したね
むしろエイティシックスの信念を貫徹させた場合に到達すべき境地の存在と言うか……
今回の舞台となるのは北の連合王国。共和国とも連邦とも異なる方法でレギオンに抗ってきた国家
考えてみれば、レギオンによって窮地に陥った世界で清廉たらんとしていた連邦がちょっとおかしいのであって、普通は何処か歪みのある戦い方をしてしまうもの
ただ、連合王国の戦い方は王家やヴィーカによって洗練された歪み方をしていた気がしないでもないけど
共和国は人間を人間と扱わない事で人が死なない戦場を作った
連邦は王侯貴族から勝ち取った自由と平等を尊び自らが戦う事を誇りとした
対して、連合王国は人造妖精に戦わせる道を選んだのか……
共和国では棄民政策やレギオンの稼働限界への誤解からエイティシックスを使い潰す点が優先されたけど、エイティシックスへの対応だけを取り上げれば、連合王国の遣り方はある意味で共和国がやろうとした事の理想形
だからエイティシックスがレギオンと戦う為に人として大切なものを削り捨てていった先にある理想形が〈シリン〉と言えるか……
これまでは普通に生きてきた人間や普通に戦ってきた軍人と比較された為に化け物めいた非人間性がフォーカスされてきたけど、エイティシックスが辿り着くべき理想形が〈シリン〉として目の前に有る為にエイティシックスの歪みが際立ってくるね
特に前巻ラストにてレーナから根源的な歪みを指摘されて以来揺れているシンは尚更
一方でエイティシックスの側だけを完全な間違いとして扱うのではなく、エイティシックスだから見える連合王国の気味悪さも描いているのは本作が持つ巧さだね
〈シリン〉は死人の脳情報を使用しているものの、そこに生前の面影はなく身体も機械。極言すればレギオンに似た存在
そんなものを連合王国のハンドラーは恋人や妹のように可愛がる。生きていない物を、人間でない者を、人間のように大切にして戦場に送り込む歪み
その点はヴィーカの考えが一つの答えになるのかもしれない
「そもそも戦場自体、人がいるべき場所じゃないんだ」との台詞。命を極限まで削ってしまう場所は人が居るべきではない。だからヴィーカは戦場に人間より人造妖精を送り込んだ
ならそんな場所で生き延びてしまったエイティシックスは人で無くなったのかと言えば、それはまた別の台詞が反証となってくるのが本当に面白い
大切なものを幾らでも削り捨てて、残ったものは矜持だけ…。それでもレルヒェが言うようにエイティシックスは『生きている』んだよね。レギオンに勝つ為に機械の身体を得るわけでもなく、かといって自死に逃げるでもなく
歪みとしては中途半端。なら、そこに在るのは歪んでいても生きている人間と言えるか…
そうして戦場の理想形たる〈シリン〉が最後に魅せた『生きていない』者の矜持が凄まじい……
かつてのエイティシックスが「死ぬまで戦い抜く」を矜持としていたように、〈シリン〉は「人の代わりに死ぬ」事が矜持なのかもしれない……
戦場の無惨さに慣れたエイティシックスをして心底戦慄した〈シリン〉の在り様。でも、それはエイティシックスがエイティシックスで在ろうとするならいずれ辿り着く場所だからかもしれなくて…
レーナ、レルヒェの指摘によって自分の欠けた部分に気付いてしまったシンが求め見てしまうのはレーナですか
シンが86区で地獄を見たように、レーナも共和国防衛戦で地獄を見たはず。それでも世界の美しさや人間の優しさを信じられるのは何故なのか?
レーナはシンを追って共和国の外へ続く道を切り開いた。今度はシンがレーナを追って自分の進むべき道を見つける番かな? -
人造兵器「シリン」の戦闘シーンが、鳥肌立つくらいおぞましい。
シリンであるレルヒェがシンに放った言葉が重すぎる。
自分たちは戦いの果てに死ぬ者と認識していたエイティーシックスたちが、シリンを目にして己はなんなのか考え出した。変化と成長の兆しが見え始めて、どこにたどり着くのか楽しみ。
主人公シンとヒロインレーナは拗らせ中。というかシンが混乱中。