ユダヤ人とドイツ (講談社現代新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784061490802

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  •  「ナチスが特殊である」とは考えてはならない。
     現代でも起こりうる、もしくはすでに起こっているのかもしれない、それがレイシズムであると気付かない形で…。

     ドイツにおけるユダヤ人を長い歴史を追って見ていく構成です。


     「ユダヤ人」とはなんなのか?
     ユダヤ人でありながらドイツ人であるとはどういうことなのか?

     今やその土地で両親親戚から代々育ちその土地に暮らす という人間の方が少ない。
     文化と文化との出会いの中で、どうすれば自分を多数派と置く人間は少数派の他人を許容できるのか。
     嫌悪感があるとすれば、その正体は一体なんなのだろうか?


     一方で、国が貧しかったり人々に余裕がなかったりという時にはまず国内の少数派が虐げられかねない ということも書かれる。
     もちろんこれが免罪符になるわけではない。少数派=弱者に対する迫害はあってはならない。
     だが人々の不安が少数の異質な集団への迫害へとつながるシステムがあることは押さえておきたい。

  • 第二次世界大戦中のユダヤ人虐殺は、果たしてヒトラーという1人の人物によって引き起こされた不幸な偶然だったのかどうか――。

    そこでドイツとユダヤ人との歴史を紐解いていくと、両者が古代より緊張と依存の関係にあったことが分かります。その点を解き明かした、非常に興味深い一冊です。

    一般に、ユダヤ人と聞いて僕らが想像するのは「迫害」「金貸し」「なぜか頭のいい人が多い」といった事柄だと思います。これらは、実はすべて密接な関わりを持っています。

    ユダヤ人は、バビロン捕囚や、ローマ帝国によるエルサレムの破壊などによってヨーロッパに散在することを余儀なくされた民族です。

    そうしてヨーロッパ各地に散り散りになりながらも、なおユダヤ教の伝統と文化を保持してきた人たちのことをユダヤ人と呼ぶわけです。

    さて、特にドイツに関して言えば、ナチスによるユダヤ人虐殺に次ぐひどい迫害として、中世初期の十字軍によるものが挙げられます。

    キリストを処刑したのがユダヤ人だったという伝承もあって、キリスト教徒(少なくとも当時の)は基本的にユダヤ人をキリスト教の敵と見なしている部分はあったようです。そのせいで、数回に及ぶ十字軍遠征の際には、十字軍はついでにようにしてユダヤ人たちの住居を襲撃し、虐殺と略奪を行ったといいます。

    かなり大ざっぱに見ても、1096~1349年のそうした迫害は特にひどく、この250年の間にドイツでは、十字軍によるものを始めとして、六百数十箇所で迫害行為があったそうです。その半数は1348~1349年のペスト流行時でした。

    またローマ帝国も、ユダヤ人の迫害を合法的に認めていたそうです。

    実はこの、中世期のユダヤ人迫害の際には、迫害者には「ユダヤ人からは略奪を行ってもよい」という意識があったようです。それはなぜか。

    ここに、いわゆる「金貸しのユダヤ人」のイメージが登場してきます。

    ちょうど十字軍の遠征が始まる頃、ユダヤ人はまともな職に就くことを法律で禁じられていました。

    そこで最後に残った生きる道が、金貸し業という職業だったのです。

    当時、キリスト教徒は金貸しを行ってはいけないと定められていましたが、ユダヤ人はあくまでもユダヤ教徒なので、この法律には拘束されませんでした。

    そうして金貸し業を行うユダヤ人たちでしたが、彼らには依然として、為政者の横暴で利息どころか元本の回収までもが危うくなる可能性がありました。

    よってその金利は高くなり、彼らは「高利貸し」と見なされるようになります。

    そして「高利貸しをして財産を蓄えているユダヤ人」というイメージが定着し、彼らに対するドイツ人の怨念が溜まっていったようです。

    さて、ユダヤ人たちはゲットーと呼ばれる強制移住区に住まわせられていました(このゲットーという言葉はヘブライ語の「隔離」という言葉とも関係があるそうです)。

    そこは陸の孤島のような状態であり、たびたび迫害の舞台にもなりましたが、ユダヤ人にとってはそれなりに生活しやすい場所でもありました。少なくともゲットーの中では、ユダヤ教的な生活をすることができたからです。

    そして、ドイツの商工組合などから追放された代わりに、広域商業に手を広げる者もいたといいます。もともとユダヤ人は各地に散り散りになった民族ですので、国外で経済活動を行うためのネットワークが、その下地としてあったといえましょう。

    そうした経緯で財産を溜めていったユダヤ人の中には、国家財政の資金提供者となり、貴族の位にまで上った人もいたようです。

    この、ドイツ人にとってユダヤ人というのは、迫害の対象であると同時に、依存の対象でもあったという奇妙な存在なのです。

    このような経済活動のあり方は、当時のドイツの保守的な商工業組合のやり方などと比較すると、遥かに進歩的なものです。彼らは蓄えていた財を用いて、さらにキリスト教文化圏の考え方にこだわらないやり方を選択することによって、ドイツの産業革命のパイオニアになることができたのだと筆者は述べています。

    そうした視野の広さと活動力が、歴史的にもユダヤ人の文化的程度の高さというものを形成していったのでしょう。

    さて、中世以降ですが、結局ドイツにおけるユダヤ人の地位の改善は、いわゆる啓蒙時代になってもダメでした。フランス革命をきっかけとしてナポレオンの占領が始まることで、ようやくその改善が行われたといいます。

    まず、ナポレオンの侵略によってゲットーが破壊され、ユダヤ人は解放されるような形となります。さすがにこの時代にはもうゲットーは時代遅れと見なされていたのか、建物の再建はされず、ドイツ人とユダヤ人は共に生活するようになりました。その中で、お互いの理解も深まっていったといいます。

    しかしナポレオンの失脚後は、ユダヤ人の地位は逆戻りしてしまいます。

    それでもこれ以降、ユダヤ人の知識階級や貴族は保守的で旧弊的なドイツを批判し、市民権の獲得を目指すようになります。

    また中には新天地アメリカへ渡るユダヤ人もいました。彼らはアメリカでは法的には平等に扱われたといいます。

    そして近代に入り、第一次世界大戦が勃発すると、ドイツ人とユダヤ人の共存意識も一時的に高まりを見せました。ユダヤ人という人々は、迫害されながらも基本的に祖国ドイツへの同化を望む傾向があったようで、前線で戦ったユダヤ人の数も相当数に上るようです。

    ところが敗戦に至ると、今度はその鬱憤がユダヤ人に向けられるようになってしまいました。そしてこの敗戦のショックの反動は、ユダヤ人迫害のみならず、ヒトラーの登場やナチスの容認といった悲劇を呼び込むことになったのです。

  • かなり勉強になった本。今まで漠然としか理解できていなかったユダヤ人の基礎知識(どうやって定義されるのか?何故金融業や商店ばかりに従事してるのか?何故ユダヤ人は知能指数が他の民族と比べて高いのか?)が非常に分かりやすく説明されてる。近代の章に入ってからはだんだんと読むのが辛くなってくるわ(汗)

  • ドイツとユダヤ人の関係を概観するにはいいと思う。前史をもう少し詳しく書いてほしかった。社会不安に陥ると異質なものが排除の対象になるのは分かる。それでもユダヤ人差別の根拠が日本人には理解しにくい。

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