- Amazon.co.jp ・本 (324ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061975828
作品紹介・あらすじ
近代日本の知性の歴史を「批評」の観点から検討。本書は柄谷行人の論文「近代日本の批評昭和前期」を中心に、浅田彰、柄谷、蓮実重彦、三浦雅士が徹底討議。昭和という時代を腑分けし狭義の文学批評を越えて、その文学・思想を捉え直し、新たな批評史を展開。「批評」とは何かを問う画期的企図。批評史略年表を付す。
感想・レビュー・書評
-
柄谷が「絶対的他者/相対的他者」という言葉で何を言おうとしているのか、わかるようなわからないような。とにかくマルクス主義の話がメインであり、マルクス主義が絶対的他者としてあったのだというおはなし。最近常々思うのは、60〜70年代を知る人と知らない人とでは世界の見え方が恐ろしく異なるのではないか、ということ。悪い意味ではなくて、マルクス主義を語る柄谷の口調は宗教じみている。信仰へのわからなさと似たものを感じる。もちろん、彼らは彼らで戦争を知る世代に対して似たようなわからなさを感じていたかもしれないし、単に普遍的な世代間ギャップの問題かもしれないけど。それから、扱っている時代的に戦争やアジアの問題がすごく出てくる。逆に言うとアジア主義の様々なありようが論じられる一方で、西洋的なものへの対峙がそこまで話題になっていない。そこに文学的な問題、日本語の特殊性としての散文精神と詩的詠嘆の対立がある。詩的詠嘆はここで「川端的なもの」と呼ばれ、揶揄的に評される。おそらく背景には、合理主義と非合理主義の問題があり、詩的詠嘆が支配的な日本語/日本的精神性が先の大戦の問題と重ねられている。バフチンや林達夫がマルクス主義者であった事実を強調する柄谷は、やはり言語論と社会を繋げて考えていたし、ただの社会派でも美学でもなく両方を持っていたとおもう。それが彼の「批評」だったのだ、と。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
恐ろしく濃密な討議。